本日の横浜方面鉄道大混乱で考える「ブラックスワン」

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今日は、横須賀線が止まったせいで、京浜東北線の線路上を乗客が歩いて京浜東北線も止まり、東海道線や京浜急行や東横線にも人があふれて、どの路線も大幅に遅延して、道路にまでタクシーやバスなどの代替手段を求めて人があふれ返るというものすごい状況になってしまいました。

これも、一種の(軽い)「ブラックスワン」

 

ブラック・スワン[上]—不確実性とリスクの本質
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ということになるのかも知れませんが、「ブラックスワン」というのは「予期できないこと」ということでしょうから、

「もし、予期できないことを予期できていれば、これほどの混乱は起こらなかったかも知れない・・・」

という言明は、定義から考えて明らかに矛盾しています。

予期できないからこそ「予期できないこと」なのであります。

もちろん、鉄道各社の間で、非常時の振替輸送の連絡態勢をあらかじめ構築しておくとか、ある程度そういう事態を想定して対策を打っておくことが可能な部分もあります。
しかし、万が一路線が2つ同時に止まっちゃった場合、あふれた乗客を他の路線に流してスムースにさばききれるわけがない。
なぜなら、普段は使わない線路や列車を予備で用意しておくのは、経済合理性を欠く(ムダだ)からです。

より一般論的に考えても、「予期できない」ケースに対して、現在かかっているコストの何割にもなるような余分な「キャパシティ」を用意しておくというのは、発達した市場経済の下での大企業の行動としてはありえません
(そうした「予期できない」ケースが発生する前に、コスト競争に負けちゃう可能性の方が高いと想定されるからであります。)

つまり、「予期できない」といっても、世界の金融機関等が何も考えていないわけではなく、
「パンデミックが発生して、金融機能が麻痺したら」
「関東で大震災が発生したら」
といった、発生の確率が低くいが万が一発生した場合に甚大な被害が想定されるシナリオに対応した「コンティンジェンシープラン」は(一応)立てているわけです。

しかし、そういうシナリオをいくら想定しても、その甚大な被害を完全にヘッジする方法なんて取れる訳が無い。必ずしも物理的に不可能でない場合でも、前述のとおりそれだけのコストをかける説明がつかない訳です。
(発生確率が想定できないので。)

かくして、そういった「不確実性」を生き延びられるリスク管理やバックアップのコストがかけられる体力のある企業や、(たまたま)そのリスクに耐性のあった企業が非常事態を生き延び、そうでなかった企業は淘汰されることで、特定の領域ごとに寡占化が進んで行くわけです。

しかし、これは「安定した企業が生き残ってよかったね。」で終わる話ではないわけですね。
こうして寡占化が進むことによって、一つの企業が「万が一」コケた場合にその市場や社会全体に与える被害はより甚大になるし、それを回避するためのキャパシティを平時から準備しておくことは、ますます経済的に不可能になっていきます。

「世界の大手格付機関の一つがコケたら」
「世界4大監査法人の一社が、巨額の粉飾に関わってることが発覚したら」
「日本の3大メガバンクの一社が破綻したら」
「日本の大手電話会社の一つの回線がすべて完全に停止してしまったら」

といったことは、発生しないように関係者が細心の注意を払ってはいるものの、それでも、そういったケースの発生確率をゼロにすることはできないし、想像さえもしていなかったような別の大事件が発生するかも知れないし、発生した場合には社会は「受け身」を取り切れるわけがないのであります。

「鉄道」というのはまだ、歩くとか、自家用車を使うとか、タクシーを使うといった代替手段がまだ多い(素朴な)産業かと思いますが、金融とか通信とかいった領域で、そうした「大事件」が発生した場合には、専門性があまりに強すぎて、他の人ではどうしようもないことも多い。

それでも、社会はどんどん専門家しかわからないような複雑でディープな領域に進んで行くんですよね。
なぜなら、「自分しかわからない」「情報の非対称性がある」ということこそが、まさに利益の源泉であり、 私企業はまさに利益を追求するためのvehicleだから、であります。

(ではまた。)

 

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4 thoughts on “本日の横浜方面鉄道大混乱で考える「ブラックスワン」

  1. ブラックスワンの言わんとしている不確実性って、こういうことなんですね。ようやくわかりました。
    池田さんのブログを読んでもいまいちピンと来なかったので。
    これからも難しいことを分かりやすく解説してくれるエントリを期待してます。

