本日は、一言でいうと、「欧米的なガバナンスのノリは、いかに形成されたのか」というお話であります。
- なぜ、アメリカの社長は「Hi!, John」なんて気安く名前で呼ばれるけど、日本ではそうではないのか。
- なぜ、日本では社外取締役や委員会設置会社が普及しないのか。
- なぜ、ヨーロッパでは歴史上、繰り返し民主主義的な発想の体制が出てくるのに、アジアではそれほどでないのか。
- なんでキリスト教はヨーロッパ方向では大成功したのに、アジアの方の普及はさほどでないのか。
- なぜ、日本は市場経済的な運営がヘタクソなのか。
といった日頃の疑問から考え始めて、
もしアメリカ大陸がなかったら
もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら
もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら(続き)
「宗教」vs「科学」
等で考察してきたことを、(一般的な歴史学の観点というよりは)、「情報処理メカニズム」的な観点から整理してみたものであります。
ヨーロッパの「民主的な」の歴史
前回、「もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら」
(出所:Google Map)
で、「仮に新大陸が日本の近くにあったとしても、新大陸に『自由』を旗頭にするアジア人の国家が建国されることになったとは思えない。」と申し上げたところ、「ATM」さんから、
貴方は、かつて始皇帝が現れる前に、中国大陸にほとんど共和制のような国が存在したことを知らないのでしょうか?
また、日本でも戦国時代の伊賀国や堺の町では、農民や商人が殿様を追い出して、やっぱり共和制やヨーロッパの都市国家のような事をしていたんですが。
とコメントいただきました。
もちろん、アジアにもそういった要素がゼロだったわけではないのは存じております。
しかし、ヨーロッパにおいては大昔から「最高権力者を『会議体』や『法』で縛る」という発想が、何度も繰り返し歴史に登場するのに対し、日本を含むアジアでは、そうした体制は社会の混乱期などの非常に「例外的」なケースに限られるのは間違いないのではないでしょうか。
もしそうだとすると、こうした違いは、いったいどこから出て来たのでしょうか。
「元老院」のケース
古代の「最高権力者を会議体によって縛るしくみ」で最も有名なものの一つに、ローマ帝国の元老院(senatus)があげられるかと思います。
ローマに行くと、マンホールのふたにまで、「SPQR」(=Senatus Populus que Romanus :ローマの元老院と市民)と書いてありますし、ヨーロッパの他の国でも、「Senatus Populus que 〜」という言い回しはよく用いられているようです。
(ご参考:http://en.wikipedia.org/wiki/SPQR#Modern_variants)
米国でも、「上院議員(senator)」というと、政策にも強い影響力を持った権威ある方々というイメージではないかと思います。
一方、日本では「参議院議員」が尊敬を集めているかというとビミョーではないかと思いますし、参議院不要論まで存在します。
また、日本では、(若いベンチャー企業などを中心に昨今だいぶ変わって来てはいるものの)、「監査役」や「社外取締役」が「社長」に意見を言ったり取締役会で発言すると、「何おまえが発言してんの?」という雰囲気になる会社も、まだかなり多いのではないでしょうか。
「マケドニア・ギリシャ」のケース
アレキサンダー大王は、マケドニアにいたときは「よっ、王様」という感じで、部下にタメ口をきかれていたのが、アジアに遠征したら、現地の住民が「ははーっ」とひれ伏してくれるので、ヨーロッパに帰りたくなくなっちゃったという話があるようですが(要出典)、ギリシアのポリスで「民主制」が採用されていたことなどと考え合わせても、昔から、「エラい人にもツッコむ」という感覚は存在した模様です。
「アーサー王」のケース
中世の英国においては、(実在性についてはさておき)アーサー王が「誰がエラい」ということにならないように「円卓 (round table)」を採用した例が有名かと思います。日本でも、一揆の血判状の署名を円形に並べて誰が首謀者か明確でないようにしたということはありますが、「最高権力者」とその他の人が同列であるという形が採用されたメジャーな例は(フィクションにしても)あまりないかと。
