47thさんの「事業信託制度の目的は?」を拝読。
日経新聞の「企業の事業信託制度を創設・政府、2007年にも」という記事、
政府は企業が一部の事業を他社に信託して運営を委ねる「事業信託」の仕組みを2007年にも設ける方針だ。企業は特定の事業のリスクを分離できるほか、不振事業を他社に預けて再建することも可能になる。医薬品や先端技術開発など多額の費用がかかりリスクを伴う事業分野の展開や、同業他社に競争力で劣る生産部門の再生に役立つとみている。
を受けて、
・・・ということなんですが、「特定の事業リスクの分離」や「不振事業の再建」は、別に株式会社を使った子会社化やJV化でも可能だと思うんですが・・・
ということで、私も第一印象としてはまったく同様の感想でありました。
ただ、従来、「資産」しか信託できなかったものを「負債」も信託できるようにするというのは自由度が大きく広がりますので、信託を使ったスキームが拡大するかも知れませんね。(棒読み。)
信託の歴史
信託をちゃんと勉強されている方々から、
「信託」は、西洋では十字軍に出征する時に財産を預けて以来の歴史がある「民間由来」の非常にフレキシビリティが高いものであったのに対し、「法人」は東インド会社など、当初「特許」として国から与えられる制度だったので、その責任は厳しく考える考え方が根付いている。コーポレートガバナンスにおいて、「会社は株主のものである」という(法人擬制説的な)考えもこうした歴史によるもの。
・・・というようなウンチクを伺うと、素直に「なるほどー」と関心してしまいますが、そう考えてみると、日本の「信託」と「法人」の位置づけは真逆というか、法人の方が「軽」くて、信託の方が「重い」ビークルになっちゃってるわけですね。
先日、某大学の商法の先生と証券化に詳しいろじゃあさんに、焼肉屋で、日本における証券化の歴史のお話を伺ってた時に、
「証券化を行う際には、権利義務を他のビークルに移してパッケージ化すればいいだけで、それに対してコーポレートガバナンス的な仕組みを付ける必要は何もなかった。(信託でも何でもよかった。)」
というような話を伺って、これも目からウロコだったのですが、実際にはTMK(特定目的会社)のような「重い」ビークルができあがってしまったとのこと。
コーポレートガバナンスだとか社外取締役とか、日本に海外の議論を持ってきても、ピンと来る人が少ないのも、「生態系の歴史」がそもそも違ったからと考えれば、妙に納得。
「オーストラリア大陸は有袋類中心に発達して、トラやオオカミが座るはずのポジションにフクロオオカミが座っていた」わけで。日本は、「コアラとかカンガルーとかが集まってマッタリと平和に暮らしていた」ところに、現在、肉食を含む「ほ乳類」がドカドカ押し寄せてきているわけであります。有袋類と違って、政府に既存のビジネスの生態系を守ろうという気持ちはまったく無いはずですので、実務としては、「コアラが犬にガブガブ食い殺された後の生態系」を想像しながら仕事をしなければならないわけですが、なかなかそれはカオス的で予測が付けづらい大変なことであります。
選択肢は多いのがいいのかどうか
今月号の「月刊監査役」でも、早稲田大学の上村達男教授が、「新会社法に見る類型論の廃棄」という刺激的なタイトルの論文で、「新会社法、やたらごちゃごちゃして、わけがわからなくなっている。いくつかの会社の類型を示してやればいいのに、やたら自由度を増やしやがって。有限会社法を廃止する必要も全くなかった。」というような趣旨のことをおっしゃってます。(手元に同誌がなくてうろ覚えで書いてますので、すみません。)
私はもともと経済学的なモノの考え方を教え込まれているので、選択肢が増えて制度間の競争原理が働くことは基本的に好きです。「ややこしい」と何かと評判の悪い会社法についても、基本的に選択肢が増えるのはいいんじゃないかと思っております。(ただ、有限会社が無くなってできなくなることがあるなど、会社法には選択肢を狭める要素もあるので、そこが気にくわないんですが。)
