「トロイ」見てきました。
「元祖セキュリティホール(笑)」
って感じですね。
うちの奥さんは、タイタニックを見れば「レオさま〜」、百式の田口さんを見れば「田口さ〜ん」と、しばらく目がハート状態になっちゃう人ですが、今回も案の定、「ブラピさま〜」状態に陥ってます。
それはさておき。
本日、とある企業で話していたら、
「磯崎さん。blogを始めたはいいけど、いろんな人から『読んでますよ』とか言われて止めるに止められなくなって、続けるのがプレッシャーになったりしてません?(笑)」
てなことを訊かれました。
ご心配なく。基本的に私の場合、純粋に自分のためというか、調べたいことを調べて書きたいことを書いて、お気楽極楽にやらしていただいております。
メタ記憶とオープンな社会
私も梅田さんと同じく、blogを書くことで自分の知識が後で検索できる、というところが非常に気に入ってます。
以前、「あるある大辞典」だったか「ホムンクルス」だったか、「単純な記憶をつかさどる脳の海馬は歳を重ねるごとに衰えていくが、メタ記憶をつかさどる前頭葉は脳細胞のネットワークの結合が歳を経るごとに複雑化・高度化していく」という説をTVで紹介してました。つまり、年をとると「あの人、何て名前だっけ?」というド忘れは多くなるが、「似たようなことが○○に書いてあるはず」というようなメタ記憶はより強化されるということ。
今後も当面は、AI的な検索より単純な情報を高速検索する技術の方が進歩するはずなので、知識のオープンな社会は、私のようなジイさまの領域に足を踏み入れかけている者にとっては非常に朗報かも知れません。(つまりジイさまのほうがオープン化社会の「勝ち組」になる可能性もあるかも。)
というわけで、他人の読みやすさとか適度なボリュームとかへの配慮など全くなく、とにかく、思いついたことを書き留められるだけ書き留めることにしております。(すんまへん。)
オープン化に向く知識と向かない知識
また、「私も自分の知識の整理のためにblogに書き込み始めたけど、結局、公開していい情報といけない情報があるので、途中でメゲちゃった。」というような話もよく聞きます。
blogで情報を公開して本人にメリットがあるかどうかは、知識の種類にもよるかも知れませんね。例えば、「刀鍛冶」とか「能」とかクローズドが似合う世界のノウハウは、あまり開示しても開示者にメリットないかも。
ところが、このisologueで扱っている、情報通信とか、法律、税務、会計、財務といった領域は、期せずしてどれも基本的な情報がネット上でオープンになっている度合いが高いものばかり。
しかしながら、情報通信の領域については「オープン」という概念が広く浸透してきたのに対し、法律・税務・会計・財務といった領域は、超過利潤の度合いが従来は非常に高かったこともあり、情報をオープン化しようというマインドが低い領域なのではないかと思います。
(以前のエントリー「弁護士事務所の『オープン化』」参照。)
ただ、要素情報がほとんど開示されてきましたので、今後はどうなるんでしょうか。
「完全情報ゲーム」における知識の価値
つまり、法律・税務・会計・財務などは、マージャンのような「不完全情報ゲーム」というより、将棋や碁のように基本的な情報がすべて開示されている「完全情報ゲーム」ゲームに近いわけです。
ところが、要素がすべて開示されているから誰もが羽生名人に勝てるかというと、そうではない。むしろ情報を完全にオープンにしたほうが、一般人とプロが戦った場合の差が激しくなる。だから、「オープンな社会」というのと「平等な社会」というのは、まったく別の概念かと。(関連エントリー「オープンな社会とベンチャー」)
lattice(的)モデルによる例示
簡単なモデルで見て見ましょう。
あることを行うために必要な局面が10個あって、その局面ごとにさらに10種類の選択肢があるとして。下図の様に、実は、局面1については「3」、局面2について「7」、局面3については「5」・・・というように選択していくと、1億円の価値があることが行えるとします。
このとき、すべての選択肢の情報が詳細に開示されていたとしても、総当りでこの組み合わせをすべて当たると100億通りになっちゃいますので、1つの選択肢を検討するコストが仮に10円だとしても、平均で500億円くらい使わないと1億円にたどり着けない。(というか実際には途中であきらめる。)