「マグナカルタ」のケース
同じく、イングランドでは1215年に王様にマグナカルタが突きつけられたわけです。アジアで近世以前に、最高権力者を殺したり追放したりするのではなく、生かしたままで「おまえもこれを守れ」と法律を突きつけたことがあったかというと、あまりなかったのではないのではないかと。
「選帝侯」のケース
また、ドイツの「選帝侯」のように、12世紀の昔から、王様を「選挙」で選んじゃうという発想もあまりアジアではなかったような。
「公会議主義」のケース
ヨーロッパのキリスト教教会は、中世では絶対的な権力を誇ったように思えますが、その最高権力者の教皇といえども公会議の決定には従わないといけないという「公会議主義」 が13世紀以降、繰り返し登場してきます。
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もちろん、強大な権力を持つ、例えば絶対王政時代の王様にむかって部下が「タメグチ」をきけたかというと、やはり人間ですので、なかなかそうはいかなかったとは思います。
しかし、ヨーロッパの国々がずっと民主主義や共和制だったわけではないものの、以上のように、そうした「最高権力者をもガバナンスする」という発想は、ヨーロッパの歴史上繰り返し繰り返し登場して来たわけです。
ところが、アジアの歴史に(ゼロではないにせよ)そういう発想が繰り返し出て来たかというと、そうではないでしょう。
こうした違いは、どこから来るのでしょうか。
真っ先に思い浮かぶ理由は、「アジアは儒教文化だから」とか、「ヨーロッパはキリスト教文化なので、神の前の平等という考え方が浸透しているから」といった宗教の影響かも知れません。
しかし、前述のとおり、ギリシャ・ローマ時代からそうした「風土」があったとすると、それはキリスト教の影響だけでは説明できないわけです。
では、なぜそういうことになったのでしょうか。
数十年前までなら「人種が違うからだ。」という解答もあったかと思います。
しかし、昨今の遺伝子生物学や進化生物学的では、数千年程度の間には、そうした行動の差異を生み出す遺伝子変異の比率が集団内で高まるとは考えにくく、遺伝的・生物学的な「人種」の違いでこの差異を説明することは困難かと思います。
そもそも会議体によるガバナンスの方が「エラい」のか?
フランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」的な歴史観からすると、「リベラルな民主主義、資本主義こそが、人類が到達する究極の姿」であり、そうした民主主義的な体制を古くから取り入れていたヨーロッパの方が「エラい」のだ、というふうにも思えます。
しかし、民主主義的な政治体制というのは、より「進んだ」ものなんでしょうか。
—
ここでちょっと観点を変えて、ビジネスを行う場合のvehicle(入れ物)において、どのような意思決定が行われるかを考えてみましょう。
現代において、ビジネスをするのに最もよく用いられるvehicleは、「株式会社」です。
ご案内の通り、株式会社は、大航海時代の東インド会社あたりから登場するわけです。
それ以前の世界でビジネスがどのようなvehicleで行われていたかというと、個人事業、パートナーシップ(組合)、または信託などであったはず。
つまり、ビジネスに関与する少数の人が基本的には直接に意思決定に関与する形態で行われていたはずです。
株式会社が登場した理由は、資金をたくさん集める必要から株式を発行するとか資本と経営を分離する必要性とか有限責任にする必要があるから、といったことが一般的に説明されることかと思いますが、別の角度から、事業の利害関係者間の情報処理メカニズム的な説明もできるかと思います。
一つには、大航海期というのは、それまでの世の中よりも格段に変化のスピードが激しくなり、事業参加者が直接自分で情報を収集して判断を行うのが困難になった時代ではないかと思います。
「自分が直接理解して納得したビジネスだけに関与する」という関係が、この大航海時代から崩壊し、「人任せにする」というプリンシパル=エージェント関係が進展することになったわけです。
