地獄を見るか?「ストックオプションの費用化」
Kohさんのブログで、トレンドマイクロが米国会計基準に準拠して49億円もストックオプションの費用計上をすることになった、という日経金融の記事が紹介されてます。
日本でも、ご案内のとおり5月の会社法施行移行、ストックオプションの費用化が義務づけられることになります。
(ストック・オプション等に関する会計基準(企業会計基準第八号)、ストック・オプション等に関する会計基準の適用指針(企業会計基準適用指針第十一号)ご参照のこと。ネット上で探したのですが見あたらないので、監査小六法(平成18年度版)
の684ページから50ページ分あたりを読み込んでいただければ、と思います。)
これによると、ストックオプションについては、ざっくり言って、
・ 適切なオプションバリューの計算方法によって費用を計上し、
・ 対応する金額をB/Sの「純資産の部」に「新株予約権」として計上(会社法に対応。)
・ 費用の額は、適切な方法で期間配分する。
という感じになります。
で、何が問題として想定されるか、といいますと、
そもそも理解できるのか?
そもそも、このストックオプションの費用計上を理解するには、
(1) 前述の「ストック・オプション等に関する会計基準」「ストック・オプション等に関する会計基準の適用指針」などの他、会社法の関連規定などの「会計上のルール」
(2) 新株予約権の「会社法上のルール」
(3) オプションバリューの計算についての金融工学的知識((1)にも含まれますが)
(4) 税務
等を併せて考える必要があるわけです。
図で書くと、以下のような感じでしょうか。
つまり、MSCBなどと同じく、法律・会計・税務・金融工学といったハイブリッドな領域に関わるお話で、「センターとライトとセカンドのちょうど真ん中」みたいなところなので、全部にピンとくる方が、日本の企業の経理担当にどのくらいいらっしゃるのか、というと、かなり少なさそうだなあ、という気がします。
(「おまえはそれ全部を完璧に理解してるのか!」と言われると、ちょっと困るわけですが。)
MSCBのように価格決定とか貸株とか空売りとかまで想定した「相場系実務」の要素があまりないだけまだ救いがあるとも言えますが、代わりに会計上の計上額の計算やそれに伴った金融工学的計算、税務については重いかと。
まだ施行されていない「会社法」についても重荷ですね。(新株予約権の法務というよりは、会計上の影響が中心かもしれませんが。)
私の独断と偏見による推測だと、「ブラック・ショールズ式」とか「二項モデル」と言われてピンと来る人は、日本の人口の0.1%以下くらいじゃないかと思うので、(経理部門での比率はもっと高いと思いますが)、これに税務とか、会社法とかがかけ合わさっていくと、そもそも何が起こるかを認識している人は、かなり少ないんじゃないかと心配です。
能動的にシミュレーションできるか?
上述のような制度変化を認識したり、普通のストックオプションを費用計上したらいくらくらいになるかを把握するところまではなんとかできたとして、仮に(例えばそれがベンチャーっぽい上場企業で、非常に株価のボラティリティが高くて、前述のトレンドマイクロさんのように、とんでもない額のコストになっちゃったというような場合)、ストックオプションの設計を見直して、能動的にオプションバリューを抑えたり、といったことができるかというと、これはさらに難しくなると考えられます。
オプションバリューを小さくするために容易に思いつくところとしては、無駄に長い行使期間を実際に行使されそうな期間に縮めるとか。(未公開のベンチャー企業なら、公開が延びたときを考えて長めに取っておく必要もあるかもしれませんが、既公開企業であれば、[株価がちゃんと上がれば]、税制適格で決議後2年以降の行使期間を短めに切り上げる、とか。)
または、年間に行使できる期間を制限する、とか。(インサイダー取引規制との関連で、四半期決算発表後の数日のみ行使可能、といった制限を社内規則でかけている企業も多いはず。)
(ただし、ブラックショールズ式は、もともと満期日のみに行使可能なヨーロピアン・オプションの計算式なので、税制適格の2年経過後ずっと行使可能なアメリカンっぽい設計のストックオプションの場合、もともとブラックショールズで単純計算したバリューより高い・・・か。)
また、何年にもベスティングする分をまとめて発行するのではなく、1年に行使する分づつ発行したら、全体としての費用計上額は小さくなりますかね?
