「朝鮮王朝の霊廟、宗廟(チョンミョ)」とガバナンス

  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク
  • Delicious
  • Evernote
  • Tumblr

前のエントリ「もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら」のコメント欄で、「日本を含む世界のガバナンスのしくみの歴史について別途まとめたい」、ということを述べさせてもらってますが、その前フリのメモとして。
最近、放送大学以外にハマっているものの一つがNHKの「シリーズ世界遺産100」なんですが、28日に放送された「朝鮮王朝の霊廟、宗廟(チョンミョ)」が、ガバナンス的観点から見てちょっと興味深かったです。
宗廟(チョンミョ)は、ソウル市内にある、朝鮮王朝(李氏朝鮮)歴代の王の位牌を安置した場所で、14世紀の末、朝鮮王朝初代の王、李成桂(イソンゲ)が、儒教を国教とし祖先を祭る霊廟として建設したものとのこと。
建物が、正殿(チョンジョン)と永寧殿(ヨンニョンジョン)の2つあるのですが、

(鹿賀丈史氏の声でお読みください。)
二つある霊廟のどちらに奉られるかは、王の死後の評価で決まりました。
評価の参考にされた朝鮮王朝実録(注:表紙には「正宗大王實録」とある)。ここには、一人一人の王の行動や業績が克明に書かれています。
王ですら介入できない特別な役人による記録です。
これらの記録で評価された王は「正殿」に、功績の無い王は「永寧殿」に奉られるのです。

とのこと。
「死後にどちらに奉られるかが『インセンティブ』になっていた」という見方は、西洋的・現代的に過ぎるかも知れませんが、儒教的な世界においても、最高権力者を律する他律的な要因が全くないではない、ということですね。
この「特別な役人」は、王からの独立性が保たれているとのことですが、「王よりエラい存在」というわけではないでしょうから、無理矢理 現代の企業のガバナンスにあてはめてみると、代表者と内部監査室といった関係に例えられるかも知れません。
ただ、「PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクル」的な視点から考えると、「死んだ後に評価」というのは、「『C』、遅すぎやろ!」という感じではあります。
また、この「特別な役人」の独立性を保つためにどのような工夫がなされていたのか、非常に興味あります。現代で独立性を保つための方法としては、給与や人事の決定権を被監査対象に持たせない、といったあたりが考えられますが、どうだったんでしょうか。朝鮮王朝にも宦官が存在したようなので、宦官しかなれない職種だったとか、まったくの「別ルート採用」だったりしたのか。(ネット上では、ちょっとこの役人に関する詳細は見つけられていませんが、前述の「実録」等を読むしか無いのか。)
また、東洋の社会や組織を論ずるのによく「儒教的」という言葉が用いられますが、「儒教があったから今のような社会になった」のではなく、「東洋の社会に適応しやすいから儒教が選択された」または「儒教でなくても、社会の性質から、『創発的に』同じような考えは採用されたのだ」という考え方もできる気がします。
このへんも、大変興味深いところであります。
(ではまた。)
 

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

2 thoughts on “「朝鮮王朝の霊廟、宗廟(チョンミョ)」とガバナンス

  1.  「C」へのつっこみに思わず笑ってしまいました。Cが遅いどころか、Aが無い(出来ない)・・・ みたいな。
     正殿と永寧殿 が機能していたのかは存じませんが、昔はそういう「名誉」みたいなものに、意義とか価値が(結構)あったのではないでしょうか。例えば、日本ではちょっと昔、地域の名士が郵便局を引き受けたりとか、「市場原理主義」(笑)以前はそういうものがインセンティブになり得たのかな と思ったりします。今で言うと、町内会長みたいなものですかね!?
     市場を否定する気は毛頭ありませんが、ちょっとノスタルジックな発想でしょうか・・・

  2. 「ローマ人の物語」(塩野七生著)を読み始めた頃に、
    「ローマ皇帝にもいろいろ制約があるのね」と感じたのを思いだしました。
    皇帝って好き放題できる地位だと思っていたので。
    が、この本からの感触だと(内乱状態でなければ)権力が強めの米国大統領程度かなあ、ってな気がしてくる。
    著者も、(そのときの環境にもよるが)議会を野党でおさえられた大統領に喩えていたような気が。記憶違いだったらごめんなさい。
    (そもそも、古代ローマの帝国や皇帝というのは現代人の想起する帝国や皇帝とはズレがあるらしい。)
    皇帝と呼ばれるためには、元老院、軍、市民から(それなりに)認められねばならなかったみたいだし、
    終身ではあったけれども、それゆえ存命中に合法的に首を挿げ替える手続きがなかったようで、
    「(一旦は認めたけど、)今度の皇帝はダメなんじゃね?」みたいなことになると、暗殺されたり反乱を起こされて自死に追い込まれたり。
    さらにひどい場合には、記録抹殺刑(?)、つまり公式記録上では存在しなかったことにされてしまう、という罰則があったらしいです。
    (話がそれますけど、この本を読んでると、平時の古代ローマの奴隷って、
    参政権(?)とか税を別にすると(私みたいな)平凡な会社員みたいなものだったんじゃないか、
    って思えたりする。)
    (念のため。
    「ローマ人の物語」は歴史書ではないらしいし私の読み方も雑なので、ここに記したことが史実からどの程度ズレているのかはわかりません。)