(こうした変化の速さや意思決定の間接化は、1637年のオランダのチューリップバブルに代表されるように、「実態と認識のズレ」を生むことになり、この時期から、「バブルの歴史」が始まるわけです。)
もう一つ「情報処理メカニズム」的な観点から考えると、多数の人間が直接関与すると、利害の調整ができなくなるということがあるかと思います。
下記の図のように、関与する人が少ないうちは、お互いの関係を配慮しながら意思決定するのも楽なわけですが、
仮に、最悪のケースとして関係者のそれぞれが他の関係者全員と交渉や調整を行わなければならないとすると、その交渉の数、すなわち交渉のコストは急速に増えることになります。
関係者数を「n」人とすると、図のすべての線(関係)の数は「n(n-1)/2」通りになります。実際には全員と交渉するのは面倒なのでサボるでしょうからそれは最大限の想定だとしても、関係者数(n)が増えると、交渉の複雑さ及びコストはnではなく、nの2乗のオーダーで増えてしまうことになります。
(青い線が関係者数(n)のオーダー。赤い線が「n(n-1)/2」のオーダー。)
これを回避するためには、「リーダー」や「代表者」(下図の赤丸)を置いて、その人に委任することを考えればいいわけですね。
そうすれば、関係者間の交渉のコストは、関係者数(n)が増えてもnのオーダーでしか増加しないわけです。
こうしたビジネスのvehicleの歴史的経緯から見ると、「みんなで見張る仕組み」よりも「誰かに丸投げする仕組み」の方が、「新しい」仕組みだということが言えるのではないかと思います。
政治体制の場合
ひるがえって、古代の政治におけるガバナンスのしくみを考えてみましょう。
人類史の研究では、今の人類は、およそ20万年前にアフリカで誕生して以降、長らく150人程度のグループで狩猟採集生活を営んで来たということが言われています。
現在の狩猟採集民族を考えてみてもわかるとおり、このころは、リーダー的な人は存在したとしても、必ずしもそのリーダーが独裁的に物事を決めるというわけでもなく、部族全体または年長者などの主要メンバーが車座になって(つまり「会議体」で)部族の意思決定に関与していた、という姿が想像できるかと思います。
ところが、1万年程度前に人類が農耕をはじめて定住することになり、養える人口の絶対数及び単位面積あたりに居住できる人口は数桁の単位で増加することになったわけです。人口も最も初期の文明でも万人単位の規模になったと考えられます。
人口や人口密度が増えるということは、関係者が増えるということであり、前述のビジネスのvehicleで考えたように関係者が全員参加したり、関係者同士の個別の交渉によってすべてのことを決めていくのはだんだん困難になっていくはずで、このことから、誰か「リーダー」を決めて、そのリーダーに意思決定を大幅に委譲する必要が生じたでしょう。
つまり、国や政治はビジネスに比べて関係する人数が多いので、前述の「意思決定の情報処理的な困難さ」は、(16世紀ではなく)紀元前数千年に農耕をはじめたあたりから発生しはじめたことでしょう。
すなわち、政治においても、多くの人が参加して会議体で意思決定するという方が「古典的な」方法であって、誰かに「任せる」方が後から出て来た「新しい」方法ということが言えるかと思います。
アジアとヨーロッパの違い
仮にそうだとすると、ではなぜ、ヨーロッパではそうした「古い」ガバナンスの方式がずっと残り続けたのに、アジアなどの地域では、そうではなかったのか。
先日の「宗教」vs「科学」というエントリで、非常に刺激的な絵として、Wikipediaにあった以下の一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の浸透具合の地図を掲げました。
出所:http://ja.wikipedia.org/wiki/アブラハムの宗教
(これも出所不明で要注意な図ではあります。)
これを見ると、
「世界は一神教に染まりつつあり、残されたアジアの狭い地域だけがかろうじて一神教に染まらずに生き延びている(が、風前の灯だなあ。)」
とも見えます。
しかし、下記の日本海学推進機構さんのホームページから引用させていただいた世界の人口規模と人口密度を記した地図を見ると、まったく違った印象になるかと思います。
(出所:日本海学推進機構)