これに対して、「3-7-5-4・・・1」という「組み合わせ」を知っていれば、コスト100円くらいで1億円の価値に到達することができるわけです。
情報がオープンな社会でも「ノウハウ」は価値を持つ、ということですね。
ノウハウの価値とリアルオプション
また、上の図を「lattice model」と見ると、ノウハウの価値とは、「局面ごとに正しい選択肢を100%選択することができる権利のリアルオプション的価値である」と考えることもできるのではないかと思います。
総当りの限界と「バカの壁」
また、「バカの壁」の「バカ」という言葉は処理能力自体が低いことをイメージさせますが、上記のように要素の組合せ数が選択肢数のn乗のオーダーで増加していくときには、どんな超高速コンピュータであってもすぐに処理不可能なことになります。(ご参考:「決算公告と宇宙の寿命」)
思考停止しちゃうのは、バカというよりは、非常に合理的な脳の機能とも考えられるんじゃないかと思います。
(トロイのブラピ風に言えば、「神々は人間に嫉妬している。人間の思考能力は有限だからこそ、自分以外の何かを信じて生きていくことができる。」てな感じでしょうか。)
情報のオープン化と火の海のトロイ
前述の例に戻ると、個々の選択肢だけでなく、この「3-7-5-4・・・1」という「組み合わせ」の情報自体もオープンになってしまうと、あっと言う間に1億円の価値が100円になってしまいます。あたかも、トロイの木馬に潜んだ兵士たちによって門が内側から開けられ、あっという間にトロイが火の海になるかのように。
これが「ノウハウ」の価値の恐ろしいところ。
法律・税務・会計・財務といった領域で、今後、そういった現象が起こっていくのか、はたまた資格などの壁に防御されて、そういった現象は起きないのか、非常に興味深いところです。
(以 上)
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お久しぶりにお邪魔いたします。
> むしろ情報を完全にオープンにしたほうが、一般人とプロが戦った場合の差が激しくなる。
オープンとコモデティという問題領域をあれこれ扱っていて、この点が腹に落ちつつある段階なので、非常に響きました。
ウェブのアーカイブからは消えてしまっているのですが、Legg Mason Fundsの敬愛するファンドマネージャー(ファンドマネージャーというよりはビジョナリスト的に)、Bill Millerも講演中で同様のことを口にしています。
特別な情報(インサイダー的情報や情報の獲得速度と反応速度で勝負するトレーダー的な行動)で収益を得るというファンドの運営ではなく、元の情報に差が無いことを前提にファンドの投資戦略を考えている。より高い洞察と視野を持つこと、情報への解釈の力を高めることでコモデティから価値を引き出すのだと。
この話は見方によってはアップルの製品デザイン方針とも共通するところがあって、どの程度クロスしているものなのか自分なりに整理している最中です。
脊髄反射的コメントでした。
SW
>お久しぶりにお邪魔いたします。
いらっしゃいませ。(遅レスですみません。)
「元の情報に差がないのに、差がつく」、というのは現実としてはそうだと思うんですが、実際、理論的に理解しようとすると難しいかも知れませんね。
一つの手としては、発生するその差異を「リスク」「運」のせいにする方法があるかも知れませんが、それだけでは説明できず、「元の情報に差がないのに、差をつけるノウハウ」というものが存在するとすると、そのノウハウまで共有されていれば、差がつかないはずなので。(笑)
ということは、やっぱり共有されない部分はあり、それが競争力の差になっているという考え方もできます。
ヒネた見方をすれば、「オープンな社会」というのは、「みんな条件はいっしょだよ」という社会というよりは、そう思わせられてる(みんなで必死にそう思おうとしている)社会であって、実際にはみんなの条件がいっしょではない。(しかも、初期条件のわずかな違いで、格差もすごく広がるかも知れない)社会といえるかも知れません。
遅レスのわりに脊髄反射的レスでした。
ではまた。