  2. 『「事前に」バブルの発生原因の企業や政府等に、それを打ち消すアクションを取らせられる手段(権力・論理力等)を持っているかどうかこそが重要なんではないかと思います。』とか
    「社会はどんどん専門家しかわからないような複雑でディープな領域に進んで行くんですよね。」とのお話ですが、
    それだったら回帰分析を自由に操ることはできなくても、回帰分析程度ならアレルギーなく読める人間(わたしなどです)に手による「プロとアマチュアの間の情報の対称性の穴を埋めてゆく」仕事へのニーズは潜在的に存在するとは思います。
    やはり竹森俊平氏の「資本主義は嫌いですか』の第二部の「学会で起こった不思議な出来事」
    をサーベイされたら、だいたいの論点は既に整理されていると思います。
    2005年8月時点の世界の政策担当者た金融関係者が集った会議で、インドの経済学者ラグー・ラジャン氏が当時のグリーンスパン政策を論理的に整然と批判し、今回のような「ナイトの不確実性」が起きそうな時の対応策を提示しておりますし、このラグー氏の提案もその後はサマーズも遅ればせながらしぶしぶ受け入れております。。
    他の書籍「市場の変相」などなども、既に日本国内で多くの識者から紹介されておることですが、やはり「BIS規制のもとでは、長短金利差の逆転」が「将来の不況を予告している」といった「経済学に古典的な理論」が、やはり、今回の「21世紀の大不況の前触れとして証明された」のです。グリーンスパンは「長短金利差の逆転」はもう古い概念だと、多くの人の警告を無視していました。
    だから、こういった「長短金利差が逆転し始めた時期」に、「ほんのちょっとのボラティリティーで大きなレバレッジを掛けずにはいられないような個別の金融機関(あるいは個別のファンドマネージャー)が、それぞれがそれぞれの利ザヤ拡大の最大化を目指す集団行動(一種の合成の誤謬ですね)を、もう一度コントロールできるように新しいゆるやかな規制を作ること」が今後の欧米の金融界では大きな課題であると思います。
    今後は「長短金利差が逆転し始めたとき、それぞれのCEOやファンドマネージャーたちへの巨額な成功報酬の中に、自社株買いの割り合いをかなりの割合まで引き上げる規制を施す」などの「シンプルかつ新しい緩やかな規制」こそが、大切ではないかと・・・・。
    日本国内のエコノミストの水野和夫は、もう10年くらい、こういった研究を回帰分析を駆使して、研究され続けており、我が家も水野先生からは、ず〜〜っと献本を受けております。
    少なくとも私のブログ記事は、簡単な言葉でしか記していないですが、こういった科学的な裏付けで予測した内容です。
    「たまたま当たった」と磯崎さまから評されるのは、私は大変、心外であり、不愉快です。
    こういった科学的正論への今回の磯崎氏のような反応に似たものは、『多くの人人が当時「神」と崇めていたグリーンスパンが、一部の経済学者によるグリーンスパンへの苦言を無視した精神」に、通じるものがあるのではないかと・・・。
    確かに日本国内では、「たまたま当たっただけです」とお伝えしたほうが、謙虚であると受け止める傾向」はも私にあります。たいていのエコノミストは、「科学的な予測」ではなく、「予想屋」になりさがっていますからね。
    けれども、少なくとも私のブログの場合は、回帰分析を駆使した科学的な立証のもとで、最先端のマクロ経済学による科学的な裏付けを以てして、話し言葉で記し続けたのです。
    もし、当時、私がその正しい回帰分析を使った箇所を自分のブログにコピペしていたら、当時の金融関係のアマプロのブロガーたちの間で、それを真似して、多くのアマチュアの個人投資家をだましていたかも知れません。
    それほど、当時の日本国内でも、金融工学へのうさんくさい信奉者(アマプロ)と、それを崇めるにアマチュアが多す過ぎたのです。
    ちなみに、アフェりえーとでは、専門の学術書はほとんど売れません。
    (では また)

  3. ミクロの金融工学信奉者達が、先端のマクロ経済学者を蔑視したがために起きた「金融大不況」

    今回のアメリカ発金融大恐慌は、グリーンスパンを筆頭に、欧米の「先端のミクロの金融工学信奉者たち」が、「行けユケ」になってしまっておごり高ぶったてしまった結…

  4. 私は、特定の経済理論を主張する立場からではなく、「意思決定者」の観点からの物事の理解の限界の話をさせていただいておりますので、おそらく、話がまったく食い違っているのではないかと思います。
    意思決定者にとって、「本来は予測可能だったにも関わらず、単純な故意や過失のせいでその予測が採用されなかった」のだとしたら、それは「ブラックスワン」ではなくて、「故意や過失」だったということになります。
    もしそうだとすれば、改善策はシンプルで、「同じ間違いを起こさないようにする」というだけです。
    しかし、問題はそんなにシンプルなんでしょうか?
    藤井さん(ないしは藤井さんの推薦される方)の言うことを聞きさえすれば、世界には二度と深刻な危機は発生しないし、世界中の人が今より理想的な社会に暮らせるのでしょうか?
    もしそうだとしたら、今回の金融危機は「ブラックスワン」とか「人間の理解力の限界」の問題ではなく、一部の意思決定者の故意や過失ということになりますし、それが客観的に立証できるなら、その意思決定をした人間は明確に責任を問われることになるかと思います。
    しかし、もしそうではなく、世界の経済に強い影響力がある特定の意思決定者たちが、世の中の何億という人が発言する、相矛盾する意見の中から、
    「日本にいる藤井さんという方がおっしゃる処方箋が正しい選択肢のようだ」
    「藤井さん(ないしは藤井さんの推薦される方)をFRB議長にすれば、問題は発生しない」
    といった正解を必ず見つけ出せる方策(アルゴリズム)が存在しないのであれば、(事後的に、あることが正解とわかったとしても)、その意思決定者の「事前」の立場で考えれば、そうした事後の正解は「たまたま」当たったに過ぎないし、その人にとってはその現象は「ブラックスワン」だったとしか言いようがないのではないかと考えます。
    こういった問題は、
    「わが国に経営判断原則は存在していたのか」
    http://www.tez.com/blog/archives/001309.html
    にも書かせていただきましたが、
    世界全体の経済の問題に比べれば極めてシンプルな一企業の経営の問題ですら、事後的に「当たり前」と思えることが事前には「予期できなかったこと」になるケースが極めて多いですので、個人的には、「世界経済に重要な影響を与える意思決定者」の立場から見て、事前に「日本の藤井さんが、正解を持っている」ということを必ず見抜くことができる方策の一般解というのは、やはり、存在しないんじゃないかと考えております。
    (ではまた。)