週刊isologue(第10号) IFRS(国際財務報告基準)は日本にどんな衝撃を与えるか?

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遅くなりましたが、先ほどお送りした有料メールマガジン「週刊 isologue」の今週号、第10号のご案内です。

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先週一週間のブログ版「isologue」では、国際財務報告基準(IFRSs=International Financial Reporting Standards。以下「IFRS」。発音は「イファース」)が日本でも強制適用になる方向になったことを取り上げました。

今回は、このIFRSについて、ブログで書いたことをまとめるとともに、主にその数量的なインパクトについて考えてみたいと思います。

IFRSを認めたり義務付けたりする国は、現在すでに世界で100カ国を超えています。

用語解説をしておきますと、IFRSそれ自体は採用しないが、IFRSと自国の基準をすりあわせてIFRSと同等の結果に近づけることを「コンバージェンス」(convergence、収斂)と言い、IFRSそのものを全面的に適用することを「アドプション」(adoption)と言いますが、「コンバージェンス」にとどまっていたアメリカや日本も、昨年来、「アドプション」に向けて大きく舵を切ってます。

(会計基準を自国で作るというのは、その国の会計学者の層の厚みが要求されるので、IFRSに「抵抗」できるとしたらアメリカと日本ぐらいなんじゃないかと思いますが、その2国もついに時代の波に押切られたという感じかと思います。)

具体的には、米国の財務会計基準審議会(FASB)と国際会計基準審議会(IASB)は、米国会計基準とIFRSに「コンバージェンス」することについて2002年10月に合意しており(「ノーウォーク合意」)、また、2007年8月にIASBと日本の企業会計基準委員会(ASBJ)は、2011年6月までに日本基準とIFRSのコンバージェンスを完成させる「東京合意」を結んでいました。

さらに、2008年8月には、米国の上場企業に対してIFRSを強制適用するロードマップをSECが承認し(2009年から上場企業にIFRSの任意適用を認め、2014年から2016年にかけて段階的にIFRSを強制適用にする予定。)、

日本も、今年2月に、企業会計審議会から「我が国における国際会計基準の取扱いについて(中間報告)(案)」という文書が提出され、上場企業に対して2010年3月期からIFRSの任意適用を認め、最短2015年から強制適用するというロードマップを提示しています。(強制適用するかどうかは2012年に決定されます。)

cf.「我が国における国際会計基準の取扱いについて(中間報告)(案)」の公表について
http://www.fsa.go.jp/news/20/20090204-1.html

一般に、日本の会計の専門家たちは、今まで自分が勉強して来たことが根底から覆されるので「めんどくせえなあ」とは思うでしょうが、もちろんIFRSは今までの会計基準と共通する部分も多いですし、IFRSで求められる「原則主義」によって、処理を「原則」に立ち返って考えてみるという訓練も一般の人よりははるかにやってきてますので、今後10年のメシの種にもなるということもあり、あまり反対するインセンティブもないかと思います。
私個人も、IFRSについて「気に入らん!」というわけでもないですし、この世界的な流れが変えられるとも思えないので、一個人が反対してどうなるというもんでもない。
世の中の関係者の大半の方々も、おそらく、「めんどくせえなあ。でも、IFRSやらないとダメなんでしょ?じゃ、しゃーないですわな。」という反応になるんじゃないかと思います。

しかし、よくよく考えてみると、このIFRSが全世界的に強制適用されるということは、人類史上、かなり画期的なことじゃないかと思います。

今までも、例えば電話やインターネットのプロトコルが世界で共通化されてきた歴史はあり、これによって世界中の人が居ながらにしてコミュニケーションが取れるようになってきたわけですが、それは一般の利用者から見ると、あまり中身を知らなくていい「技術」に過ぎないものだったかと思います。

しかし、会計の基準というのは、財務諸表を作成する方だけでなく、投資家など「利用する側」もある程度中身を知っている必要があります。

つまり、会計は「文化」だ・・・とまで言うとおこがましいかも知れませんが、単なる「技術」ではない側面も持ち合わせているわけです。
また、会計基準に沿わない処理をすると、ライブドア事件のように逮捕されたり刑事罰を食らう可能性もあるわけですから、そういう意味でも、会計というのは、単なる「技術」とは性質が違うものと言えるかと思います。

ここで、ちょっとSF的、ジョン・レノン的な妄想をしてみましょう。

例えば、未来にタイムスリップして、スタートレックやガンダムのように地球上の国家がすべて統一されていたり、世界中の法律が共通化される時代が来ていたとしたら、みなさん驚かれると思いますし、ジョン・レノンも天国でビックリだと思いますが、会計基準の世界統一というのは、そういう「国境の無い世界」へのステップの一つとも考えられます。

一方で、会計基準が「文化」の側面を持つとすると、それが世界中で「統一」されるというのは、えも言われぬブキミさを感じる人もいらっしゃるかも知れません。

つまり、このIFRSの強制適用を批判的に考えると、ウォーラーステイン氏が、その著書

 

で述べたような、ヨーロッパ的な「普遍主義という名の暴力」の延長線上にあるものと見ることもできるかと思います。 

cf.同書に掲載されていた内容紹介文:

