「銃・病原菌・鉄」一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎(上巻)(下巻)

■一万三〇〇〇年の壮大なスケールで描く、「不均衡」な人類の歴史の書

先日、ビジネスで上海にでかけて、そのエネルギーに驚かされた。二十一世紀的デザインの新空港から市内に至る高速道路には「ドット・コム」の看板が立ち並び、新市街には世界トップクラスの高さの摩天楼がそびえ立つ。表通りにスターバックスコーヒーが店を構える一方で、裏通りは、日本で言えば昭和三○年代以前のような粗末な家が軒を連ねている。人口は東京都以上。これだけの数の一般庶民が、今後、先進国並の生活を望んでいけば、その需要の爆発はものすごいものになること必至、という感じだ。
それに対して日本はといえば、不良債権問題を筆頭とする構造的な問題を打破する糸口が全く見えてこない。こういう時に上海の隆盛を見ると、逆に気分が滅入って、「日本は第二次大戦後、東西冷戦という構造下でたまたま漁夫の利的に発展しただけの国なんじゃないの?」という気にもなる。いかんいかん。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ともいう。そんなときは、目線を変えて、壮大な歴史的スケールとグローバルな視点で物事を考えてみるのもどうだろうか、ということで、本書を手にとってみた。


●根源的な問いかけの連続

本書は、一万三〇〇〇年前からの人類史の大きな流れを俯瞰した本で、一九九八年のピューリッツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞している。その記述が膨大な量の歴史的知識に裏打ちされているので、著者は、当然、考古学者か歴史学者かと思いきや、UCLAの生物学・進化生物学・生物地理学の教授である。
本書では、人類史上の「不均衡」がなぜ生じたかを問題にしている。「なぜヨーロッパがアフリカやアメリカに攻めこんだのか」というのは普通に思い付く疑問であるが、本書は、一歩進んで「なぜ、アフリカやアメリカの先住民がヨーロッパに攻め込むことがなかったか」という問いを発するのである。確かに、単純に「先行者利得」が存在するなら、今ごろ人類誕生の地アフリカが全世界を牛耳っていてもよさそうなものだが、実際にはそうなっていない。
また、「農業による生産力、人口密度、余剰生産力が、文字をあやつる専門の文官、武器を扱う職人や兵士を養う余剰力を生んだ」ということまでは、ちょっと教養のある人なら比較的容易にたどりつく答えである。では、その農業生産力にはなぜ差がついたのか?著者の疑問は、子供の無垢な問いかけのように、どんどん根源にさかのぼってゆくが、それらの問いにちゃんと答えが用意されるところに、カタルシスがある。本書で、それらの問いの行き付く結論は、「ユーラシア大陸が東西に長かったから」という一見突飛なものなのであるが、数々の論拠をもとに繰り出される説明には非常に説得力がある。
通常の歴史書と違って、「病原菌」をクローズアップしているところも本書の特徴である。生物学者だけあって、遺伝や免疫などの競争メカニズムとマクロな人間レベルでの競争メカニズムの対比もキマっている。
現在の世界は、地理的な国境を超えて行きかう資本と情報の流れによって、今までの歴史の流れと大きく変わろうとしている。現在という時は、将来から振り返って見ても、人類史上の非常に大きな転換点になることは間違いない。本書の論旨は、その時代を制する要因は、人間の能力ではなく、その時代時代の適切な「地域」にいるかどうか、ということだが、では、現在、勝者となるための「地域」はどこなのか。本書には、日本が、ただ鉄砲で攻めこまれのではなく、それを改良して、世界最高の質と量を持つ武器大国に成長する事例が描かれているが、日本は今だにそうした特殊な「地域」なのか、国境が意味をなさない時代には滅ぶ国なのか。当然、その直接の答えがこの本に書いてあるわけではないが、本書で用いられる推論の構造は、おおいに参考になるだろう。


■この本の目次

プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第1章 一万三〇〇〇年前のスタートライン
第2章 平和の民と戦う民との分かれ道
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突

第2部 食料生産にまつわる謎
第4章 食料生産と征服戦争
第5章 持てるものと持たざるものの歴史
第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
第7章 毒のないアーモンドの作り方
第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第10章 大地の広がる方向と住民の運命

第3部 銃・病原菌・鉄の謎
第11章 家畜がくれた死の贈り物
第12章 文字を作った人と借りた人
第13章 発明は必要の母である
第14章 平等な社会から集権的な社会へ

第4部 世界に横たわる謎
第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
第16章 中国はいかにして中国になったのか
第17章 太平洋に広がっていった人びと
第18章 旧世界と新世界の遭遇
第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

エピローグ 科学としての人類史


■著者・訳者のプロフィール

Jared Diamond
カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。生物学から進化生物学、生物地理学までその研究対象は広い。ニューギニアでの鳥類生態学の研究でも知られる。著書に「人間はどこまでチンパンジーか?」(長谷川真理子・長谷川寿一訳、新曜社)や「セックスはなぜ楽しいか」(長谷川寿一訳、草思社)など。

倉骨 彰
数理言語学博士。自動翻訳システムのR&Dを専門とする。テキサス大学オースチン校大学院言語学研究博士課程終了。現在、(株)オープンテクノロジーズ社勤務。主要訳書に「インターネットはからっぽの洞窟」(草思社)、「ハイテク過食症」(早川書房)など。