図のように、現代において世界で圧倒的に多くの人口を抱えている地域は中国やインドを中心としたアジアであります。
この図は、人口を面積で表すと同時に人口密度も色で記してあって、暖色系になるほど人口密度が高くなってます。
(ご案内の通り、中国は奥地が砂漠や高地で沿岸部に人口が集中しているので、人口密度は「黄色」になってますが、実態としては橙色や赤になると思います。)
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した1492年までの世界ではどうだったかというと、(当然、人口の絶対数は全体に少なくなりますが)、各地域の比で考えると、基本的にアジアの方が優位である今の図と同様だったかと思います。
加えて、「辺境」であったヨーロッパの人口比は今よりさらに小さかったでしょうし、アメリカ大陸はさらに低かったということが想像していただけるのではないかと思います。
「昔はアジアの方がエラかった」と言いたいのではなく、稲作などの農耕に向いた自然により、人口密度はアジアの方が必然的に多くなる道理だったのではないかということです。
では、人口密度が高いとどうなるか。
古代においては、人間の活動圏(コミュニケーションする範囲)は歩いて行ける距離などで決まってきますから、前述のように、単位面積あたりに住む人が多いほど、「利害関係を持つ人」は多くなり、そうした人どおしの潜在的な交渉の必要性も増加するはずです。
前掲の図のようなアジアの人口密度の方が高いというバランスが紀元前から続いていたとすると、人口密度の高いアジアの方が、全員参画型の意思決定方法はより早期に破綻し、人口密度の低いヨーロッパの方が「直接的」または「会議体による」意思決定が行える余地は後々まで残ったのではないかと考えられます。
つまり、下図のように、「文化」(統治手法や、粘度板、紙、貨幣など、交渉やコミュニケーションに関連する技術)の進展スピードに比して、相対的に人口の増加が少なめに推移する「後伸び型」の地域(すなわちヨーロッパ)では、「直接的な」意思決定方法がより後まで残り、
下図のように、文化の進展スピードに比して、相対的に人口の増加が多めに推移する「先伸び型」の地域(すなわちアジア)では、王、皇帝、天皇といったリーダーに意思決定を一任する方法の方が、より早くから合理的になる、ということが考えられます。
つまり、ヨーロッパ人が遺伝的に民主的な性質を持っているとか、優れているということでなく(ても)、アジアに比べて「豊かになるのが遅かった」からこそ、民主的な意思決定方法が残った。
例えて言うなら、「幼形成熟」したというか、もうちょっと美しい言い方をすると「少年の心を持ったまま大人になった」ような成長過程をたどったからこそ、「民主主義的な考え方」が残ったということかと。
逆にアジアでは、「人口密度が高い」がゆえに、多数の人が直接的に政策の意思決定に関わることは、より早い時期に「情報処理的コスト」的に難しくなっていったかと思います。
(また、もし上述の仮説ように、人口や人口密度の2乗で影響が出て来るとすると、人口などの初期条件のわずかな違いで、結果が大きく分かれることになります。)
アジアは「農耕文化だ」ということがよく言われますが、たとえ農耕でなかったとしても、単位面積あたりの居住人口が多いなどの理由で、関与する人が増えれば、単純な全員参加型の意思決定のコストは高まるし、なにより時間もかかって機動力を欠く事になります。つまり、そうした意思決定の方法を取っていることは敵国や敵部族などのライバルに負ける可能性が高くなります。
進化生物学的な考え方を準用すると、そうした成功しない考え方の「ミーム」は生存・進化できない可能性が高くなるかと思います。
逆に、国民全体に効力が及ぶような形で「国」がまとめてものごとを決定するやり方は、交渉のコストが削減され、ミームとして残る可能性が高いことになるかと思います。
こうした「王などがまとめて意思決定する」方法には、もちろん困った点もあります。
一つには、適切なモニタリングやディスクロージャーなどが行われない限り、「王」周辺にのみいろいろな情報が蓄積され、一般の民衆との情報格差が非常に大きくなってしまう点。
民衆によってモニタリングされていなくても、(特に、昔は王や皇帝がへぼい政治をしたら、他国から攻められて殺される可能性も十分あったわけで)、王や皇帝が十分インセンティブをもって政治に取り組めば、国全体のパフォーマンスが必ずしも悪くなるとは言えないかと思います。
