夜めしを食いに入ったラーメン屋でふと見ると、目の前の札に以下のようなことが書いてあります。
「大盛り無料」と言っても、誰も、
普通盛りは有料だけど、大盛りは無料
だとは思わんわけですね。
つまり、この店のある商品 i に関して麺の盛りの量 x の価格を表す関数を pi (x)とすると、
任意の i に関して、pi (大盛り)=0
ではなく、
任意の i に関して、Δpi ≡pi (大盛り)ーpi (普通盛り)=0
が成り立つ、ということであります。(ただし、ランチタイムのみ。)
(数式で書いて何の意味があるの?というツッコミは、さておき。)
ちなみに、(ランチタイム以外の)通常のメニューを見ても、「大盛り100円」と書いてあります。
「替え玉 100円」というならわかりますが、「大盛り100円」というのは、よく考えると変でしょう?
(「大盛り+100円」なら、まだわかりますが。)
「大盛り」というのは、「普通盛り」に追加される「差分」のことではなく、「大盛りにされた全体」を表すと考えられるからです。
それが証拠に、「大盛り」のラーメンが出てくるときには、ラーメン屋の店員は、
「へい、ラーメン大盛り、お待ち!」
てなことをおっしゃるわけです。(「差分」だけが出てくるわけではない。)
Macの国語辞典を見ても、
おお‐もり【大盛(り)】
食べ物などを容器にたっぷりと盛ること。また、そのもの。
とあり、「差分説」ではなく、「全部説」をとっていることがわかります。
—
私は、このラーメン屋さんの国語力について文句を言っているのではなく、なぜ人間は、これを一瞬にして「差分」のことだと理解できるのだろうか?というのがよく考えると不思議だなあ、ということでございます。
なぜ、人が「大盛り無料」が「差分」のことだと理解できるかという理由でまず思いつくのは、
今までにそういう例を多数見て来たからだ
かも知れません。(これを「経験説」と呼びましょう。)
しかし。
私は、今までの人生で「大盛り無料」という表示を多数見てきましたので、「大盛り無料という表示を見たことがない人の気持ち」を思い出すことはちょっと難しいのですが、例えば、近所に食堂もない田舎で外食することなしに育った人が、18で東京に出て来て、生まれて初めてラーメン屋で「大盛り無料」と書いてある札を見たとします。
その場合、「普通盛りは有料だけど、大盛りにするとタダになる」と考えるでしょうか?
そうは思えないですよね?
では、その「初めて 『大盛り無料』を見た人」は、
「普通盛りはタダだけど、大盛りにするとタダになるというのはおかしい。」
「 なぜなら、量が多くなると金額が上がるのが普通だから、量を多くすることで逆に価格が無料になることはありえない。」
「すなわち、この場合の『大盛り』というのは、全体ではなく差分を指すと考えられる。」
といった論理的思考を行って、店主の意図するところを理解するのでしょうか?(「論理思考説」。)
「そんなやつぁいないよ」、という感じがします。
では、人は、店主に、
「これ、大盛りにするとタダになる、ということですか?」
と確認して、「違うよ(バーカ)」と言われて、この場合の「大盛り」が差分であることを人生のどこかで学んできたのでしょうか?(「コミュニケーション説」。)
・・・そんなこと訊くやつもいない気がします。
結局、そもそも、この「大盛り」が、全体を指すのか差分を指すのかといったことを考えたことすら無い人が大半なのではないでしょうか。
つまり。
「初めて見る奇抜なデザインの椅子でも、それが座るためのものだと認識できる」のと同様、人は、経験や論理や確認によらずとも、アフォーダンス的に、「生まれて初めて見た『大盛り無料』」でも、それが「差分」のことだと瞬時に理解できるんじゃないでしょうか。(「アフォーダンス説」。)
(よう知らんけど。)
んなことを考えてみるにつけ、人間の脳の認識メカニズムについては非常に驚嘆させられる次第です。
(ではまた。)
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「ランチにはコーヒー又は紅茶が付きます」の「又は」ってのもちょっとアレだ。たぶんすべての人が算数の「又は」と使い分けてる。
大盛り(追加料金が)無料
大盛り(追加料金が)100円
という意味かと思います。
(えーと。)
意味がソレなのは当然なのですが、問題にさせていただいているのは、なぜ、ソレが一瞬にして誰にでも解るのか?ということであります。
(取り急ぎ。)
くだらんことを難しく話してんじゃねー
こういう議論大好きです
「大盛り」というのは、名詞ではなく
省略の含まれた文章と捉えてはどうでしょうか?
