先日の記事には、多くの人から、ブログの記事、コメント欄、twitterでのコメント、メール等でご意見をいただきました。深く御礼申し上げます。
また、弁護士の池永朝昭氏のブログにおいても、私の先日の記事に関してのコメントをいただきました。どうもありがとうございます。
今回は、池永先生のブログでのご意見について、以下、私の考えを述べさせていただければと思います。
カブドットコム証券特別調査委員会報告V前社外取締役の反論(その1)
http://aristo1954.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-e314.htmlもう少し補足すると、磯崎氏の反論に対して、特別調査委員会は依頼者に対する守秘義務の観点から再反論を加えられないポジションにあります。磯崎氏の反論は、非常に慎重に書かれていますが、ボトムラインは特別調査委員会報告書は数々の誤解を招きかねないものであるというものであって、その反論内容に照らせば、特別委調査委員会の事実認定及び評価が誤っているものと論難するものであります。
私の意図は、先日の記事に書かせていただいた通り、特別調査委員会の調査報告書に「反論」することが目的ではなく、辞任の経緯をご説明し、投資家のみなさま等のご理解を深めるための情報を提供することが目的になります。
池永先生の記事のタイトルに「V」マークも付けていただいてますが、内容をよくお読みいただければ、この記事が、特別調査委員会の調査内容に反論したり敵対する意図のものでは無いことをご理解いただけるのではないかと思います。ご理解いただけないとしたら、私の表現力の拙さによるものだと思いますので、ここで、特別調査委員会のみなさまと読者のみなさまに重ねてお詫び申し上げます。
また、特別調査委員会が守秘義務があるのと同様、ご案内の通り、私も社外取締役を辞したからといって守秘義務が無くなるわけではありません。
その制約の下で、広く他の上場企業や株主・投資家の皆様のご参考としていただく観点から、社会的責任として開示することが必要であると考える情報を書かせていただいている次第です。またこのため、今後、必ずしも池永先生や読者のみなさんが知りたい情報のすべてをお出しできるとは限らないことについては、あらかじめご容赦いただければ幸いです。
(つまり、私も、会社の内情や経緯を詳細に開示しないと反論できない部分については、「再反論」を加えやすいポジションでないのは同じなのであります。)
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さて、今回の特別調査委員会の調査報告書の特徴の一つは、一般的な日本の調査報告書とは異なり、「被調査対象の会社からの独立性確保」の優先度を高く設定し、作成された調査報告書の内容についての会社からの反論は一切受け付けないという手法を採用されている点にあるかと思います。
つまり、(もちろん、特別調査委員会の委員各位が調査報告書の内容については十分検討されたことは当然だと思いますが)、内容が完全に正確であることよりも、より独立性を重視する手法を採用されたということかと考えます。
一般的な調査対象からのフィードバックプロセスについて
ここで、調査委員会に限らず、社会的に公正さ(フェアネス)を確保するしくみ一般について考察させてください。
およそ、社会的に公正さを確保するための各種の手続きについては、必ず調査対象者からの反論の機会が与えられているのが常ではないかと思います。
ご案内の通り、刑事被告人の取り調べにおいても、自分で納得がいかない内容の調書には署名しなくていいはずですし、裁判所で反論することも可能です。
また、会計監査のプロセスにおいても、会社が最終的に作成し終わった財務諸表に監査人がいきなり適正か不適正か等を表明するわけではなく、年間を通した監査の過程で、処理や表示の適正性について会社と監査人の間で十分話し合いが行われた上で、適正な財務諸表が作られていくことになります。
また、こうした調査対象からのフィードバックのプロセスは、内部監査を含む企業の内部統制活動一般にも取り入れられているかと思います。
こうしたフィードバック・プロセスを経ることにより、内容についての正確性もより担保されますし、また、被調査対象者の納得性も高まり、改善策の導入にもプラスの効果が期待されるわけです。
不祥事調査の場合の会社側意見のフィードバック・プロセスについて
調査委員会は、一般に法令で取締役会を上回る権限を与えられたものではありませんし、今回のケースでも、同社の取締役会で特別調査委員会に対してそうした権限を付与する決議が行われたわけではありません。このため、同社は、この調査報告書に対して反論することが法的に禁止されているわけではありませんでした。
