本日も忙しそうなので、引き続き歯のネタで恐縮です。
私が小学生の時に、「抜けた乳歯をサンプルとしてご提供下さい」と依頼があって、乳歯が抜けるたびにそれを小学校に持って行った記憶があります。
奥さんに聞いたら「私はそんなのやらなかった」とのことですが、うちの学校(杉並)だけだったんでしょうか?世代差?
乳歯が生え替わる頃ですので、その時は何のこっちゃよくわかりませんでしたが、あとで聞いたウワサでは、当時米国やソ連や中国が大気圏内核実験をやってたので、歯の中にその放射能がどのくらい蓄積してるかを調査していたとかいなかったとか。
今ググって見たら、確かに私の世代は出生以降幼少期に放射能浴びまくりだったようですね。
「大気圏内核実験当時の体内放射能とチェルノブイリ事故後の体内放射能」
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/09010409_1.html1961年から1962年にかけて米国とソ連が行った大規模の大気圏内核実験による体内放射能が最も高かったのは1964年10月で730Bqであった。一方、チェルノブイリ事故では1987年5月に体内放射能は最も高い60Bqとなった。この体内放射能には大気圏内核実験の放射性セシウムが20Bq程度残っていた。正味のチェルノブイリ事故による体内放射能は40Bqである。また年間の平均で比べると、大気圏内核実験は510Bq、チェルノブイリ事故による正味の体内放射能は約5%にあたる23Bqであった。
中国も大気圏内核実験を行った。1964年から10年以上にわたり繰り返し日本から近い場所で行われ、何回もそのフォ−ルアウトにより日本の環境が放射能汚染を受けた。そのため、この大気圏内核実験の体内放射能への影響は1961年から1962年の米国とソ連による大気圏内核実験とは日本人の体内放射能への影響のしかたがいくらか違っていた。つまり、その影響は1961年から1962年の大規模な大気圏内核実験の影響が減ってきた1967年頃から目だち始めて、日本人の体内放射能の減る早さが小さくなった。さらに時期によっては、体内放射能が増えた。しかし、1961年から1962年の米国などによる大気圏内核実験よりも影響は小さく、体内放射能が185Bqを超えることはなかった。チェルノブイリ事故の直前には約20Bqまで体内放射能が減少した。チェルノブイリ事故による体内放射能への影響はさらに小さかった。放射性セシウムの日本人の体内放射能への影響の大きい順に並べると、米国とソ連が1961年から1962年に行った大気圏内核実験、中国が行った大気圏内核実験そしてチェルノブイリ事故となる。
北朝鮮が核実験やるとか報道されてますが、さすがに大気圏内ではやらんでしょうし、やったとしても、子供の頃にそれだけ浴びてりゃ今さらどうってことないかも。
「♪どんなに大人になっても、僕等はアトムの子供さ」(by 山下達郎)
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