(現代においても、上場会社の実証研究で、社外取締役がいたほうが企業のパフォーマンスが上がるということは、統計的に有意なほどには言えない、というのと同様かと思います。)
しかし、万が一、政権が腐敗し始めると、それを元に戻す力が働きにくいことになります。
もう一つは、共産主義の崩壊と同様、こういう集中的な意思決定方法は、社会が急激に変化したり、社会の複雑さが増加すると、(今度は、X乗のオーダーではなくて、それよりさらに急速な組み合わせオーダーの勢いで)意思決定に必要な情報処理量が増加して、破綻するということです。
ともあれ、「人口が多めの社会」で、モニタリングという概念が存在しない政治体制がいったん始まると、情報は最高権力者に集中します。それを倒す方法は、他国からの侵略とか内紛とかで、「殺す」か追放するという手しかなくなるわけです。
次の政権も、民主的な方法を採用すると目先のコストがかかることになるので、合理的に考えればそういった方法は採用されにくい。
ある地域でこうしたことが何世紀にもわたって続いた場合には、仮に大昔に最高権力者をモニタリングしくみが存在したとしても、そういったことは記憶されない・・・・すなわち、ミームとして存続しない、ということになります。
これに対して、「後伸び型」の社会では、全員参画型で最高権力者をモニタリングする方法という「古い」しくみが成功した記憶が残りやすいことになります。
放送大学の「ヨーロッパの歴史(’05)」で大阪大学大学院の江川 温 教授が、
「イタリア・ルネサンスにおいて、はじめてギリシャ・ローマの文芸が復興されたと考えている人がよくいるが、ギリシャ・ローマへのあこがれは、何もイタリア・ルネサンス期において初めて登場したものではなく、中世を通じてヨーロッパには何度も繰り返し登場していた。」
という趣旨のことをおっしゃってました。
ギリシャ・ローマ時代からのこうした「古い」ガバナンスのしくみが成功したという記憶(ミーム)は、その後のヨーロッパにおけるガバナンスのしくみに、非常に強い影響を与えたはずであり、アメリカ合衆国で共和制という政体が採用されたのも、突然そういう体制を思いついたわけではなくて、そうした古代からのガバナンスの歴史の記憶に連なる啓蒙思想やプロテスタンティズムの流れの中で初めて考えられることかと思います。
「もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら」で、「仮に新大陸がアジアに近かったとしても、新大陸に自由を旗頭にするアジア人の国家が建国されることになったとは思えない。」と申し上げたのも、以上のような理由からであります。
つまり、「自由」や「市場メカニズム」といった思想が進化する場として、新大陸という「フロンティア」の存在は大きかったと思いますが、それは必要条件ではあったかも知れないが十分条件ではなかったのではないかと。
(実際、同じヨーロッパのキリスト教国でも、スペインやポルトガルが今のアメリカ合衆国の位置で植民地を運営していたら、現在のアメリカほどの「市場経済」的な国になっていたかというと、必ずしもそうではないかと思います。)
「自由」とか「市場経済」といった考え方にたどり着くためには、「古い」民主的なガバナンスのしくみを持ったまま社会が「幼形成熟」し(または「少年の心を持ったまま大人になり」)、加えて「新大陸」といった二段ロケット、プロテスタンティズムといった三段ロケット等が、必要だったのではないでしょうか。
いわんや。15世紀の中国、韓国、日本といった人たちが、仮にヨーロッパ人より先にアメリカ大陸を「発見」していたとしても、ことは「政治」であり、しかも独裁制ではなく「民主主義」が導入されるかどうかということですから、誰か一人が思いつけばそうした体制になるわけではなく、同じ考えを持つ多くの人の合意が必要です。
民主主義、共和制あるいは「会議体によるモニタリング」は、(もちろんメリットはいろいろあるものの)、目先のコストが高い方策なので、そうした「古い」ガバナンスシステムによる成功体験の記憶がほとんどない人たちが、「共和制の国を作ろうぜ」ということになる可能性はかなり低いのではないかと思います。
「宗教」が社会の特性を決めたのか?
