昨日のエントリ「痴漢容疑リスク」に、多くの方からコメント等いただきましたので、ちょっと追加コメントをば。
404 Blog Not Found 「痴漢容疑よりこわい針小棒大」
磯崎さんとは思えぬ不見識である。
そりゃ、すんません。
被害者の皆さんには申し訳ないが、「わずか」2,201件である。交通事故死者の4割に満たないのだ。痴漢にあうのと車に轢かれるのと、どちらが深刻で悲惨かは言うまでもないだろう。
池田信夫さんのコメント;
まして誤認で巻き込まれる確率は、宝くじで6億円当たる確率よりはるかに低いでしょう。
もちろんメディアとしては、珍しいから大きなニュースになるので、これは典型的な「代表性バイアス」です。日ごろから冷静なリスク評価の必要性を説いている磯崎さんが、こういうバイアスを強めるのはいかがなものでしょうか。
「最大のリスクの一つ」という私の表現が、誤解を招きやすい表現だったかと思います。私の問題意識は、「まっちゃか」さんのコメントで、
それよりも、いわんとすることは、そのリスクに対して実効的な対策が打てないことを言われているのでは。
空き巣に入られる可能性が低いからといって、ドアに最初から鍵がついてないようなもの。
(中略)
それだけのリスクに対して、相当の努力(例えば、著しく早い時間帯の電車に乗るか、著しく高額な費用を伴う対策)を強いられる現状に対する問題提議と捉えています。
で言っていただいているのと、ほぼ同様でして、リスクマネジメントにおける、「固有リスク」と「残存リスク」の、どちらかというと「残存リスク」のほうのお話であります。
「固有リスク」と「残存リスク」
リスクマネジメントやリスクアプローチの監査などで、よくこんな↓概念図が示されます。
図中の「A」は、「発生可能性」が高く「影響度」も大きいので、固有リスク(ある事象が本来持っているリスク)が高いわけですが、こうしたリスクでも、対処することで、「残存リスク」を小さくすることができます。(図中「A’」)
例えば、交通事故で発生する財務リスクをヘッジするために保険をかける「リスク移転」や、自社で商品を配送していたものを、すべて宅配便に切り替えることで、社員が引き起こす交通事故リスクを負わないようにする「リスク回避」、社員教育によるリスクコントロール等です。
一方、発生可能性が低くて影響度も高くなくても(図中「B」)、そのリスクに対して何も対処が行われないと、より固有の発生頻度・影響額が高い事象のリスクよりも、結果としての「残存リスク」は大きくなることもあります。
交通事故リスクは、一般的に非常によく認識されたリスクであり、保険や教育など、取れる対応策もだいたい取られているケースが多いんじゃないかと思いますが、「痴漢容疑リスク」というのは、そもそもリスクの存在自体が認識されてない(他人事だと思ってる可能性が高い)し、対処も全く行われていないことが大半ではないかと。
そして、リスクマネジメントで重要なのは、「固有リスクそのもの」ではなく、「残存リスクがどのくらいか」、ということになります。
「対処」のコストパフォーマンス
このため、社員のコンプライアンス研修などの中で、仮に痴漢容疑で拘束された場合に、どういった対応を取るのがいいのか(例えば:会社総務に至急連絡 → 総務は顧問弁護士に連絡とか)、といった対応を示しておくのも一考かと思います。
そういうイメージトレーニングが出来てない場合、
「恥ずかしがって誰にも相談せずに事態が最悪の状況になってから対処」とか、
「頭がパニクって、その場から逃走しようとして心証が悪化」とか、
「取調べの警官に、『やったと認めないと1ヶ月は留置所だぞ』と言われて、今まで体験したことの無い環境のプレッシャーで、やってもいないのに『やりました』と自供しちゃう」とか、
影響度を拡大させてしまうことにもなりがちかと思います。
「客観的」リスクと、「主観的」リスク
また、池田さんのコメントには、「絶対的な確率が低いことをマスコミがたまたま騒いでいるだけ」という、「飲酒運転事故は増えているのか」のエントリと同様のご主旨を含んでらっしゃるのではないかと思います。
確かにマスコミの報道にバイアスがあるのはおっしゃるとおりなんですけど、企業のマネジメントの観点からすると、ちょっと違った見方も可能かなと。
「コンティンジェンシー」的領域は、精緻な優先順位付けはあまり意味が無い
