変貌する現代会計

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先日、放送大学にハマっている、という話の中で、駒澤大学の石川純治教授の「現代の会計」という授業がいい、ということを書かせていただいたところ、生徒さん?経由で石川教授に「こんなこと書いてるやつがいる」という話が伝わったようで、わざわざ石川教授からお礼のメールをいただくとともに、ご著書、「変貌する現代会計」

変貌する現代会計—その形と方向
石川 純治
日本評論社
売り上げランキング: 231996

を送っていただいきました。
また、先生のホームページの「時事会計教室」No.39 旧長銀事件裁判と「公正な会計慣行」−法と会計−(2008年9月)の追記にも、わざわざ、

なお、この岸田論文への興味深いコメントが磯崎哲也事務所のブログ(10月22日稿)に 掲載されている。特に、本文で「『公正な会計慣行』とは」でも触れたが、会計「慣行」と 会計「基準」についてのコメントを参照されたい。また、「成文法」に根ざす法体系と英米法的な考えに根ざす会計とはそもそもなじみにくい性格をもつとする点、またよりオープンな方向性はないのかといった点は、きわめて共感できるところである。もともとなじみにくい性格のものを成文法のなかで“無理にも”解かねばならない、その「なじみにくさ」が裁判の難しさを反映しているといえないか。いずれにしても一読をお薦めするブログである。

と、書いていただきました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

さて、本書は、会計に限らず企業活動に関わる仕事をされている方は購入して読む価値のある本だと思いますが、この本で石川教授が読者に伝えたいことは、私なりに愚考しますに、「会計の本質」ではないかと思います。


前にも申し上げましたが、日本は「これこれのルールに違反するからソレはやっちゃだめ」と、ものごとを「成文法的に理解」する傾向が強い国だと思います。このため、一見難しく見える「減損会計」とか「ストックオプション会計」などについては、細かいルールがあるので、がんばれば対処できる能力がある人が意外に多いと思います。
しかしながら、「会計とは何をするものなのか」「会計はどう変化しつつあるのか」といった「会計の本質」について理解して判断しているる人は、どれくらいいるんでしょうか。
会計士や税理士といった職業会計人も、「退職給付会計の、これはどう考えればいいんですか?」「改正された新減価償却制度において、これはどうやって処理すればいいですか?」といった個別具体的な問題については、もちろん、極めて適確な答えが返って来る方がほとんどではないかと思います。
しかし、そういったプロでも、「会計の本質」がきちっと説明できる人というのは、かなり少ないんじゃないでしょうか。
「本質」といっても、「継続性の原則は守らないといけませんよ」といったレベルの本質がわかってないというプロはいないはずで、本書で問うている「本質」というのは、もうちょっとハードボイルドなものかと。ただ、そういった意味での「本質」は、わかっていなくても、日常業務のほとんどはこなせてしまうわけです。
しかし、そうした「本質」がわかっているのといないのとで大きな差が出て来るのが、「裁判」という状況であり、ライブドア、日興、長銀といった、「ギリギリの」判断が求められるような状況、ということではないかと思います。
法律の領域では、例えば、大手の法律事務所に質問すると、「ま、こんくらいの落としどころでええんとちゃいます?」くらいの回答が欲しい時でも、1ページに脚注が10個くらい付くようなメモが出てきたりするわけですが、特に(日本の)法律専門家は、そういった「学説Aだとこれこれ」「○○論文の△ページの記述によると、これこれ」「データによるとこれこれ」といった論拠を隙間がないくらい積み重ねた論証をしないと納得してもらえないかも知れません。
ところが、会計士というのは、あまりそういうモノの考え方はしない・・・はず。
もちろん、監査対象の企業に対しては、「売掛金については、統計的手法に基づき○件をサンプリングして、回収率は○%でした」といった監査手続についてきちんと説明していただけるわけですが、学説や他社比較データを列挙して、「だから、これは一般に公正妥当な会計原則に従っていると考えられます」といった意見形成の過程を克明に記載したメモなりレポートなりが出てきたというのは、あまり見たことがない。
さらに株主等には、決まり文句の監査報告書1枚しか開示されない。
また、会計士協会の倫理規則もあって、そうした「意見書」を第三者から取得するといったことも困難だし、実際、そうした風習も無い。
もちろん、特に大手の監査法人ともなれば、そういった学説や様々な会社の経験を踏まえた方が審査プロセスに入ってらっしゃると思うので、前述のような明示的な論拠の積み重ねといったエビデンスが実際に作成されているかどうかはさておき、実質的にそれと同様の結果が担保されることにはなっているのではないかと思います。(もちろん、そういった審査プロセスもブラックボックスなので、ほんとにそうなのかどうかは、部外者としては何とも言えませんが。)
また、「一般に公正妥当と認められている」ためには、「多くの会社でそうやってます」というのが一つの強い論拠になりうるわけですが、守秘義務もあるので、具体的にそのへんを明記したものを外部に出すというわけにもいかない。
また、例えそれが示せたにしても、長銀事件のように、「他もみんなやってます」というだけでは、「公正ナル会計慣行」なのか「赤信号みんなで渡れば怖くない」にすぎないのかは、第三者には説明しづらいわけです。
「税務」というのは紛争と表裏一体なので、「税務の本質」について考察している実務家は多いんじゃないかと思いますが、「会計」というのは普通はあんまり紛争に巻き込まれない性質のもの。
結局、会計士というのは、「本質に遡って第三者に対して論拠を示す」という作業を日頃やってないし慣れてないので、いざ裁判などになったときに、第三者に「なぜそう考えたのか、理由を示せ」と聞かれた時に、「グッ」と答えに窮してしまうことが往々にしてあるのではないかと思います。
(これは、会計士があまりモノを考えてないとか、いいかげんな判断をしているから、というわけではなくて、裁判官が、「誰もが納得するように、判決の根拠を詳細に示せ」と言われても困るんじゃないかと思われるのと同様[つまり、万人が納得するようなロジック集があってすべての紛争等がそれで必ず解決できるのであれば、裁判所なんていらないわけで]、そもそも会計の判断というのも、そういう面もあるものなんじゃないかとも思います。)
一般の企業も他人事ではなくて、一般に公正妥当と認められた会計原則に準拠した計算書類を作成する一義的な責任は経営陣にあるわけですから、「監査法人がチェックしていたので大丈夫だと思いました・・・」というのは理由にならない。
会計士というのは堅い人間が多いので、明確な会計上のルールに違反しているといったことが問題になるのは意外に少ないはず。いきおい、裁判になるのは「本質」が問われるようなケースが多くなるし、それもあって、怠りがちである「本質とリンクさせて考えるということ」は、昨今、重要性を増しているのではないかと思います。

