「さんくす」さんよりコメントいただきました。
会計士逮捕についてもコメントお願いします。一応会計士の方なので、パソコン壊れたというお話もいいんですが、業界の事件についてはご意見伺いたいですね。
今週は、大きめの(中間)クロージングが一発とパソコン環境のリカバリで終わってしまいましたが、それでは、ご要望にお答えいたしまして、「一応会計士」の不肖私めが、感じたことを書かせていただきます。
ただ、カネボウの件について逮捕された会計士個別の話となると、「悪い!」の一言で終わってしまいますし、今後どうすればいいかについても、ローテーション制や監督機関の権限の強化、教育や審査体制の拡充、といったすでに取り組まれている話で終わってしまいますので、本日はちょっと角度を変えて、より「マクロ的」「構造的」な視点からの話をば。
事後チェック型社会と監査
言うまでもなく、「事前規制型の社会」から「事後チェック型の社会」に移行する場合、「監査」という機能は必要不可欠なわけです。
明治以降、高度成長期までのような、単純で方向性が明らかな社会においては、一部の官僚等が大きな方向性を示すことが有効だったわけですが、これだけ社会が複雑化してくると、「入り口」での規制は無理になってくるわけで、「走ってる途中でのチェック」が重要になってきます。
郵政民営化も(機能するかどうかはさておき)この流れの上に乗るものでしょうし、会社法で最低資本金がなくなるのもそうかと思います。商法の学説でどう理解されているかはよく存じませんが、「資本充実の原則」も基本的には「入り口規制的な考え方」であって、「資本の額」を会社の安全性のインディケーターとして機能させようとする発想に基づくもんじゃないかと想像します。つまり「資本金のデカい会社=安心」という。
最初にいくら資本金があっても、実際走ってみてダメな会社はダメなわけで、重要なのは「パフォーマンス」のはず。企業のパフォーマンスが正しく開示されれば、「資本の額の正しさ」というのは、そのチェック機能の一要素として包含される話になるはずです。
「走ってる途中でのチェック」は何も会計監査だけでなく、取締役(会)や監査役(会)によるチェック機能や、社外取締役の導入とか内部統制をどうするか、等の問題もあるわけですが、そうした機能の中でもやはり、企業のパフォーマンスを直接示す「会計」についての監査は極めて重要です。
ところが、こうした監査法人のビジネスモデルは、他の商売と違って、非常に変わったところがいくつかあるわけです。
法律も認める?情報の非対称性
現行商法では、大会社の監査役会は会計の監査について、会計監査人(監査法人または公認会計士)の監査方法または結果の「相当」性だけを見ればいいことになってます。「相当」というのは、積極的に「よくやった!」というよりは、「ま、いいんじゃないの?」という、ちょっと引いた感じですね。つまりは、現行商法も、会計に関する専門家と一般投資家の間だけでなく監査役との間にも、かなり「情報の非対称性」が存在する、というスタンスではないかと思います。
つまり、商法は、「監査役さん、あなた会計の細かいとこわかります?わからないですよね?じゃ、会計のことは会計士にまかせて、あなたは「相当」かどうかだけ判断していただければ結構ですから」という、ちょっぴり失礼というか、やさしいというか、というスタンスに立っているのではないかということです。
誰のために働くか
そもそも監査法人は、本来的な制度の趣旨としては株主という「principal」のために働いている「agent」であるはずですが、実際にお金をもらうのは会社(被監査対象)から、になるわけです。普通のビジネスでは、「principal」と「お金をくれる人」は一致するのが普通。同じ専門家でも弁護士さんは(やはり情報の非対称性はあるけれど)クライアントのために働いてクライアントからお金をもらうわけです。しかし、会計監査ではそこが食い違ってるわけですね。
医者という職業も、健康保険の存在があるので、そこが(若干)食い違ってはいます。ただ、医療の場合、主として「公」からお金をもらって「私」にサービスしているのに対して、会計監査の場合には、「私」からお金をもらって「公」のために働いているわけです。
おまけに、医者でも弁護士でも「結果」を出せばお客が喜んでくれるわけですが、会計監査の場合、お客が喜んでくれるのは、よほどいい指導をした場合など限られた場合でしょう。(でなければ、それこそ粉飾を大目に見てあげた時などになっちゃう。)ということで、制度の趣旨に反するモラルの危機が(「外形的に」)常に存在するわけです。