企業のリスク・アセスメントの実務では、発生頻度が高い部分や、マーケットリスクの部分などは、科学的(っぽい)対応が取られているケースも多いですが、「地震」とか「停電」というような発生頻度が低い事象については、「停電>交通事故>火事>地震」といった優先順位付けを科学的に精緻に行うことはあまり意味が無いかと思います。(めったに起こることではないし、一方、起こってしまえば、どれも多大な影響を及ぼすので。)
このため、たいていは計画で一定にスケジュールを決めて対処していく、ということになりますし、通常はそうした「経営判断」が著しく妥当性を欠くということにもならないかと思います。
マスコミが騒いでいる時期は、客観的にもリスクは高まる
ただし、一方で、マスコミで話題になっている時に同じ事象を続けて起こすと、「また、飲酒運転で事故」と大々的に取り上げられることになるので、単なるマスコミの記者の頭の中にあるバイアスというだけでなく、企業や一般人にとってのレピュテーション・リスクは、客観的にも大きくなってるはずです。
「賞味期限偽装」、「耐震強度偽装」、「エレベータの閉じ込め」、「飲酒運転事故のクローズアップ」と、マスコミで騒がれていることについて、「ウチは大丈夫か?」と、社内の実態や内部統制(規程や社員教育の状況等)を再確認するのは、それなりに意味があるし、やらなければ、経営者が善管注意義務違反になる可能性が高まる場合も多いんじゃないかと。
「騒がれている時」は、従業員教育にも適したタイミング
さらに、従業員も、騒がれている時のほうがリスクについて「イメージ」がしやすく、頭にも入るし、社内でそれについての対応策を取ることについても異論が出にくく、調整コストも下がるはずです。
−−−
ということで、一般社会においては、「話題になっているところから取り組む」という(一見ミーハーな)マネジメントも、それなりに合理性があるんじゃないかと思う次第です。
(ではまた。)
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TB不可なのでコメントします
http://jmseul.cocolog-nifty.com/jiji/2006/09/post_43dc.html
痴漢に厳罰は当然だ、しかし否認すると1ヶ月も留置されるのは如何なものか、取調べが終わり次第即刻釈放し後は出頭尋問に切り替えるべきである、そして本罪か冤罪かを峻別すべきと考える、懲戒免職などの処置はそれからでよい
企業ではなく個人のリスク管理の話ですが、身代金目的誘拐とか耐震偽装マンションとかも「どれもめったに起こることではないし、一方、起こってしまえば、どれも多大な影響を及ぼす」一例でしょうか。あまりに例外的であるが故に、起こった場合に被害者がセーフティーネットの考慮外になってしまうところが、余計に被害を深刻なものにしています。しかし、自由経済社会である以上、なんでもかんでも国が保護というわけにもいきませんし(声が大きいと「がんになったからがん保険に加入させろ」的な主張も通るようですが^^;)、リスクフリーを国に求めるのが過大な期待である以上、最終的には自己責任でリスク管理をするしかないのでしょう。凶悪犯罪保険、痴漢冤罪保険、欠陥商品保険...もしあれば保険料次第だけど買ってもいいかも。
うーん。ちょっと苦しいかな。
なんとかお得意の監査的リスクアプローチでExcuseしようとするとかえって昨日のBlog内容と激しく矛盾しております。
残存リスクの側面から考えると、ご自身で提案された自動車通勤という代替手段の方が明らかにヘッジしきれない残存リスクが高くなります。保険というのは、あくまでも経済的側面のみで、生命やレピュテーションについてはカバーされません。
というか、そもそも簡単にヘッジできるリスクだと思うのですが。。。。若い女性がいたらなるべく近くによらない、電車のるときにホームで注意する、不幸にも隣り合わせてしまったら体をひねってつかないよう注意する、背中合わせになるようにする、とか。で、これら行為の逆をすれば、それはウエクサ先生的な深層心理とつながるのであって(笑)。連日満員電車通勤の私の経験からいって、電車乗り降りするときの動きで安全な位置取りは簡単にコントロールできますよ。エントリーのようなもっともらしいことをいう人って、結局「満員電車で若い女性の近くにいることを楽しみたい、ハプニング的な接触を楽しみたい、けれど痴漢をするわけでもないので、痴漢と誤認されたくない」というスケベ根性がプンプンとします。そもそも近くに行かないような努力をすればいいだけのことと思いますがね。