とにかく、複雑な条件を入れてオプションバリューを小さくしようとするのはいいですが、ブラックショールズで単純計算ではなく、多項モデルをいじくってシミュレーションするスキルが必要になるんじゃないかと思います。
いずれにせよ、「ストックオプション入門」みたいな入門書から読み始めて、上記のようなシミュレーションで自社に最適なストックオプションの設計にたどり着くには、はるかなる道のりが待っていそうです。
税務
で、この費用計上されたストックオプションのコストは、税務上どう扱われるか、というところも注目なわけですが。
「旬刊経理情報」(2006年3月10日号)に掲載されていた記事
http://www.kpmg.or.jp/resources/newsletter/tax/200603/01.html
によると、「改正の詳細は3月末に公布される政令等により明らかにされることにご留意いただきたい。」ということで、近々公表されるはずの政令などを見てみないと明らかなことは言えないようですが、この筆者の村田美雪氏(KPMG税理士法人 税理士)によると、
・会計上費用計上するときには費用計上した額(オプションバリューより計算)については、税務申告書で加算(留保)(つまり、損金算入しない)にしておき、
・税制非適格なストックオプションについてのみ、「行使時」に損金計上。 (つまり、税務申告書で減算[留保]。)
・税務上損金算入できるのはその会計上費用計上されたオプションバリューと近い感じになるのではないか?(詳しくは政令を見ないとわからないが。)
・役員報酬の損金不算入に該当するかどうかも、政令を見てみる必要がありそう。
という感じになるのではないか?とのことです。
(非常にざっくりした要約ですので、ニュアンスが違ってたらすみません。)
従来から、税制非適格なストックオプションは、もらう従業員などには、行使時の時価と行使価額の差額が給与として総合課税でドーンと課税されるのに、法人側は全く損金算入できないというのは国税庁のボッタクリじゃないかと思っていましたが、オプションバリューから計算される分(一概にはいえないが、株価が順調に上がっていたら個人が給与として課税される額よりはかなり小さい額かも)については、「損金算入させてやるよ」、ということのようですね。
(そもそも、オプション理論的には、「取締役等が受ける経済的利益」というのは、オプションを無償で付与された時のオプションバリューだけのはずで、その後の株価の上昇によるキャピタルゲインまでなんで給与として課税されないといけないのか、という気がしませんか?
例えれば、株式の第三者割当増資を借入で購入して株式は一定期間ロックアップされているのと経済的にはほぼ同じことなわけで。後者は明らかにキャピタルゲインは分離課税なわけです。)
税制適格なストックオプションについては、引き続き、「行使価格と売却時の時価の差額をキャピタルゲインとして分離課税で10%しか課税しないんだから、法人側で損金算入できなくても文句言うな」、という趣旨でしょうか。
ちなみに転換社債について
上述のように、ストック・オプションについてはオプションバリューを計算しなければならなくなるので、本日CBについての処理の話をしていたときに「ハッ」として、CBについてもオプションバリューを分離しないといけなくなったりしてなかったかと思って、「ストック・オプション等に関する会計基準」等と同日の平成17年12月27日付けで公表された、「会社法による新株予約権及び新株予約権付社債の会計処理に関する実務上の取扱い」(実務対応報告第十六号)をあわてて読み返して見たのですが、
一定の条件を満たす(いわゆる転換社債っぽい条件になってる)新株予約権付社債については、払込金額を新株予約権の対価(つまりオプションバリュー部分)と社債部分に分ける「区分法」だけでなく、社債と新株予約権に区別せずに合計で(普通社債のように)処理する「一括法」も、認められています。
(つまり、従来の「新株予約権及び新株予約権付社債の会計処理に関する実務上の取り扱い」(実務対応報告第一号)と基本的には同様です。)
会社法では、新株予約権(のオプションバリュー)は「純資産の部」に計上されることになったので、「区分法」を採用した場合には、純資産が増加することになるのが今までと異なりますが、CBの場合には(ストックオプションとは違って)面倒なオプションバリューの計算をしなくていいですよ、ということであれば、あえてそんなことをするやつはいないので、みなさん一括法を採用して、特に大きな問題は発生しない、ということになるんじゃないでしょうか。
