磯崎(@ハニーフラーッシュ!)です。
editechさんよりコメントいただきました。
はじめまして。editech です。
はじめまして。よろしくお願いいたします。
この図解は定性的な分析なので、実際にはそのBlogサイトがどのポジションにいるのかは別問題ですね。
(再掲)
そうですね。
ただ、アバウトでよければ定量化もできるかも、とも思います。
縦軸が「ディスカッションへの参加人数」とか。
横軸は、日経デジタルコアのMLでは、横軸は「同期・非同期」「コミュニケーションの強要度」てなことになりつつあります。同MLで太田秀一さんがおっしゃってた「皆から期待されている反応速度」というような尺度が使えるかも知れません。「レスポンスまでの平均時間」とか。
(どうやるかはさておき)、そういうののデータをとって散布図にプロットしてみて、ドットが濃いところを丸で囲むと、似たような図ができるかも知れません。
(日経デジタルコアのMLでのやりとりもご紹介したいところですが、原則「クローズド」な規約なので。以前、MLでの発言が外に漏れて国会にまで飛び火したりして、「大変なこと」になりましたので、残念ながら転載は見合させていただきます。)
『(blogは)論旨もまとまっているので、読み手は「ふーん」で終わってしまい』
これも一般的な性質としては、そのとおりだと思います。
でも、「ふーん」で終わらないBlogもあります。
おっしゃるとおりですね。例えば、「切込隊長BLOG」なんかは2chとほぼ同じノリとも言えます。
以下、上述のMLでの私の発言部分(一部)だけ転載します。
「コミュニケーションの強要度」または「同期性」について
「電話」は「同期通信的」なので、かかってくるとコミュニケーションせざるを得ない。
「IM」だと、相手のステイタスを見て話しかけてくるので、同期通信的ではありますが、ややコミュニケーションの強要度は低くなります。
「メール」は返事はすぐにしなくてもいいがずっと返事しないと気まずい。
「メルマガ」は文字通り「雑誌」「新聞」と同じ。
「blog」はコメントもできるし、見るだけで返事しなくても全く気にしなくていいところが楽です。
「2ch」はコミュニケーションを強要されるわけではないですが、よく考えて見ると、かなり独自の「プロトコール」があって、初めての人が気軽に入っていけるところではない、かと思います。
媒体ごとの自由さと、ブログの「駄文」の効用
10年前くらいから、いくつかメーリングリストを運営してみて、活発なメーリングリストの参加者の上限は500人くらいという感じがしてました。
blogだと、そのblogを認知している人が例えば数万人いて、その中から、毎日、1000人なり2000人なりが見に来る、ということが可能です。
初めてメーリングリストというものに接したとき、「社会的な地位やら場所やら関係なく、対等にコミュニケーションできるこんなメディアがあったなんて!」と感動したもんですが、今にして思えば、メーリングリストは制約だらけ、です。
(私もよくしかられますが)読みたくも無い長文のメールを送りつけられるほうは「スパム」と同じです。また、そう思うと遠慮して発言を控えてしまう人も多い。メーリングリストは、個々人の情報発信意欲に「我慢」を強いる媒体ですね。
ブログのサイトをはじめて見た時に、「こんなどこの誰が書いたかわからないダラダラした文章を読みたがるやつがどれだけいるんだろ?」(ブログなんて、そんなにはやんないんじゃねーの?)と思いましたが、実は、「そんなこと」でも書けてしまう「自由度」というか「マイペース度」がブログのいいところなんだと気づいてきました。
それが面白いと思う人もいるわけで。「絞込み」は「エージェント」がすればいいわけです。
以前、「美味しんぼ」で、カレー粉とガラムマサラの違い、というのがあって、栗田ゆう子が、「ガラムマサラは、スパイスの種類ごとの香りが引き立って、個性が失われて無いのよ!」てなことを言って感動する、という場面がありました。
既存の媒体は、新聞にしても雑誌にしてもwebのコンテンツにしても、何らかの「制約」「我慢」や「没個性化」の下に成立しているわけで、それはそれで、手間隙かけたフランス風カレーのようなすばらしさはあるわけですが、スパイスを自分で調合してガラムマサラを作る本格インド風カレーの味の鮮烈さを味わうと、そうした既存媒体のカレーは、やや「もったり」したふうに感じられてしまう、というか。
それに気づいて、トラフィックのシフトが起こり始めているのかも知れません。
blogはスピーディなディスカッションには使えない?、というご意見に対して。
そう思いまして「右下」に位置づけてみました。
「最近の若い人」は、そういう会議的・同期的・強制的なディスカッションは「メッセンジャー」でやっちゃってますね。