同様に、「アジアは儒教」で「欧米はキリスト教」の影響で今のような社会になっているかというと、実は「逆」なんじゃないでしょうか。
つまり、儒教があったからアジア的な風土が醸成されたのではなく、アジア では、『上』の人に素直に従う意思決定方法にコスト的合理性があったから儒教的な考えが選択されたのではないでしょうか。あるいは、そうした合理性があったからこそ儒教が採用され、社会と「共進化(Co-evolution)」したのではないかと思います。
同様に、ヨーロッパは、キリスト教が採用されたから「神の前の平等」という概念が生まれたというよりは、そうした多数の人が関与する民主的な意思決定成功の記憶があったから、最高権力者より「エラい」存在を許容するキリスト教が採用され、共進化したという考え方もできるかと思います。
また、そう考えると、なぜ、原始キリスト教が「西向き」(ヨーロッパ方面)の布教では圧倒的な成功を収めたのに、「東向き」(アジア方面)の布教では、(ネストリウス派キリスト教(景教)の時代から、コンタクトはあったにも関わらず、)成功しなかったのか、ということも、すんなり納得できる気がします。
「宗教」vs「科学」で取り上げた、国際日本文化研究センターの安田喜憲教授の「一神教だから森が破壊された」といった考え方も逆で、比較的簡単に森が破壊されるような(アジアに比べて単位面積あたりの人口を養いにくい)自然環境だったからこそ、人口密度が下がり、「原理・原則」から考えるキリスト教的な教義との親和性が高まったのではないでしょうか。
人の考え方が、砂漠だと荒み、森とともに生きると豊かになるということもあるのかも知れませんが、人は木や動物と対話するより他の人間とコミュニケーションする影響の方がはるかにでかいでしょうから、自分の活動圏内に何人の人間がいるかということの方が大きいかと思います。
まとめ
私は別に、結論として、「ヨーロッパ文明はたいしたことない」とか「だから日本人には『市場経済』や『法化社会』は無理なんだ」といった短絡的なことを申し上げたいのではありません。
ただ、もし上述のようなメカニズム、すなわち「意思決定のコストがガバナンスの形を変える」というメカニズムが働いているとすれば、上述のような「交渉コストを下げてやるようなしくみ」を考えないと、ただ、「民間で勝手にやりな。欧米でできていることなんだから、同じ人間ならやってできないことはないだろ。」と放り投げても、市場メカニズムは機能しないし、何かというと「お役人さまが決めてくだせぇ」というノリになっちゃう可能性が高いかと思います。
また、放っておくと、(刑事罰の範囲や、民間どおしの交渉では細かい点の合意に達しないので)法律も複雑になっていって、民間で「自由」に決めさせてイキイキするはずが、逆に法にがんじがらめになって経済の活力を削いでしまう危険もあるのではないかと思います。
「市場とは何か」ということを多角的に考えてみることで、「日本人には市場経済は向かない」と思考停止するのではなく、解決策を考えつくかも知れないな、と思う次第であります。
いろいろ盛り込んで非常に長くなってしまいましたが、なにとぞご容赦を。
(ではまた。)
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資本主義での自由市場の前提に「完全情報-構成員は任意に自由に必要な情報を手に入れることができる-」という仮説があったと思います。
アメリカはシーザーの手に落ちないためノーメンクラ トゥーラに食いつぶされないため、政府の保有する情報の市民への提供については厳しく連邦政府を躾けているようですね。
ところで、亜細亜が時代を経るにつれて専制度を高めてしまい、互選で選ぶ方向にいかなかった理由については、元・清、ムガール帝国とその後の大英帝国が分かりやすい例ですが、権力というものが社会の内輪から出ない、占領した他所者であったことが大きいのではないか、という気がします。
中国の場合”正統神話”で見事にごまかしていますけど。
歴史に学ばない国なのか
昨日のエントリで紹介した日本の「安心」はなぜ、消えたのか—社会心理学から見た現代日本の問題点
を読んでいても思ったことなのだけど、山…
読み応えのあるエントリでした。内容から察するに、トマス・W. マローン『フューチャー・オブ・ワーク』は読まれてますよね。本稿では「意志決定のコスト」と表現されていましたが、まさしく
>古代においては、人間の活動圏(コミュニケーションする範囲)は歩いて行ける距離などで決まってきますから、前述のように、単位面積あたりに住む人が多いほど、「利害関係を持つ人」は多くなり、そうした人どおしの潜在的な交渉の必要性も増加するはずです。