しかし、ご理解いただけるかと思いますが、広報的な観点からは、自社が依頼した特別調査委員会の調査報告書と会社側の反論を併記するというのは、一般の方には極めて奇異に映るでしょうし、そもそもこうした場合には(特に日本では)会社側は謙虚に反省の姿勢を取る以外の選択肢は事実上存在せず、反論を行うことは一般的に極めて困難になります。
このため、多くの調査委員会のケースでは、会社側と調査委員会側が、外部に開示される調査報告書(または要約版)の事実確認や表現等を検討するのが通常だと思います。このフィードバック・プロセスは、同社の特別調査委員会設置の前に取締役会により設置された、私を含む独立社外取締役による調査報告書作成の過程でも行われました。
(ちなみに、今回の特別調査委員会の調査報告書においては、このプロセスについては、「その作成過程において当社の役職員がレビュー・コメントしている事実が認められることから、当社の経営陣から完全に独立して作成されたものと評価することはできない。」とされています。)
確かに、この「内容確認のプロセス」を採用することは、第三者から見ると、「調査委員会が会社側の言いなりになっているのではないか?」という印象を強める危険はあります。
しかしそもそも、池永先生がブログの記事「社外調査委員会の調査のあり方」にも書かれていらっしゃったとおり、世の中のほとんどの調査委員の方は非常に真面目にやっていらっしゃるはずです。(私を含む独立社外取締役による調査委員会の調査も、そうであったと考えています。)
今までの日本の調査委員会の事例では、会社側との内容確認や表現の調整を行った調査委員会が大半だと思いますが、だからといってそうした調査委員会がすべて独立性を欠いているということにはならないと思います。
調査委員会調査と会計監査等との対比
次に、会計監査の例がご参考になるかと思いますので取り上げさせてください。
会計監査の理論的側面を研究する「監査論」においては、独立性とは「外観的独立性」と「精神的独立性」に分けられ、本当に大切なのは「精神的独立性」であって、いくら外観的に独立していても精神的な独立性がなければ独立しているとは言えない、といったことが言われます。しかしながら、精神的に独立しているかどうかは「心」の問題であり、第三者からは客観的に判断しようがありません。
このためにも「外観的独立性」を保つ必要があるし、その外観的独立性の要件を規制する必要がある、という理論構成になっています。
しかし、監督官庁による検査や刑事事件の取り調べ等と異なり、会計監査や調査委員会の調査の場合には、調査を行う者が会社側から直接、報酬を受け取ることになりますので、外観的に経済的関係をゼロにするということはできません。
こうした状況の下で、調査を行う者が信用を保つのは、一般論としては楽ではありません。
このため、会計監査の歴史を見ると、当初は、個人の会計士または個人が集まって共同で監査が行われていたものが、徐々に事務所の規模が拡大し、合併等が行われることによって、現在では世界で4大監査法人を筆頭にする寡占的な産業構造に変化しております。
(格付機関においては、より世界的な寡占化が進んでいるかと思います。)
すなわち、会計監査等においては、「規模を大きくする」ことが、信用を確保するための手段の一つになってきたかと思います。
また、監査を行う際の判断基準となる会計基準についても、第二次大戦直後は、アメリカのフォード社ですら「創業以来、一度も財務諸表を作ったことが無かった」ような状態であったものが、数十年をかけて、会計基準や監査基準というものが徐々に整備、標準化されてきました。
こうした基準を明確化・精緻化していくことにより、監査の客観性や信頼性が確保されていくことになったわけです。
現在の調査委員会調査一般について
翻って、現在の調査委員会調査の特徴を考えてみますと、その報告書の作成は調査委員会の委員の良識のみにかかっており、ガイドラインがほとんど存在しないことが特徴かと思います。
会計監査に会計原則があり、裁判においても法令や判例が判断基準になるのに対し、こうした調査委員会の調査報告書においては、例えば、「50点なので一般的な水準は満たしていた」という表現も可能であるし、一方で、「100点満点なのに10点もミスがあった」という表現も可能であって、報告表現の自由度が非常に高くなっております。
また、会計監査は、毎年経常的にニーズがあるものですから、そこそこの経済的規模が発生し、同種の業務を行う職業人が相対的に多くなることになります。
これに対して、不祥事の調査委員会は、突発的に必要が生じるものでありますから、ケースは相対的に少なく、また内容や不祥事の悪質度、経営陣の関与度も非常にまちまちです。
大規模法律事務所の危機管理チームによるサポートが行われているケースもある一方で、個人の弁護士等によりその都度チームが組成されているケースも多いと考えます。