想定される展開
さて、ストックオプションの費用計上の方に戻りますが。
人間というのは、ある一定以上のややこしい事態に遭遇すると、脳のブレーカーが「パチン」と切れる生物なわけです。というわけで、前述のように、企業の会計や財務担当者が今まで遭遇したこともないほど複雑な事態に直面した場合、今後、企業がとる最も可能性の高い施策は、「ストックオプションの発行はやめちゃう」(笑)ってことじゃないでしょうか。(もちろん、「専門家にコンサルを依頼する」という正攻法を取られる企業もあるかと思いますが。)
ストックオプションを発行する上場企業の株主総会にいくつか出席しましたが、ストックオプションは必ず「悪者扱い」で、株主の方々から、「俺たちの株が希薄化しちまうじゃねーか!」という質問が集中して浴びせられます。
本来は、その希薄化する割合とか現金のボーナスでインセンティブを与えるのとどっちが企業の業績が上がるのか、等を総合的に勘案すれば、ストックオプションを付与した方が株主のためにもなるケースもあるはずですが、ほとんどの株主の方は単純に「希薄化=悪」と思っておられるようですし、議案の原案に対し「否」と投票する比率が最も高いのも、ストックオプションの議案かと思います。
これでもし、巨額の費用が計上されてしかも損金算入できないなんて理解が浸透したら、株主の「ふざけんな!」という反応はさらに強まるかと。(「新株予約権」で自己資本が増えるというようなことは、多分、脳に入っていかないはず。)
経営者としても、株主総会で「このストックオプション発行による当期の費用計上見込額は○○億円になります」なんてことを親切に説明したら、火に油を注ぐ結果になりそうですし、説明しなかったら説明しなかったで、株主としては「なんかすごい費用が計上されることになるかも」と不安でしょう。
さらに、経理とか財務部門の若手のスタッフはストックオプションについて理解してても、株主総会の壇上に立つ社長とか経理担当重役とかがどこまでうまくストックオプションのメリットについて説明できるかは、また別かと思います。
また、もともと日本の銀行とか重厚長大産業の大半の企業は、社員にストックオプションを付与するなんてことはしてこなかったわけです。ストックオプションを付与してきたのは、ベンチャー的な企業の比率が高かったでしょうし、そういう企業の方が実質的なオプションバリューが高いからこそ、それを付与することがインセンティブにつながったわけで。
アメリカでもアップルなど、エクイティでのインセンティブをやめて、キャッシュでのインセンティブに比重をシフトしている、という報道もあります。
一方、ストックオプションをやめて、現金で株価等の業績も含めた賞与を支給することにしたら、株主からは何も言われない可能性が高い。(たとえ、そちらが結果的に株主に不利になるとしても。)
結果として、この6月の株主総会では、ストックオプションの議案は、とんと目にしないことになるかもしれません。
最悪のパターンは、例えば12月決算でこの3月末の株主総会でストックオプションの発行を決議して、あまり深く考えずにボヤボヤしているうちに、取締役会の付与決議が5月以降になってしまい、付与した後に計算してみたら、ものすごい費用の額になって顔がサーっと青ざめる、という企業かと。
ちなみに未公開企業の場合
未公開企業については、株価の市場価格もなく、見積もりが困難だろうということで、
「ストック・オプションの公正な評価単価に代え、ストック・オプションの単位当たりの本源的価値の見積もりに基づいて会計処理を行うことができる。」(ストック・オプション等に関する会計基準 第13項)ということになってます。
たいていの未公開企業は、税制適格ストックオプションの要件に合致するように、行使価格を時価以上に設定している(つまりat the moneyまたはout of the money)でしょうから、本源的価値=費用はゼロということになることが多いはずです。
というわけで、未公開のベンチャー企業については、引き続き、ストックオプションで、いい人材を採用することも可能なんじゃないかと思います。