(「私はスケベでない」とは申しませんが、それはさておき・・・)
私も、電車に乗る時は、一つ前のエントリ
http://www.tez.com/blog/archives/000760.html
に書いたように、基本的に「すいている電車・グリーン車で座る」という方法をとっており、それで、おっしゃるような「勘違い」を中心に、かなりのリスクは防げると思うのですが、毎日グリーン車に乗るわけにもいかないので、それだけで「意図的な」ものまで防ぎきれるとはいえないわけです。
つまり、これも一つ前のエントリでご説明したとおり、体をひねってようが3m離れていようが、ホームに降りてから、「あの人に痴漢されました」と、駅員に告げ口をされたら、やってないことを立証する方法は(ほぼ)ゼロ。
みなさんのコメントを受けて、「おれって、ちょっと心配しすぎ?」とも思ったのですが、今日聞いた話でも、ある証券会社は公開直前の会社に、「役員の方は、満員電車には当面乗らないでくださいね。仮にもそういうことになったら、公開どころではなくなるので。」と言っているとのこと。
・・・ということで、「失うものがでかい」方面では、やはりこのリスクを認識してらっしゃる方はそこそこいるのかな、と思った次第です。
残存リスクや実効的な対策が打てるかどうかも痴漢冤罪に限ったリスクではないように思います。起こる確率で言えば、通り魔や恐喝のほうが痴漢冤罪より多いわけですが、
親父狩りや通り魔だってボディガードに一日中ついてもらうならともかく、そうでないならいきなり襲われたときの実効的な対策なんかうち用がないでしょう。重症を負えば仕事にも支障は出るし、金銭的な負担も痴漢の示談とは比べ物になりません。
「痴漢容疑リスク」が存在自体が認識されてないというのも言い過ぎではないでしょうか。痴漢冤罪は雑誌でもテレビでも何度も取り上げられてますよ。
私の知人は女性と数メートル離れていてホームに降りてから痴漢扱いされ駅員に突き出されましたが、警察に話を聞かれてそのときの行動の調書を作っただけで終わりです。
他の乗客とか監視カメラも証拠になりますし、手についた繊維なんかを調べる場合もあるわけで立証する方法がゼロというのは言いすぎです。警察検察だって容疑をちゃんと立証しなけりゃ裁判にかけられないんですから。
無実の証明が不可能だと考えてしまうことこそ、痴漢恐喝する人の思う壺ですよ。やってないなら堂々と警察に話せばいいだけです。
先のエントリに対する批判(TB含む)の多くは、磯崎さんの文意を読み取れてないものが多く、どう反論されるかなと期待していましたが、想像以上に素晴らしい回答だったので、うなってしまいました。
ところで読んでいて一つ疑問があったのですが、それはリスクを比較するときに、あまりにも違うものを比較していいのかな、ということです。なんか個人的には、交通事故と痴漢の冤罪を比較することそのものに違和感を覚えます。これはただの個人的な価値観の問題でしょうか。っていうことを記事を読んでいて感じました。
長文になってしまいスイマセン。これからも期待しています。
一連のエントリーで「確率的発想法~数学を日常に活かす」小島 寛之 (著) を思い出しました。「痴漢容疑リスク」が宝くじや交通事故に遭うリスクよりも低いというのは単なる統計的数値で、磯崎先生が痴漢容疑をかけられるリスクを論じておられるのは、本人の内面的な主観を表現されているものですよね。痴漢誤認の確率が何万分の1でも先生がまさにその一人に該当することには雲泥の差があります。そこには客観と主観のすり替えがあり次元が違いますよね。上記著者は「世の中で行われる確率情報の伝達や交換では、その基盤が巧妙にすり替わっている場合」があるとされてますが、磯崎先生は404 Blog Not Foundさんや池田先生にまんまとやられてしまったんじゃないですか。
(本人の「主観」が大きいのもそうですが)、(繰り返しになりますが)、「善管注意義務」を考えた場合に、確率が低いからといって何も対応しなくていいかというと、そうではない、という主旨です。
例えば、火災が発生するオフィスって、今や確率的には、ほとんどゼロですよね?