先日、ある会社でシステム障害が発生した時の緊急会議に「間違いinvite」されまして、「なんだなんだ?」と思っているうちにどんどん、シリコンバレーと日本をまたいで会話がスピーディに進行して行くのを見て、(いまさらながら)「おおーっ」と感動いたしまして。
よくSF映画で、ホログラフィー的な立体画像で世界中から集まって会議をするシーンがありますが、IMでは実質的にそれと同じことがすでにできて、しかも現実にビジネスで利用されているわけです。(しかも「タダ」で。外資系などでは、昔からPolycomなどの電話機を会議机の真ん中に置いたりしてやってましたが・・。)
後はブロードバンド化していけば、テキスト→音声→動画と言う風に利用の中心帯がシフトしていくのは明らかかと思います。
つまり、「そういったディスカッション」はIMの延長線上にあるもので、blogの先にあるものとはちょっと違う気がします。
KM(ナレッジマネジメント)ツールとしてのblogについて
ただ、ブログの階層構造は全く「フラット」のままであっても、今やGoogleなどのメチャ強力なサーチエンジンがあるというところが10年前とは違うなあ、と。
自分で思いついたことや、気になるURLを書き留めておくだけで、(他の人によくわかるかどうかはともかく)、「確か、それ書きとめておいたはず」という「メタ記憶」さえあれば、あとはそれらしいキーワードをぶち込むだけで望むコンテンツがgetできます。
(これ、海馬の機能が衰えてきたオジサンには最高!です。)
つまり(中略)「KM」が「タダ」でできるようになってきちゃったのが、blog+サーチエンジン時代という感じで理解しているのですが・・・。
(秘密でないナレッジに限られますが。)
KMの運用で最も難しいことの一つは、「ネタをどう個人から吐き出させるか」ということかと思います。私もブログを始める前に「ネタが尽きちゃうんじゃないか」とか、「他人にノウハウを盗まれちゃうんじゃないか」というようなセコいことが頭をよぎりましたが、やってみると意外にも、いくら吐き出してもデメリットより、自分の考えがまとまったり、後で自分で利用できたり、他人の意見にインスパイアされて新しい発想が浮かんだり、というメリットの方が格段に大きい。
ではまた。
[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。
磯崎さん、お相手して頂きありがとうございます (^^)
>KM(ナレッジマネジメント)ツールとしてのblogについて
>ただ、ブログの階層構造は全く「フラット」のままであっても、
>今やGoogleなどのメチャ強力なサーチエンジンがあるという
>ところが10年前とは違うなあ、と。
いや、まったくそうですね。「知」の世界に与えた影響は
インターネット登場前/後よりも、高性能サーチエンジン登場前/後のほうが
大きかったのではないかと思えるほどです。
しかしながら、本当に有用な「ナレッジ」を手に入れるには
その道の専門家なり、おたくな人に聞くことだろうな、と。
いくらサーチエンジンが高性能になっても(いまのところは)言葉の意味や
コンテキストまでは解釈できませんから。
そういう意味では、まだまだKM(Knowledge Management)ではなく、
Information Managementでしかないのでしょう。
ナレッジマネジメントの本を見ると、各人の経験や知識を伝達する方法として
「物語(ストーリーテリング)」があるとしています(『ナレッジマネジメント入門』
日経文庫 964)。以下に引用します。
—–引用はじまり
(物語は)自分自身の経験(つまり暗黙知)をすべて形式知化することなく、「場」
や状況までも含めて伝達する方法です。(中略)それは、昔話を語ることではあり
ません。たとえば、1. だれに、どんな問題が起きたのか、2. それはどのような状
態、背景で起きたのか、3. それに対してどう考えたのか、4. そして何をした(問
題を解決したのか)、5. 最終的にどんな意味があったのか、など自分自身の経
験知識(主観的事実)を再構成することです。
—–引用終わり
当然ながら、これは、サーチエンジンでは無理です。
「物語」一式でひとつのナレッジですから。
もしかすると、ソーシャルネットワーク内のコミュニティの中で形成されるかもしれ
ないと思ったりしますが、まだ思いつきの域を出てません。
とりとめがなくなっってきたので、このへんで止めておきたいと思います。
「Blogによるコミュニケーションの変化(仮説)」刺激的な話でした。
それでは、また。
blogとその他コミュニケーションツールの比較
過去の技術革新によって“こちら側”と“あちら側”の境界があいまいになり、環境が整ったところへ登場すべくして登場したツール=blogなのかもしれません(もちろん、開発側などにとっては当たり前のことと思われるかもしれませんが、マクロ的な位置付けとして)。