3月10日の東京大空襲に比べればあまり知られていないですが、本日5月25日は弊事務所がある表参道も爆撃を受けた山の手大空襲の日です。
Wikipediaの「東京大空襲」の項による説明は以下の通り。
それまで空襲を受けていなかった山の手に470機ものB29が来襲した。皇居も被災し宮殿が焼失した。これにより死傷者は7415人、被害家屋は約22万戸と3月10日に次ぐ被害となった。 また当時、東京陸軍刑務所に収容されていた62人のアメリカ人捕虜が焼死している(東京陸軍刑務所飛行士焼死事件)
この山の手大空襲についての手記をまとめた「表参道が燃えた日」(「表参道が燃えた日」編集委員会)という本があります。
残念ながらAmazonでは取り扱っていないですが、表参道の角にある山陽堂書店さんで求めることができます。(現在、改装で休業中)
その夜の爆撃で、表参道の交差点は焼け焦げた遺体の山になり、今もある大きな石灯籠には、焼夷弾で燃えた方の油で体の形のあとが残ったとか、
当時の安田銀行(その後富士銀行、現在の みずほ銀行青山支店)の入り口に火を逃れる人が押し掛け、折り重なって亡くなっていたとか(山陽堂書店さんは建物を解放して中に逃げ込んで助かった人がいるようですが、安田銀行はドアを開けてくれなかった、という記述もあります。銀行の中に人を入れて略奪やパニック等が発生した場合を考えた究極の選択だったのかも知れませんが)、
表参道を逃げようとして、焼夷弾の油で路面がすべるくらいだったとか、
小学生が明治神宮まで逃げようとしたものの、吹き上げる火災の風で表参道を下れなかったとか、
遺体をトラックに山積みにして運んで、青山墓地の北(現在の都立大田桜台高校)の土地に大量に埋めたら、その後の夜、リンが燃えるのが遠くから見えたとか、
・・・・凄惨を極める状況が、体験された方々の手記として書かれています。
今はおしゃれな店が立ち並ぶ表参道・青山地区からは容易には想像できないですが、同書には当時の地図も掲げられているので、今の店や団地、学校等が当時はどうなっていたのか、対比すると、今の表参道の生活のありがたさが身にしみて感じられます。
毎年5月25日には、表参道交差点の細い道を入った所にある善光寺さんで法要があるとのことですが、今朝、犬の散歩の際に見てみたところ、特に掲示はされていませんでした。(一般の人には案内していないのかも知れないですね。)
ご参考まで。
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この歳までこの空襲について全く知りませんでした。
昨年、かかりつけの接骨院で御婦人がこの空襲のことを話していたので知ることが出来ました。おそらく、数年後にはこういう具合に直接知ることができる機会も失われていくのだと感じました。