ただ、確率が非常に低いからといって、避難訓練をやったり、消化器を配置したり、火災に対する対応をBCPプランに組み込むといった対応を何もやってない企業ってのはマズい。万が一火災が発生して大きな損害が発生した場合に、「何もやってませんでした」というのは、経営者の重過失等になる可能性はあると認識しておく必要があると思います。
個人の場合は、法律上の善管注意義務とは違うかも知れませんが、(「オレは天涯孤独だし、そんなリスク怖くない」という人はともかく)、残される家族やいっしょに働いている人のことを考えれば、一般論としての「責任」は発生すると思いますよ。
確率論も高尚な所まで行っているところですが、問題は最初提起されましたとおり、男側の反証が極めて難しい、しかもその時の被害が普通の人にとって大きすぎる点ではないでしょうか。リスクマネージメントで使う確率×被害の考え方では値の入れ方で結論は何とでもなりますが。
「経験者さん」の例はむしろラッキーな例で、堂々と警察に連れて行かれたところが被害者の訴えを前提に起訴、有罪、と言う例は、立教大の教授がやっている「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」を読むと何例も出てきます。この団体の背景は知らないのですが、新聞にも出た沖田事件(携帯お喋り女性に注意したら逆切れ)など、検察が書類を「紛失」するなど一般社会人の良識が必ずしも通用しない気がします。
それはともかく、お互いの証言で判断するしかないような、冤罪をかなりの確率で生みうる事件に対して、そういう場合の被害(被疑者にとっての)を過大なものにしないようにしておく、というのが法治国家ではないかと思います。
つまり否認すれば1ヶ月、どころか3、4ヶ月も拘留するという人権無視的な事例が起きる体制に歯止めを掛ける
ことが必要でしょう。通勤電車に乗る身としては喫緊です。
「国家の罠」の佐藤氏は500日の拘留ですが、判決前は推定無罪ということは同じでも、懲役2年半の判決が出るような事件ならまだしも、罰金5万円の事件では1週間超の拘留は人権侵害と思います。(佐藤さん すみません)
真犯人であってもそうですし、まして冤罪が何件も出ている同種事件では、です。
視点を変えますが、かつて社会問題になった電車内のうるさいウォークマン人種。その際更に腹立たしく思っていたのが私以外誰も注意しない周りの男達。ところが上記の沖田事件で刑事裁判は不起訴になったが民事は逆に男側が負け、という訳の分らない判決を先日新聞で読んで、つい音楽ガンガンの迷惑女を見過ごしてしまいました。
日本の社会をこれ以上情けない状態にしないためには、お互い注意しあうのが大人の義務と思っているのですが
こういうことが存在すると大きな阻害要因です。
しかし一般論としての「責任」はつらいですな。