といった観点での「コミュニケーション・コスト」によってコラボレーションの構造がどう変わってきたかを論じています。
その観点で、未来のコラボレーション(フューチャー・オブ・ワーク)を考えるうえでは、情報コストを限りなくゼロに近づける「インターネット」によって合議制・直接民主主義制が復権する、というのが『フューチャー・オブ・ワーク』の主張だと理解しています。
(それは二つの場所で起こりうると思います。一つは株主の代理人である取締役による間接支配が、直接支配に変わること。もう一つは、経営者による従業員のトップダウンの指揮命令系統が、フラットでネットワーク型のコラボレーションになること)
既存の会社はともかく、私自身は新しい企業システムを模索したいと考えています。それが企業のパフォーマンスに大きな影響を与えるイノベーションになると考えているからです。
>もう一つは、共産主義の崩壊と同様、こういう集中的な意思決定方法は、社会が急激に変化したり、社会の複雑さが増加すると、(今度は、X乗のオーダーではなくて、それよりさらに急速な組み合わせオーダーの勢いで)意思決定に必要な情報処理量が増加して、破綻するということです。
ちょうど、そういう記事を書いたところでした。近代企業のガバナンス形態は唯一絶対の正解かというと、まったくそんなことはないはずです。
企業は全体主義であるが故に独裁者を必要とする (ZEROBASE BLOG)
http://zerobase.jp/blog/2009/02/post_48.html
ペナルティはインセンティブ/社内通貨/上司不要論/マネジメント2.0 (ZEROBASE BLOG)
http://zerobase.jp/blog/2009/02/post_42.html
>内容から察するに、トマス・W. マローン『フューチャー・オブ・ワーク』は読まれてますよね。
すみません、不勉強にして読んでおりませんでした。
早速、Amazonで発注しましたので、読ませていただきます。
非常にシンプルな考察なので、誰かの考察とカブっている可能性は大じゃないかと思いますので、「ここに書いてあることと同じじゃん!」というご指摘をいただけるかなあと思っておりました。
どうもありがとうございます。
>情報コストを限りなくゼロに近づける「インターネット」によって合議制・直接民主主義制が復権する
私も、インターネットが商用化された直後にはそう思っていたんですが、やはり情報処理メカニズム的に考えると、それはちょっと厳しいだろうと(石橋さんも読まれているハイエクやミーゼスの戦前の論争などを読んで)90年代後半に思いまして、関連するレポートなどを書いたことがあるのですが、金融危機後の今、改めてその思いを強くしており、別途、そのへんをまとめているところであります。
どうもありがとうございました。
(ではまた。)
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いつも興味深く拝見しています。
はじめてコメントさせていただきます。(遅くにすみません。)
一理あるなあと思いながらいろいろと自分でも考えていたのですが、組織の中でのガバナンスという意味では両義的に働くこともあるのではないかと。日本の(大?)企業では労働者参加が重視されていて、ボトムアップ的な対応をとることが多いと言われますが、欧米ではトップダウンの決断がなされることが多いとされますよね。企業トップの報酬なんかを考えても、民間企業における専制度合い(?)は欧米の方が高いのでは?うまく双方を包含できるような説明は考えられませんでしょうか。
別の話ですが、単位面積あたりの収量が支えることのできる人口はコメの方がムギよりも高いのだそうで、こちらはアジアの人口稠密度合いの一つの根拠なのかも知れません。
>民間企業における専制度合い(?)は欧米の方が高いのでは?
よく誤解されるのですが、ガバナンスを強化するというのは、最高権力者がより強大な権力を持つことを許容するしくみだと思います。
日本では、「社外取締役なんて入れて取締役会を強くすると、社長の権限が制約される」と思われることが多いのですが、そうではなくて、「よりイケてる独裁者を作り出すしくみ」で(あるべきで)す。
>位面積あたりの収量が支えることのできる人口はコメの方がムギよりも高いのだそうで、こちらはアジアの人口稠密度合いの一つの根拠なのかも知れません。
そう思います。稲作に向いた自然条件だから人口密度が上がった、という仮説です。
(ではまた。)
Re: 「タメグチ」的ガバナンスの歴史
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