ということで、前置きが長くなりましたが、本書はそうした昨今の会計の「本質」を考えてみるのに非常にいい本なのではないかと思います。
本書は、ややこしい仕訳が出て来るわけでもないし、難しい会計基準の文言がならんでいるわけでもなく、Q&A形式で書かれているので、一見平易に見えます。
しかし、前述のような理由から、ある意味、会計専門家にも難しい本とも言えます。また、経営、財務や経理関係の仕事をされてるなど、会計にある程度自信のある方こそ読んだ方がいいかも知れません。
第1章の注釈(3)に、

ちなみに、私がアメリカにいたときにPh.Dコース(博士課程)の学生たちに「シュマーレンバッハ」の名前を知っていますか、と聞いたことがあります。驚いたことに、全員がその名前の誰かも知りませんでした。「アメリカで、経済学や統計的知識をもつが会計学の経験がほとんどまたはまったくない会計学教員が増加した」(石川他訳『会計学・財務論の研究方法』同文館、1995年、104ページ)、ということもまでも日本に輸入されるようでは、これまでの理論的蓄積は何であったのか、真剣に考えるべきであるように思われます。詳しくは、筆者のホームページの「講演」コーナーでの「会計研究のアンビバレンス」9ページ参照。

と書かれていますが、告白しますと、私もシュマーレンバッハの名前や「動態論」と関連がある人くらいのことは知ってますが、それ以上のことはあまりよく存じません。
前に、「会計士が一般に公正妥当と認められる会計原則と考えるものが、一般に公正妥当と認められる会計原則」という考え方をご紹介しました。確かにそういう側面はあるのですが、それが単なる「みんなで渡れば怖くない」でないためには、やはり、「理論」と碇でガッチリつながってる必要があると思います。
とはいえ、働いてらっしゃる方は、「シュマーレンバッハなんかまで遡ってるヒマなんかない」という方がほとんどでしょうから、そうした古典を含めて研究している研究者の方の著書で済ませてしまうというのは、手頃で現実的な解ではないかと思います。そういう(不純な)目的のためにも、本書はいい本ではないかと思います。
日頃、「実務的・成文法的な会計」に囲まれて暮らしている方々には、本書は、「どっちでもいい議論をしている」「哲学的すぎる」と感じられる向きもあるかも知れません。でも、今まで述べて来たとおり、そういったことも少なくともたまには考えておく必要があるのではないかと思います。また、前述のとおり一見平易に書かれているものの、「日頃使ってない部分の脳みそ」を使うので、脳みそがちょっと筋肉痛を起こすかも知れません。
そうした場合は、現在放送中の放送大学の授業「現代の会計(’08)」とセットで読むことをお勧めします。
放送大学の授業は本書に書かれていることと重なっている部分も多いですし、概念的で本質的な話ほど、人の口から直接言葉で聞いた方がわかりやすいかも知れません。
現代の会計は、大きな流れとして、会社の多様な利害関係者に対する開示のためのものから、投資家の判断の有用性といった概念に引きづられて、大きく変容してきているのではないかと思いますが、サブプライム危機以降、いわゆる「アメリカ的な投資家至上資本主義」的なものの見直しが(いいか悪いかさておき)唱えられはじめている昨今、今後の会計の姿がどうなるのか、いろいろ思いを巡らせながら読むのもよろしいかと思います。
ご参考まで。
「変貌する現代会計」

変貌する現代会計—その形と方向
石川 純治
日本評論社
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目次
1.「企業会計原則」と今日—議論の出発点
2.金融商品会計と「企業会計原則」—「実現」の内容拡大で説ける?
3.退職給付会計と「企業会計原則」—「発生」の内容拡大で説ける?
4.変容の全体的捉え方—3つの見方
5.資本維持と全体の見方—資本・利益計算の全体はどのような構成になるか
6.会計枠組みの今日的変容—異なる枠組みの併存と交錯
7.変容の構図—その形と方向
8.新たな会計秩序を求めて(1)—「企業会計原則」と新たな概念フレームワーク
9.新たな会計秩序を求めて(2)—歴史の文脈で
10.トライアングル体制の変容(1)—企業会計と商法改正・新会社法
11.トライアングル体制の変容(2)—企業会計と税法
Epilogue「会社とは何か」と会計—誰のための会計か

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