こうした中で、調査や報告の参考となる共通したガイドラインを確立するのは、会計監査に比べても大きな困難が伴うかと思います。
以上のような状況を総合して考えてみますと、企業側にとっても、調査委員会に調査を依頼して公正性を確保するというのは、一般論としては非常にリスクがある(あらかじめ結果の予想がつかず、結果の触れ幅が大きい)状態にあるのではないかと思います。
また、今後、会社により設置された独立した調査委員会による調査が歴史的に発展して行くとすると、現在は、明らかにその黎明期にあたるのではないかと考えます。
今回の特別調査委員会調査のポジショニングの特殊性
特に今回は、独立社外取締役の調査委員会が法律事務所の危機管理チームのサポートも得ながら行った調査によって報告書が作成され、事件の基礎的な事実の調査や改善策についてはすでにまとまっておりました。このため、特別調査委員会としては、報告書にもあるとおり、先行する調査委員会よりもさらに独立性を高める必要があると考えられて、今回のように会社側との内容確認や表現の調整を一切行わないという手法をとられたのではないかと思いますし、繰り返しになりますが、その手法を非難申し上げているわけではありません。
この手法を採用することにより、会社からの独立性は非常に明確に担保されることになりますから、客観的な基準が無い現在のような「黎明期」において、社会的信用を確保するためにこうした手法を採用されることは一つの見識だと考えます。
しかし、一方で、この手法には、内容の妥当性を担保する側面が弱くなるというデメリットが存在するのはやむを得ないところかと思います。
前回の記事で書かせていただいたような同社内の意思決定プロセスにより、結果として、この報告書の全文が開示されるという事態になってしまいましたが、これを開示した責任は同社の取締役会にありますから、繰り返しになりますが、調査報告書の内容について特別調査委員会を責める意図はございません。
しかし、一方で、会社や投資家の皆様等の観点から見た場合には、この報告書全文が開示され、会社側からのコメントが併記されない状態は必ずしも公正さが確保された状態ではないと考えました。
このため、いろいろ熟考させていただいた末に、調査の労をお取りいただいた特別調査委員会委員各位には失礼となることを深くお詫びした上で、前回のような方法でコメントをさせていただいた次第です。
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私は、今まで証券会社という器を通して市場経済の発展の一端を担わせていただいておりましたし、日本の経済社会が「政府が関与しないと物事が決められない」という状況から脱却し、私的で自立的に機能するメカニズムの発展に少しでも役に立とうとしてまいりました。
また、いわゆる「法化社会」化も、こうした市場経済の自立的な発展を支える重要な側面だと考えますので、ロースクールにおける未来の法曹の育成にもご協力させていただいてきた次第です。
このため、(法令で強制することはさておき)企業が自主的に社外取締役を採用することや、独立した調査委員会や特別委員会により企業が自立的に公正さ(フェアネス)を確保するしくみについては、私は大いに賛成ですし、今後、そうしたメカニズムのさらなる発展を望むものです。
しかし同時に、こうしたメカニズムについては、まだ日本の社会においては黎明期の段階にあり、大いに議論が必要な段階であると考えます。
このため、「関係者が発言するとはけしからん」と考える方にとっては大変違和感がある方法であったかも知れませんが、こうした形で皆様に情報をご提供させていただき、広くご議論いただければと考えた次第です。
池永先生のブログには、日弁連においてもこうした第三者調査のベスト・プラクティスのガイドラインを検討中ということが書かれておりましたが、私の経験とその中で考えたことが、今後の実務を向上させるそうした活動に対して何かのお役に立てば幸いと考えております。
まだ池永先生のブログでのご質問のすべてに答えられていないかと思いますが、長くなりましたので、今回はここまでにさせていただければと思います。
前述のとおり、すべてのことにお答えできるかどうかはわかりませんが、引き続き、差し障りの無いと考えられる範囲で私の見解を述べさせていただければと存じますので、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。
(ではまた。)
(追記:池永先生のお名前が間違っていたので訂正させていただきました。大変失礼いたしました。)
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