人権や民主主義、市場の優越性や競争の自明性、科学的実証性など、現代社会において自明と思われている概念は、不平等の構造を拡大・深化させるレトリック、「普遍主義」という暴力に支えられているのではないか。
— 16世紀から21世紀の現在までを貫く暴力を、世界システム論に基づいて具体的に検証し、その臨界性を指ししめすウォーラーステインの新たな展開。

IFRSも、勝手に集まった人によって恣意的に決定されるわけではなくて、「正統性(legitimacy)」の確保にはいろいろ配慮されています。

IFRSを策定しているのは国際会計基準委員会財団(IASC)という団体ですが、ここの「評議員」は「世界の資本市場及び多様な地域的或いは職業的経歴を幅広く有する」人と定められていて、北米、ヨーロッパ、アジア・オセアニアといった地域や、業界的なバランスにも配慮されて選任されるようになっています。
その評議員会によって任命された会計的に専門性の高いIASBメンバーによって、IFRSの内容が決定されるわけです。

ローマ教皇が一流の学者を集めてきて、特定の考えが「異端」かどうかを判断させるなど、ヨーロッパ人は中世以来そういう「ケチが付けられないようなガバナンスやプロセス」を作り上げるのが得意なわけですが、EUで加盟各国の法律や通貨等を統合する過程で、ますますそのノウハウに磨きがかかっているのではないかと思います。
IFRSも、ついこの間までは「ヨーロッパの方でなんかローカルにやってるアレ」という感じだったものが、ここに来て、あれよあれよという間に、世界中が「アドプション」の方向で動き出してまして。

「デュー・プロセスを経て民主的に決めてるんだから、文句ある?」
「資本市場にはすでに国境が無いようなもんだから、世界中で共通の会計基準の方が、投資判断がしやすいよね?」
と言われちゃうと、ローカルなものや、特定の人が定めたルールというのは、 「普遍的な」ルールの前には、「正統性」が色あせて見えちゃうわけですね。

また、日本の今までの会計基準が置き換えられるのに感情的にはムッとする人でも、「じゃあ、日本の会計基準がIFRSより優れてる点って何?」と理屈で聞かれると、グッと言葉に詰まる人が大半ではないかと思います。
IFRSは、「概念フレームワーク」という基本的なコンセプトを核に、妥協を極力排して理論的に深く考えて作られていますので、「理屈じゃかなわん」という感じに仕上がっています。
(加えて、「一般人が理解しやすい」とはとても言えない「頭でっかち」なシロモノになっているという危惧もあるのではないかと思います。)

また、日本の憲法や法令上、日本の国会と関係のない場所(IASB)で決まったルールが、日本の企業に強制的に適用され、それに違反すると刑罰も受けるということを、どう整理しておくかといった議論は、法律専門家の間でも行われ始めているようです。

もちろん、他の国もみんなIFRSを取り入れているので、テクニック的にはどうにでもなる話だと思いますが、法律論の頭の体操としては非常に面白い論点かと思います。

「アドプション」が進むということを前提とした場合、実務的に重要なのは、日本の産業界等の意見をIFRSに反映させられるパイプをどう確保するか、かも知れませんね。
今までの日本の企業会計審議会や企業会計基準委員会といった組織は、公認会計士だけでなく、日本の大手企業や資本市場関係者も入っていますから、産業界の意向等もそれなりに反映されてきたのではないかと思いますが、IFRSはもうちょっと理論的に純粋で融通の利かないものではないかと思います。

日本人同士なら通用するかも知れない、
「それやられると、うちの業界、困っちゃうんスよねー」
といった説得方法は使えず、 あくまで「理屈」として、自分の案の方が望ましいというロジックを展開する必要があると思われます。

つまり、今まで「俗」の力が反映され得た会計基準の決定権限が、手の届かない「聖」なる高みに取り上げられてしまうと考えると、これはやはり、世界史的に見て、「叙任権闘争」や「カノッサの屈辱」並に興味深いイベントだと言えるのではないかと思います。

また、「IFRSの日本適用版を作ればいいんじゃないの?」と思われる方がいるかも知れませんが、「聖書」の改変が固く禁じられていたり、ローマカトリックで正統と異端が厳しく峻別されたように、IFRSも、各国ごとの「別バージョン」を作ることは、原則として許さないようです。(別バージョンを作って対応するのでは「アドプション」とは言えない。)

逆に言うと、そうした「異端」を排除する「免疫系システム」が強くないと、IFRSのような「教義」の自己同一性は保てないんじゃないかと思います。

それでも、17世紀のイエズス会は、非ヨーロッパ地域の布教に際して現地文化との融合を余儀なくされたわけですが、世界各国に根付いている現代の会計は、もともと「ヨーロッパのもの」だということもあり、「現地文化」に併せてIFRSを修正する必要もない、と、押し切られそうな勢いということかと思います。

さて、こういった抽象的なオモロさはさておきまして、多くの人の関心事は、「IFRSの採用で、うちの企業の負担がどれくらい増加するんや?」ということではないかと思います。

・・・・ということで、週刊isologue第10号では、

  • 開示資料のボリュームがどのくらい増えるのか
  • IFRSは「原則主義」だから、「ルールの量」は少ないか?
  • 開示資料のボリュームは「3倍」に増えるか?
    (有価証券報告書に基づく、各IFRS採用企業の開示量の詳細分析)

等について検討いたしております。

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(ではまた。)

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1 thoughts on “週刊isologue(第10号) IFRS(国際財務報告基準)は日本にどんな衝撃を与えるか?

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