おとといの日経新聞夕刊で編集委員三宅伸吾氏が書かれた「買収防衛策、なぜ話題に?(ニッキィの大疑問)」という記事で、以下のような説明が行われています。
上場株の自由売買の例外
上場会社の株はお金さえあれば自由に買えることが大前提で、この原則を破るのが防衛策だ。例外が許される理由は何だろうか。
一般的には「株主のためにならない買収を阻止する」という理由で、正当化されている。(中略)
株式の自由譲渡性を通じ、証券市場で株価が適正に形成される。変動する株価は経営者の通信簿で規律として働き、ひいては経済効率の向上に結びつく。例外を想定し議論することは必要だが、大原則を忘れてはならない。
「議論をする際に大原則を忘れてはならない」というのには大賛成ですが、はたして「自由譲渡」というのが「大原則」なんでしょうか?
自由譲渡というのは「ルール」であって、「取締役が株主の利益の極大化を考えて行動する」ということこそが「プリンシプル」なんじゃないでしょうか?
(そもそも、買収防衛策があると、取引所で売買が停止されるわけでもない。)
言葉尻を取っているのではなくて、そこの部分がまさに本質ではないかと考えます。
以前もご紹介しましたが、三宅編集委員は3月31日の「法務インサイド」では、買収防衛策を廃止した日本オプティカル社に関連して、
防衛策発動の判断基準は買収実現による「企業価値」の行方だが、委員会メンバーの山口利昭弁護士からは「客観的に把握するのは難しいのではないか」との根本的な疑問も飛び出した。
と、書かれています。
企業価値の判断が数式などで一意に定まってこないというのは確かですが、はたしてそれは「根本的な」ことなんでしょうか?
市場経済の中心は「価格」
「企業価値」というのは「企業の価格」のことです。
そして世の中の商売というのは、すべからく「価格」を決めているわけです。市場経済で最も重要なのは価格なので。
例えば、築地では魚の値段が毎日決定されており、佐賀関の付近の海が荒れれば関サバの値段はあがるし、豊漁が続けばサンマの価格は下がる。ところが、それらの魚の価格というのは、商法などの法令や築地魚市場の規則等の「ルール」をいくら分析しても出てくるものではないわけです。
(先週の中大ロースクールの授業でも、「企業に対する投資というのは、『キャピタルゲイン』というものを狙って行われが、会社法の条文を見ても、キャピタルゲインという概念はほとんど出てこない。しかし、条文に出てこなくても、投資の世界はキャピタルゲインを中心に回っているんだよ。」と、生徒に説明したところです。)
魚屋さんに限らず、八百屋も肉屋も、ソフトウエアの会社も、世の中商売のほとんどは、「価格」を日々判断してます。
築地の魚市場に行って、「魚の価値を客観的に把握するのは難しいのでは?」てなことを聞いたら、「おめえ、何言ってんだ?」と言われるでしょう。
新聞記者や弁護士のみなさんに本日の大間のマグロの価格がいくらが適正なのかがわからないからといって、「マグロの価格決定はアヤシイ」ということにはならない。また、1円単位でマグロの価格が適正であるなんてことが証明できる必要はまったくない。それが「フェアに」決定された価格であればいいだけです。
弁護士さんの論文等を読んでいても、時々、「企業価値というのはよくわからん」といった記載にでくわします。
もちろん、弁護士の方がよくわからないだけならいいんですが、その結果、企業価値の判断を避けるような防衛策が設計されるようになるとしたら、それは本末転倒です。
この「企業価値の判断」という本質から逃げるとどうなるか。
ここのところのエントリで連続して申し上げてきているように、結局、第三者でも簡単にわかる「形式」で判断をしようということになってしまうわけです。
前にも書きましたが、結局は「取締役や特別委員が、株主と利益が相反する『保身』のために買収防衛策を使うようなやつなのかどうか」というところが重要なはず。
買収防衛策の議論は、ややこしい法律がたくさんからんでくるので、どうしても、議論が法律を深く知る専門家内の議論になりがち。