大盛りに変更すること
大盛り分の分量を増やすこと
{名詞句になっちゃってますが・・・}
あと、くだらないですが
「ねぎラーメン」とかも
「ねぎをたくさん入れたラーメン」の省略ですよね。
「ねぎでできたラーメン」や「ねぎが少ないラーメン」とは受け取らない。こーいうところも面白いものです。
ライス無料という前提がなくて、大盛り無料というのは店側にどんなメリットがあるのかと考える。
また、大食いチャレンジで無料なら、デカデカと「完食すれば無料」と出してくるはず。
常識ある大人であれば、磯崎論理は破綻しているの一目瞭然なのだが。分からねえかな。
(えーと。)
ライスとか、大食いチャレンジなんてどこにも書いてないんですけど・・・。
「常識ある大人」がわかるのは当たり前ですが、その「常識」というのは、「経験」なのか「論理」から来るのか?・・・もしかしたら「常識ある大人」でなくても分かるんじゃないの?、という話をしてるわけでして。
ちなみに、私はアホですが、他のアルファブロガーの方々がみんなアホということは無いと思います。
(取り急ぎ。)
第一の論証。
45行目。
—この場合の「大盛り」が差分であることを人生のどこかで学んできたのでしょうか?(「コミュニケーション説」。)・・・そんなこと訊くやつもいない気がします。—
メニューに言う「大盛り」の概念は、基準量である”並”の存在があって初めて関係が成り立つ。ラーメンのメニューが”大盛り”一品だけなら、”大盛り”の概念は存在しえない。以上からも比較論から論ずれば
—「大盛り」のラーメンが出てくるときには、ラーメン屋の店員は、「へい、ラーメン大盛り、お待ち!」てなことをおっしゃるわけです。(「差分」だけが出てくるわけではない。)—
は、必ずしも当を得たものでない事は良識のある大人が考えれば分かりきったことだ。
第二の論証。
人間には、元来大人の行動をinprintingする動物特有の本能があり、その行動が合理的かを論理的に判断できるのは、事理弁識能力が備わる十歳前後以降からと言われている。すなわち、生まれながらに論理を持ち得るのではない。付け加えるのなら、君が心理学に言う「生得説」から人間は生まれながらに「論理」を持ち得るとの結論を導き出したのならば間違いである。論理は思考能力の高低やそれまでに与えられた情報により個体差があるからだ。
最後に、君は言葉尻を捕まえることに汲々としているので、お返ししておく。
少なくても隣接法律職のはしくれなら、心理学上の「経験説」よりも法学上の「経験則」を使うべきだったな。
以上。
ご説明どうもありがとうございます。
「言葉尻を捕まえることに汲々としている」わけではなくて、こちらの申し上げたい趣旨を補足させていただいたんですが、癇に障りましたらすみません。
ついでに補足させていただきますと、「生まれながらに」論理を持っているといったことを申し上げたつもりもなくて、「近所に食堂もない田舎で外食することなしに育った人が、18で東京に出て来て」も、恐らく、この場合の「大盛り」が差分のことだと瞬時に判断できるのはなぜなんだろう?と、いう、「ラーメン屋で思いついた素朴な疑問」を書かせていただいたものです。
「新説を発見したぞ」とか「論理的に考えるとこうだ」いったことを主張してるわけでは全くありませんので、念のため。
(ではまた。)
「大盛り」が差分のことと瞬時に判断している、というのが違和感あります。
何かの商品の並盛りがあった上での大盛りなので、メニューが1種類ではないと思うので「大盛り100円」と書かれていても商品が特定しないのでそのまま大盛りラーメンの値段とは思わないです。
「塩ラーメン大盛り100円」ならば、100円か?
と思う可能性がかなりでてきますが、安すぎるのでこの場合も普通盛りを大盛りに変えることだと判断できます。
「塩ラーメン大盛り800円」だと、かなりの確率で間違えそうですが「普通盛りの値段はどこに書いてあるんだよ」ということになります。
>「大盛り」が差分のことと瞬時に判断している、というのが違和感あります。
ということは、
「a」さんは、「大盛り無料」と書いてあっても、すぐには何のことかわからず、店内のメニューを見回したり、論理的な思考をした結果、時間をかけてやっと、「普通盛りを大盛りに変えることが、無料なのだ」と理解できる、ということでしょうか?
