昨日の、「タメグチ」的ガバナンスの歴史には、多数のブックマーク、コメント、トラックバックありがとうございました。
ブックマークでも おほめのコメントをたくさんいただきましたが(ありがとうございます)、特に、小飼弾さんにこんなに気に入っていただけるとは!
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さて、昨日の話は、一言で言うと「意思決定のコストがガバナンスの形を決める」という仮説ですが、大陸スケール、数百年スケールのざっくりした話の場合ともかく、歴史の具体的事象と突合するには、もちろん「人口密度」でコストを考えるのは話がおおざっぱすぎますので、ちょっと補足のメモです。
昨日の朝と本日の朝に、ちょうど、東京大学大学院 本村 凌二 教授による放送大学「古代地中海世界の歴史(’04)」の授業の再放送、
- 第6回「都市国家の成立(前1千年紀前半)」
- 第7回「古典期ギリシア(前5・4世紀)」
- 第8回「地中海世界とヘレニズム(前4—前1世紀)」
の回をやってましたので、自分が書いた事と照らし合わせながら拝見させていただきました。
もともとギリシャの隣にある先輩のメソポタミア文明もエジプト文明も、やはり民主制等ではなかったし、ギリシア半島でも、ポリスが形成される前のミケーネ(ミュケナイ)文明は王が君臨する社会だったわけですが、
「面」の領土を持つミケーネ文明が滅びて多数の「点」(追記:中心市[asty]については。当然、それを取り巻く「面」の田園部も存在したようです。)である都市国家「ポリス」が生まれたということは、「人口密度」は上がったでしょうから、「人口密度が低い方が民主制ができるという昨日の話と逆じゃねーか!」という気がする方もいらっしゃるかも知れませんが、要は「意思決定のコスト」の話なので、領土が「点」になって人間が集まりやすくなるのは、やはり、多数の人が参加する意思決定のコストは急激に低下した、という可能性が高いかと思います。
(追記:ヴェネチアや堺が共和制的な政体を採用できた、というのとも符合しますね。
防衛コストはある程度スケールメリットが働くでしょうから、小さくまとまって生きていくためには、あまり平野が無いギリシャの海岸線とか、ヴェネチアを取り巻く浅瀬とか、防衛コストを下げる特殊要因が必要なのかも知れません。)
(また、昨日のネットワークの図では、模式的に「交渉の組み合わせ数」をコストとして利用しましたが、コストは、社会が階層にわかれているかどうかとか、一回の交渉時間とか、距離とか、実際には、様々なコストドライバーが存在します。
あんまりモデルを複雑にしちゃうと、申し上げたい本質が伝わらないので、ご容赦ください。)
このときに、ミケーネ文明以前の「部族会議」的な記憶が残っていたから民主制が採用されたのか、それとも、人間が集まりやすくなって、創発的・自己組織化的に民主制が「発明」されたのかはわかりません。
ただ、都市国家の周囲(中東などの文明から遠い北西側)には、そうした都市に属さない人たち(追記:エトノス[多集落連合国家、ethnos]、「エスニック」の語源)が住んでいたとのことなので、傑出したリーダーを持たず会議体的な意思決定をしている部族など、参考になる事例があったとしても、不思議ではないかと思います。
昨日は「幼形成熟」という言葉を使わせてもらいましたが、これだと、原始時代の150人規模の集団が、その同じ形のまま相似的に徐々に都市国家まで大きくなったという風に聞こえてしまう可能性があるので、もう一つ用いた「少年の心を持ったまま大人になったような成長のしかた」という例えの方がいいかも知れないですね。:-)
(ではまた。)
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いつ他国が攻めてくるかわからない時代が何千年と続いている土地で、
民意が反映する民主主義が産まれたっていう切り口はありますかね?
反対に、統一されやすかった中国では民主主義という理念も考え方も生まれにくく、儒のような理念の方が伝わりやすかったのでは。。。?
その観点も以前、考えてみたのですが、
「いつ他国が攻めてくるかわからない」のは何もヨーロッパだけじゃないのに、なぜ他のそうした地域には民主制が生まれなかったのか、
さらに、いつ他国が攻めて来るかわからないのだったら、のんびり会議体で最高権力者の活動をチェックするなんてまどろっこしい(コストやリスクが大きい)ことはせずに、危機に立ち向かうために最高権力者に権限を集中した方がいいはずなのに?
・・・というあたりが、それではうまく説明できないんじゃないかと思います。
(ではまた。)