放送大学ジャンキー気味の磯崎です。
放送大学は、通常は、1回45分の各講義を15週にわたって放送してますが、後期の授業も一通り終わって、今はオススメ講義を集中的に連日放送するモードに突入中。
昨日からはじまった講義の一つに、一般のテレビへも中東専門家としてよく出演してらっしゃる高橋和夫教授による「現代の国際政治(’08)−9月11日後の世界−」がありますが、これが現代社会をじっくり考え直すのに大変タメになります。
放送大学の授業のほとんどは、殺風景なスタジオで画面にも変化が無いことが多く、先生方も、あらかじめ用意した原稿を棒読みするとか、あまり滑舌がよろしくない方も多いんですが、そこがまた放送大学のよさでして。
滑舌だけでいうとアナウンサーやタレントにかなうわけもないわけです。しかし、現在のテレビ番組のほとんどは、「滑舌はいいけど中身が無い」ものばかりなわけでして、「滑舌は悪くても中身がある」ものを求めている人は、結構多いと思うんですね。
ところが、高橋教授は、テレビに出慣れてらっしゃるからか、結構「テレビ的な演出」を加えたりするんですね。(スタジオでなく、ロケのシーンで歩きながら登場するとか、フリップやCGじゃなくなく、わざわざ黒板のある教室での授業風景にするとか。)
「そういうの、放送大学に求めてないですから。」とも思うわけですが、高橋教授は、そういうことを単にカッコツケでやってらっしゃるわけじゃなくて、今までの「テレビ」に対するアンチテーゼを強烈に意識してやってらっしゃるようです。
18日日曜日に放送された特別講義「激動するイラク情勢を読み解く」でも、冒頭でニュースキャスター風に登場し、
テレビを見ていてよく思うんですけれど、この人の話をもっと聞きたいな、この話題をもっと聞きたいな、という経験があります。しかし、普通には、他の話題もありますし、他のコメンテータもおられる、そしてコマーシャルもあって、なかなかそうしたことはかなわないわけです。
そこで私は、放送大学の特別講義の枠の中で、そうした専門家、酒井 啓子さん(東京外国語大学大学院教授、元アジ研)という専門家をお招きしてイラクについてだけ論じてみよう、と考えました。
二人でイラクについて語るVTRをこれからゆっくりと、じっくりとご覧いただければ、と存じます。
と、(他の)「テレビ」を非常に意識されてらっしゃいます。
私もまったく同感でして、通常の(特に民放の)番組では、ほとんど深い話は聞けない。
テレビというのは動画像データなので、地デジで録画すると1番組で5GB(ギガバイト)弱もの情報量にもなるわけですが、例えばアナウンサーのしゃべる速度は、1分間に300字から400字程度と言われてますから、400字×2バイト×8ビット÷60秒としても、「正味」では、約100bps程度の情報量しか送っていないわけです。
(この、100Mbpsが普通の時代に、その100万分の1のスピード。)
正味5分のコーナーで一人の人がフルにしゃべったとしても、4KB(キロバイト)程度の情報量にしかならないわけで。
すごいぜいたくな帯域の使い方であります。
ライブドアによるニッポン放送買収騒動の時に呼んでいただいた某テレビ局のディレクターの方も、
対象が3つになると、もうテレビでは伝えられないんです。
「ライブドア VS ニッポン放送」という2者の対決は伝えられても、そこに、ホワイトナイトで北尾さんが登場して3者になったら、もう複雑すぎて伝えられなくなっちゃうんです。
と、おっしゃってました。
もちろん、民放のディレクターさんがアホなので難しいことが理解できないとか、テレビ放送の技術仕様としてそういった情報を流すことが無理という意味ではなくて、広告型ビジネスモデルとして視聴率を気にし、視聴者にチャンネルを回されないような演出にしようとする前提では無理だ、ということかと思います。
そういう意味で、特別講義45分、通常の授業だと45分間×15回もの時間を、視聴率を気にせずに流せるという枠は、単なる雑学の小ネタではなく、一つの考え方のまとまり(マインドセット)を伝えるためには必要なものじゃないかと思います。