しかし、法人や組合や信託といった、社会の基礎中の基礎のインフラにおいて、「カオス」的状況を作り出すのは、全体の経済効率を損ねる可能性はないでしょうか。
「コアラ」レベルまでならともかく、「コアラがユーカリの葉を食ってウンチしてそれを分解する微生物や虫がいて」というところまで考えると、「コアラが犬にガブガブ食われた」後に生態系がどうなるかというのを予測するのはカオス的で難しいかも知れません。
しかし大胆に予測してみると、マクロ的に見て、あまり影響は無いかも知れないと思ってます。
例えば不動産ファンドで、「有限会社には会社更生法の適用はなかったが、新会社法で株式会社を使って会社更生法を使われると担保権の行使がぶっとんじゃうから、代わりにLLCを使おうか」てな議論が行われているのを見るにつけ、「制度がごろごろ変わるのも大変じゃのー」という気になるわけですが、そうしたディールが弁護士さん等のチェック無しで実行されるわけではないわけで、実際に採用されたスキームで、ボロボロと法的な問題が後から発覚するてなことになるとも思えません。要は、チェックする弁護士さんが大変になり、弁護士さんのフィーが(少なくとも一時的に)膨らむということではないかと思います。
かように、「選択肢の増加」は、「考えられる組み合わせの数」を圧倒的に増やすので、その「解読」のコストを一時的に上げるのは間違いないところ。一方で、一度 最適な組み合わせが判明すると、それが「デファクト・スタンダード」(みんなで渡れば怖くない)として、急速にそれに収斂されていくんじゃないかと思います。そう考えれば、結果として、中期的なマーケット全体のリーガル・コストはそれほど上昇しないはずです。
一方、こうした収斂のスピードよりも、判例などの蓄積を含めた制度変更による複雑さの上昇スピードの要因の方が継続してでかい、ということになると、リーガル・コストは上昇していくことになります。(コアラのウンチを食う虫が絶滅するというような波及効果の方がでかい場合。)
いずれにせよ、世の中で、複雑なものが複雑なまま存在し続ける現象は見たことがないので、最終的には(人間が理解しやすい)何らかのシンプルな形に落ち着いていくんじゃないかと想像されます。
上村先生のお話を経済学的に解釈すると、「そういうデファクト・スタンダードに落ち着くなら、最初から、デジュレ的にそれを類型化して示してやる方が効率的では?」ということになるかも知れません。
法律の世界では、技術革新がIT分野などに比べてそれほど無いとすると、一部の頭のいい方がデジュレ的にそういうスタンダードを示すのがいいのかも知れません。一方、世の中自体が複雑化しているので、ごく一部の人だけが立法の過程で国民のすべてのニーズを汲み取るのは無理だから、なるべく自由度を高め、選択肢を増やしておいた方がいいとも考えられます。
(でも、さすがに「会計参与」はいらない気がしますが・・・。)
私は、ダウンサイドリスク(複雑化が高まることによるリーガル・コスト増)はさほど大きくないと想定されるのに対し、アップサイドについてはいろいろ期待できるので、基本的に(はじめは意味がないように思えるし、多少ややこしくても)、自由度を高くしていく方がいいんじゃないかという期待をしております。
「同じもの」が必要か
47thさん曰く;
あとは、会社ではなく「信託」なんでということで、会計上、連結のときの取り扱いを変えることができる(リスクの高い事業や不振事業を簿価で連結から外せる?)とか、税法上の取り扱い(パス・スルー)を狙うという途はあるのかも知れませんが・・・個人的には、実質的なリスクや経済的利益の所在が同じものについて会計や税法上の取り扱いが異なる(制度間arbitrageを認める)というのは、合理性があるのか?もあるところです。
税務的(政策的)にはともかく、会計的には「実質的なリスクや経済的利益の所在が同じもの」は、同様の会計処理をすべきです。