(恐らく、そんな複雑なことは何も考えないでも、理解されてるんじゃないかと思うんですが・・・。)
(ではまた。)
やっぱり相場を考慮して判断しているんだと思います。
(1つ前のコメントの)
>論理的な思考をした結果、時間をかけてやっと、
無料であれば、一瞬で完了する判断だと思います。
たとえば60年くらい前の小説とか読んでいる最中に「大盛り100円」という単語が登場したら、その当時の相場・常識がないので普通盛りだと80円くらいなのかもしれないなあなどと、その場合は判断に時間がかかるものと思います。
「大盛り無料」であれば今と同じで、一瞬のうちに判断がつくことでしょう。
私の場合ですが、その昔「ラーメン400円。大盛100円」と書いてある店で(本当に)大盛りの方が安くてトクだと思って頼み、あとから500円取られて「あ〜、なるほど」と学習しました。
なので、そのラーメン屋に行く前に「ランチ大盛無料」の店に当たっていたら混乱していたかもしれないです。
「大盛り無料」とは何かをほげほげと考えてみる。
おもしろそうなネタなので相乗りしてみます。
(長くなってしまったのでコメントではなくトラックバックで)
iSOLOGUE 「大盛り無料」とは何か
…
「しょーもない」事を分析して、まさにisologueの真骨頂!と楽しくエントリーを読みました。
『ランチタイム』
大盛り無料(麺のみ)
というのを見て、「たっぷり盛られた麺だけを頼むのはタダ」と思わないのは、コミュニケーションと経験によるものではないかと思いました。
極端な話、ラーメンという単語を知っていて「大盛り」「並み盛り」の意味を知らない異国の方は、『じゃ、安い方で』と考えてとむけんさんの様になるのでは?(笑 (さすがに無料だと相当悩むでしょうが。)
「大盛り」とは、「並み」に追加するオプションである というのは、経験(失敗)やコミュニケーション(周りの様子)から感じ取るものなんじゃないかなぁと。
大抵は、「大盛り+○○円」と表示してあるお店に遭遇して事なきを得ているような。
はじめて投稿させていただきます。
ブログもメルマガもいつも楽しく拝読しています。
個人的には論理思考説だと思ってました。
もちろん、上記の理屈が頭の中で全部文字化された上で「うん、納得!」というわけではないですけど、直感的に上記の論理的思考が思い浮かぶんじゃなかろうかと。もちろん、人それぞれだと思いますけど。
しかしブログって大変ですね。
みなさん、コメントありがとうございます。
とむけんさんの「実体験」の例があると、がぜん、「経験説」が力を持って来ちゃいますね。
たかい
しみずさん、
メルマガまでご購読、ありがとうございます。
はい、ブログって大変・・・・な面もあるのですが、これに慣れてると、メルマガ(という、より「古典的」なメディア)は、インタラクティブ度がより少なく、読者からのレスポンスが小さいので、それはそれでさみしいのであります。:-)
(ではまた。)
コンテキストの光と闇
ふと気がつくと、たいしてエントリを書いてもいないのに、ここ3カ月のテーマがブック
日本人だけで考えるから、話が難しくなるだけです。
単に、日本語の特性です。
無洗米を、中国人が見て、嫌な顔して買うのをためらっていました。
で、私は、普通に、レジで中国人の後ろに無洗米をもって、不思議な顔と、興味を引いたようです。
中国人は、汚い米と判断したのでしょう。
日本人は、研がないでいい米と判断できる。
日本語は論理的でないというだけなんでしょうね。
ガソリンスタンドでレギュラー130円とか書いてあったら、それで満タン入れられると思うわけ?
小さいころはスーパーで肉とかバナナがグラムで表示されているのを知らなくて安い!、けど買ってみると高い?と不思議に思ったこともあるかな
上のほうに出ていたけれど脳内で間の文章を補っているだけでは?
経験説になるのかな(単独ではなく記事の分類なら他の説も混ざっていると思う)
慣習で省略された言葉に論理的な構造を求めても意味ないと思うが。
あと最後まで読めば書いた本人は理解していると分かるが、
それでも文章自体にトゲがあって反感が出やすい感じがする。
コメントの「(えーと。)〜〜ですけど・・・。」みたいな書き方も
炎上しやすいタイプ
『大盛り料金無料』等と書くべきであって、
料金の部分が抜けていて日本語としておかしいが、
大抵の人は日本語が誤っていてもちゃんと解釈してくれる。すごいなあというのなら分かりますが、
いきなり差分論を展開させるのは、りょっと論理が飛躍しすぎている気がします。
「認識」の面白さと凄さ
これ、やっぱり不思議なんですよね。 isologue – by 磯崎哲也事務所: 「大盛り無料」とは…