さて、「現代の国際政治(’08)」の第一回目のタイトルも、
「テレビと国際政治 / もうだまされないために」
と、大変刺激的。
為政者によってテレビがどのように使われて来たか、テレビが国際政治にいかに影響を与えてきたかというメカニズムの具体例が掲げられてます。
たとえば、
- 2003年4月9日に、イラクでフセイン像が倒されるシーンが、「寄り」で撮っているのでイラク中の群衆が集まって見えたが、実は非常に少数のまばらな人だけしか集まっていなかった。
- 2003年11月の感謝祭にブッシュ大統領がイラク米軍基地を電撃訪問したときに、ブッシュが自ら暖かい七面鳥を兵士に振る舞うシーンが放映されたが、その七面鳥は実は・・・
- 2003年4月の特殊部隊による救出作戦では、イラク軍に虐待されていた女性兵士ジェシカ・リンチは、実は・・・。
- 1960年のニクソンとケネディのテレビ討論
- ニクソン大統領の中国訪問における飛行機からのタラップの降り方の演出。(1972年2月)
- クリントン大統領の中国訪問(1998年6月)における訪問地の選択、タラップから降りるクリントン夫人の服の色の意味。
- 安倍首相が韓国訪問をした際(2006年10月)にタラップを降りる時に、いかにそのへんを考えていないか。
- フォード大統領がオーストリア訪問(1975年6月)にタラップでコケた影響。
- ベトナム戦争で、はじめてテレビで戦争(仏僧焼身自殺[1963年5月]等。)が伝えられたことの影響。
- 徴兵拒否をしたモハメド・アリが「ベトナムがどこにあるか知っているか?」と聞かれて答えたせりふ。
- イラン国王アメリカ訪問の映像が、イラク国内や革命に与えた影響。
等々。
個々には聞いたことがある話もありますが、やはり全体を体系的に構成してあるので、非常にためになります。
おまけに、最後に、
言葉を変えますと、テレビというものはウソをつくんだ、というのが、今日の私が出しているメッセージであります。
しかしながら、テレビがウソをつくものだということが真実でありますと、私はテレビがウソをつくと今テレビで申し上げておりますから、テレビがウソをつくということがウソになります。
さて、テレビは本当にウソをつくんでしょうか、つかないんでしょうか、考えていただければと存じます。
と、クレタ人のパラドックス的なことを言って締めくくってらっしゃいます。
考えようによっては、「他のテレビはウソつくけど、放送大学はより真実に近い情報を流してまっせ」とケンカを売っているようにも取れます。
—
さて、「テレビは怖い」ということですが、そういう意味では、放送大学で一番「テレビの怖さ」を理解されてないのは、学長である 石 弘光 氏かも知れないですね。
放送大学の先生は、ほとんどの方が学問的好奇心に目をきらきらさせながらしゃべる方で、その純粋さが伝わって来ることも多いわけです。その中で、石学長が登場する、年末に放送していた特別番組「国の財政危機をどう克服するか」や、正月の「大学の窓 新春にあたって」を拝見すると、どうも、「ふんぞりかえって」「えらそうに」しゃべっているように見えちゃう。
特に、例えば、「近代ヨーロッパ史」を担当されている学習院大学学長福井憲彦教授の、いかにも品がある講義の後に拝見すると、ちょっと「れれっ?」という感じになっちゃうわけです。
ビデオを見直してみると、実際の社会で例えば応接室で石学長にお会いしたとしたとしたら、さほど「エバりやがって」と不快感を感じるほどではなさそうですし、むしろ気さくな方だなと感じるやも知れません。
しかし、他の講師陣もさることながら、「テレビ」には、タレントやら女子アナやら、日本で最も好感度の高い人たちが登場しており、その人たちと「同じ画面」を通しての比較になってしまうわけです。
1960年のニクソンVSケネディのテレビ討論で政治の世界に起こったことが、半世紀たって、学問の世界にも起こっている、ということかも知れません。
「テレビ」って怖いですね。
(ではまた。)
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