ただ、(実際の法案も無いので何とも言えませんが)、「全く同じ」にはならず「ちょっと違うところがある」ものができあがるんじゃないでしょうか。(おなかに袋があるとか。)
何かがちょっと違えば、利用価値も出てくるかと思います。
「通常であれば有限会社(YK)が営業者になって匿名組合契約でいいと思っていたところが、海外投資家の課税の関係でTMKを使うことになった」というような事例に遭遇すると、「選択肢があってよかったね」という気持ちになるわけであります。
「信託」というのは、上述の通りあまりに日本でのインフラがない(理解しているプレイヤーも少ない)ので、結局、フィードバックがかかって、似たようなことができる法人や組合を使うスキームが発達して、信託は発達しない可能性が高いんじゃないかと個人的には思っております。・・・が、ただそれでも、選択肢は多い方がよろしいかと。
(ではまた。)
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租税政策的には、ビークル選択という局面で「ちょっと違う」ものの取扱い(が異なる点)が問題視されるのだと思います。例えば、税務上のメリットも考えて、あえてTMKにして(本当は要らない)機関整えたり、逆にガバナンスが弱いビークルを利用してモニタリング・コストが余計にかかったりだとか。まったく同じであれば悩むこともないわけです(その税収ロスを埋めるためのより歪みの少ない課税手段があるかが問題になりますが)。
ですので、最後の事例は、「選択肢があってよかったね」ではなく、「余計なコストかけさせやがって。租税法のバカヤロー」となる話のような気がしますがいかがでしょうか?
これから経済学を学ばれる方へ(その2)
前回の続きからです。 「経済学」では、できるだけシンプルに分析を進めるため、
>ですので、最後の事例は、「選択肢があってよかったね」ではなく、「余計なコストかけさせやがって。租税法のバカヤロー」となる話のような気がしますがいかがでしょうか?
そうとも思ったのですが、実際問題、政府(各省庁)が、どれだけ一体として経済合理的に動いてくれるのか、と思いまして。政府が完全に「一つの人格」として動いてくれるんならいいんですが、財務省は財務省の、経済産業省は経済産業省の、法務省は法務省の論理で、租税法その他の法案をそれぞれ作ってということだと、多様な国民のニーズを広く吸収して、しかもシンプルな形に収斂させるなんてことができるのか?
官僚にそこまでの調整能力が無いとするなら、無理してシンプルな形にまとめて使えないものになるよりは、いろいろ多様な選択肢を残しておいてくれた方が、マクロ的にはうまくいくような気がしたわけです。
リーガル・コストがディールが成立しないほど跳ね上がったり、調べ物のせいでクロージングが延びたり、という影響もそんなにはないとすると、マクロで見ればそのコストは無視できる程度じゃないかと。実際、現場で働く人たちが、あちこち資料を調べたりクロージングに合わせて徹夜したりというようにシワヨセが行くわけですが、マクロ的には経済の活力をそぐことにはならないんじゃないかと。選択肢が存在しないほうが、ディールが成立しないデメリットが発生するわけで。
有限会社の次の選択肢としては、合同会社でしょうか,LLCでしょうか。
金融法務事情読んでる限りは、合同会社の方が便利そうですね。
有限責任だし、社債出せるし、会社更生法効かないですから。
TBありがとうございます。どうも、ごぶさたしています。
中立性の問題というのは、ちょっとまた色々と考えてみたい話で、日を改めますが、立法リソースが限られている中で、目的がよく分からないものにエネルギーを割くというのは、識者の方による検討段階だけでなく、この関係で必要となる政令レベルの調整とか、施行後のメンテナンスなどを考えると・・・最終的に自然淘汰がなされていってそれ自体直接に「害」はないとしても、機会費用というのは意外と無視できないんじゃないかという気もするところです。