報酬とペイオフ曲線
さらに、報酬にアップサイドがないのにダウンサイドが大きい、というところも特徴かと思います。
(つまり、「オプションの売り」と同じペイオフ曲線。)
(特に日本では)、監査報酬というのは最初から決まっていて、いくらよく監査をしてもそれが上限であり、一方、監査がヘボくて会社や第三者に損害を与えた場合には、損害賠償義務が発生するわけです。しかもパートナーは無限責任。つい一昨年くらいまでは、監査法人全体で無限責任でしたが、さすがに最近は案件を担当したパートナーだけ無限責任を負えばいいことに(法律上は)なりましたが。
報酬チャージの方式
先日、某監査法人の代表パートナーと話をしていて、
「なんでアメリカでは一社何千万ドル(何十億円)といった監査報酬が取れるんですかね?監査に対する必要性が社会的に広く認識されているからかしらん?」
という疑問をぶつけたところ、
「いや、アメリカは作業した時間分だけフルチャージできるからですよ。」
とのこと。
つい十年前くらいまでは、日本の大手都銀の年間の監査報酬が数千万円程度だった、というような話を聞くと、どう考えても人件費的に不良債権なんか見つけられるわけもないわけで。orz
被監査会社は(外形的には)監査はテキトーにやってくれたほうがいいはずなわけで、株主と(外形的な)利益相反があるわけです。そういう会社から高い報酬を引き出すにはどうしたらいいんでしょうか。アメリカではなぜフルチャージできるのか不思議ですね。実際、「価格カルテル」が存在したのか、それともやはり「訴訟」でそうなっていったのか。
「情報の非対称性」が存在する中でフルチャージを許すと、逆に今度は被監査会社側がエラい目に遭うので難しいところなわけですが、商法で監査役に強い費用請求権が認められていることを考えても、リスクに応じて監査人の裁量で作業量を増やせないというのは、監査する側にとっては非常に危険であります。
規模と収益構造
次に、こうした会計領域に関わる専門職は、マーケットが「U字カーブ型」の収益構造になると考えられます。つまり、大監査法人とブティックの収益性はいいが、真ん中はキビしくなる傾向があると考えられます。
一定以上の規模がないと、教育やチェックのための体制を維持するのが難しいし、いい人材を採るのも難しくなる。
となると、「少なくとも経済的には」規模を拡大することが合理的になるわけです。(が。)
「信用」がいかに形成されるか?
一般の人から見えるアウトプットが、「監査報告書」という紙切れ一枚である、というところもポイントかと思います。しかも、書いてある内容はほとんど100%いっしょで、違いは、監査法人(公認会計士)の名前だけ。
もちろん、その背後には、調書を作ったり何なりといった膨大な量の作業が存在するわけですが、それはあまり外からは見えないわけですね。
結果として非常に恐ろしいのは、この「ブランド」による信用形成が一瞬に崩壊しかねないところです。
例えば、銀行業で考えてみると、確かに個別の大口貸出先への債権回収が焦げ付いたら損はするものの、銀行への信用が一気に崩壊するかというと、意外にそうでもないんですよね。
ところが、エンロン事件ではアーサー・アンダーセンの全世界の組織が一気に崩壊しちゃったわけです。実際に、アーサー・アンダーセンの会計士数万人のかなりの人が「粉飾大好き」だったかというと、おそらく全く逆で、そういう「悪いこと」をする人はごく一部の人であったはず。
ところが、監査報告書1枚しか外部に公開されないと「監査の品質」というものは外部には全くわからないから、残るは「ブランド」による(実態とリンクしない)「信用」が形成されていくだけなわけですね。
つまり、そういう信用崩壊のリスクは、「大数の法則」で全くカバーされていなかったわけです。
・・・と考えると
監査法人が世界的に再編して、より少数の寡占状態になっていくのは、「U字カーブ型」マーケットやペイオフ曲線(少なくとも「経済的」には「大数の法則」が必要)からして、「必然」であるわけですが、一方、それは、「卵をより少ないカゴに大盛りにする」方向でもあるわけです。
世界全体が「事後チェック型の社会」へ変わっていく中で、その重要なインフラの一つである監査法人の構造がそういうことになっているというのは、すごくコワくないですか?