確かに、「取締役や特別委員が、株主と利益が相反する『保身』のために買収防衛策を使うようなやつなのかどうか」というのを見極めるのはメンドクサイんですよね。
だから、取引所とか、機関投資家とか、議決権行使アドバイザーとかマスコミのみなさんも、「一定の要件(ルール)」を決めて、「いい防衛策」と「悪い防衛策」の境界線を探そうとする。「バナナはおやつに入るんですか?」と。
でもいいか悪いかは、最終的には「価格」についての考え方だから、そんなもんが事前に明確にわかるわけがない。で、めんどくさくなると、「買収防衛策は全部保身目的だから、反対」てなことを言い始めます。
サブプライムローンで大損して、「だって格付機関が、いい格付つけてたんだもん。」という話と同じで、AとかBとかいう記号だけで楽していい悪いを決めようという発想について、一歩踏み込んで「まてよ?」と考えてくれるような機関投資家でないと、我々は怖くてお金を預けられない。買収防衛策も同様で、「日経に、『買収防衛策は保身だ』って書いてあるから、保身なんじゃねーの?」と形式的な要件だけで単純に判断されたら、結局、回りまわって損をするのは投資家であり国民なわけです。
毎回申し上げているとおり、私は、現在買収防衛策を導入している日本の企業全部が保身を考えてないりっぱな方々だ、なんてことを申し上げるつもりはありません。
しかし、買収防衛策(ライツプラン)というのは、こうした価格の交渉のフェアさを確保するために要件や特別委員などを工夫して、自律的にフェアな価格の交渉をさせよう、というもののはずです。
ここ数回取り上げた金商法の「負のスパイラル」の話と同様、そういう市場の自立的な判断能力を育成しようとせず、ちょっと太いズボンをはいているツッパリがいるからといって、全生徒のズボンの太さを「校則」で縛っていこうという発想が、まさに、市場経済を機能不全に追い込む考え方だと思います。
企業価値を「ルール」に縛らせてはいけない。 市場の自由度を奪うことは、結果として国家の衰退に繋がると思います。
(ではまた。)
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余り書くと差し障りがありそうですが、ここ最近の防衛関係のお話し、特に最後の一文は深く同意します。
47thさんと同様、あまり書くと差し障りがありそうですが(苦笑)、最後の一文と共に、その直近のパラグラフに深く同意いたします。
先のお二方に続き余り書くとボロがでそうですが・・・。築地市場の仲買さんも目利きのプロとして価値の判断から逃げてはいけないわけです。季節や天候によって市場の暴騰はありますが、全体の水準からみて高すぎたり質が悪ければ、お客さん(お寿司屋さんなどのプロを含む)は誰もそこからは買わなくなって仲買さんはやっていけなくなるはずです。仮にそうでないとするとなぜなのだろう・・・。最後の一文に同意しつつも、こんなことを妄想しています。
この分野の議論を混乱させた者の一人として、反省しつつ、taka-mojitoさんのコメントにコメントします。
上場会社の経営者には、良い経営戦略によって企業価値を高めて、株主を中心とする利害関係人に報いるという任務と、(企業価値には関係なくとも)IRや余剰資金の還元などによって株式の投資価値を高めるという任務とがあって、日本の経営者は一応前者についてはプロで、後者については今のところプロとはいえないということかと思います。(単純化すると)
投資家と経営者の関係は、魚の買主と売主の関係に似ていますが、少し違う部分もあるように思います。投資家のどのようなスタンス・行動が、経営者のプロとしての能力を高めることになるのか、最近の事例を興味深く見守っているところです。
もしポイントがずれていたら済みません。
(超遅レスで恐縮ですが)
>投資家と経営者の関係は、魚の買主と売主の関係に似ていますが、少し違う部分もあるように思います。
私の意図したところは、
経営者は「仲買人」で、魚の買主と売主は、それぞれ株を買う投資家と売る投資家、
ということです。
(念のため。)