世界で「2大監査法人」くらいまで再編が進めば(苦笑)、さすがに他に選択肢が無くなるので、そこで再編が打ち止めになって、ちょっとやそっとの事件ではビクともしなくなるのではないかという「楽観的」な見方もできるかもしれませんが。
(本日はこのへんで)
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事後チェック型社会
いつも拝見しているブログで磯崎哲也氏が、カネボウの事件に関連して“事後チェック型
お忙しい中コメントありがとうございました。
「一応会計士」は大変失礼な表現だったと思います。申し訳ありません。
「いわゆる監査人ではない会計士の方」というニュアンスを書きたかったのですが言葉足らずでした。
これから外出しますのでまたゆっくり拝見します。まずはお礼まで。
いえいえ、当方、ホントに「一応会計士」で、監査をガンガンやってらっしゃる方のことを話すのはおこがましい限りですので、まったく失礼じゃないです。
ではでは。
初めまして。
磯崎さんの面白く興味深い話に惹かれ、少し前からお邪魔させて頂いてます。
私は一会計士受験生です(今年の発表待ち)。
自分にも関連するお話だと思ったので投稿させていただきます。
先日、就職活動で渦中の監査法人にも行きました。
しかし「その話題」については触れたくない感じがヒシヒシと伝わりました。
更にそこには他の三大監査法人と明確に違ったリクルートメッセージが…
「我々を改革してくれる人材を求む」
そんな話を聞きながら
「改革の御旗をとりあえず立てる、というのは何処ぞの選挙と同じじゃん!」
と、チャチャ入れたくなりましたが、改革の現実は厳しそうです。
「ウチの部門には関係ない話ですから」
と断言してしまう方もいたり…
人は組織を構成し、組織を体現するというのが少し分かったような気がしました。
では
フツーの商売をしている者として、昔から不思議でした。監査法人はクライアントからお金をもらっていて、クライアントの不利益になるような監査報告書が書けるものだろうか、と。
当該会社の株主がお金を出し合って、より厳しくチェックしてくれる監査法人に委託するようなシステムはできないものでしょうか。
>監査法人はクライアントからお金をもらっていて、クライアントの不利益になるような監査報告書が書けるものだろうか、と。
この部分については非常に誤解を受けやすいので、補足させていただきます。
「報酬とペイオフ曲線」で書きましたとおり、日本の現状だと、「もらえるお金はちょっとで、損失は底なし沼」だと考えられるので、むしろ、クライアントの粉飾を手伝う気持ちがわくようになるほうが不思議とも考えられるんですよね。(「外形的に」と書いたのは、そういう趣旨です。)
私がここで申し上げたかったのは、「全部の会計士がそんなことばっか考えてそうだ」ということではなくて全く逆でして、「ほとんどの会計士はそういうことを考えてないと思うのに、一人、犯罪を犯す人がいるだけで監査法人全体が崩壊するというのは、いったいどういうことなのか」ということです。
公認会計士の憂鬱
カネボウの粉飾決算事件に絡んで、中央青山監査法人の公認会計士4人が逮捕されました。粉飾の事実を知っていたどころか、粉飾のご指南までやっていた、という容疑です。
追い討ちをかけるように、足利銀行が旧経営陣による粉飾決算と違法配当の事件に関連して、同じ中央成..
「粉飾が見つけられなくて何が監査だ」「会計士が株式投資なんかしていいはずがない(じゃあ新聞記者なんてもっと株式投資NGですよね)」など、新聞が無理難題を煽る中で、金融庁の締め付けやら証券取引所からの苦言やら、監査は今世の中で一番割に合わない仕事になりつつあります。
根本には会計士という仕事があまり世間に認知されていないことがあり、監査報酬が経団連等のお力(もありますよね)でどんなに低く抑えられているかということも知られていない中で、「たとえ(時間がかかりすぎて)時給1000円になっても粉飾が見抜けなかったら損害賠償1億でも当たり前だ」の世界になりつつあります。
ありえないくらいの低報酬で高リスクな仕事です。
監査報酬が上がらなければ質のいい監査なんてできるはずがありません。しかも監査報酬があがり監査に時間をかけられるようになって、粉飾が見抜ける確率は高まっても、100%にはなりえません。それは税務調査が脱税を100%見抜いていないのと同じです。
しかも税務調査と違い会計士には反面調査権もない。
(カネボウ事件は会計士が粉飾を知っていたわけですので問題外ですが…)
磯崎さんのようなきちんと意見が言える会計士のブログを読んで、より多くの人が会計士の仕事を知り、一体なにが問題なのかを考えていただくきっかけになればありがたいですね。注目されることで会計士に対する風当たりは強くなるかもしれないですが、その結果厳しいけれどリスクに見合う報酬が得られる仕事、になっていけばいいと思います。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
いつも大胆な発想と鋭い考察力と見事な構成力に唸っています。(うーーー!!)
僭越ながら今回のエントリー、トラックバックさせていただきました。
お金も払っていないのに恐縮ですが、これからもIsologue楽しみにしています。
いまこそ会計士協会会長にしっかりしてもらいたいと思っています。会計監査の目的は不正の発見ではないことを公言してもらいたい。不正はするのは人間であり、不正の発生を防止することはだれにもできません。つまりそれを発見することは非常に難しいということです。取締役に24時間くっついていてもその方の心の中は分りません。
それでは監査は何のためにあるのかということをおっしゃるかたが大勢いるかと思います。昔の自ら企業哲学をもった企業のためにどのように会計処理を行い、情報開示することが社会のためになるのかを経営者とともに考え、ともに成長していくのが本当の監査の姿でであります。今のいかがわしいビジネス社会の中で監査はとてもできないことを会計士協会会長ははっきり言ってもらいたい。新興市場のようなとろころに上場している利益も出せない会社については、監査はとてもできない。リスクが高すぎることをなんでいえないんだよ。かっこつけすぎです。監査するなら今の監査法人は全員公務員とし、法律の下で徹底的にやりましょう。この方が今の若い会計士、これから会計士を目指す人にも励みになるとおもいます。業界の人間として応援しています。