■カオス的な経済における予測不能性と、それに対応するための戦略を考える本
二〇〇二年の現在の社会を形作った近年の最も大きな要因は何かと言われれば、その一つとしてソ連の崩壊をあげることができるだろう。実は、社会主義経済というものがうまく機能しない可能性については、一九二〇年代からミーゼスやハイエクなどの経済学者に指摘されていた。彼らの主張は、社会主義経済において、政府が集権的に商品の価格や数量を決定しようとしても、そのために考えなければならないことが複雑になりすぎ、その計算が破綻するだろうということであったが、実際にその経済が行き詰って崩壊にまで至ったという事態は、学者だけでなく世界中の一般の人々にも、こうした中央集権的な計画経済がうまくいかないことを強く印象付ける結果となった。インターネットの普及もあって、全体を誰かがコントロールするのではなく、各自が自由に行動して全体が機能するしくみをつくるという考え方はますます定着し、良くも悪くも、世界中が市場経済化への模索を強いられる図式になりつつある。
こうした、ある人のとる行動が他の誰かと相互に影響を与え合う社会では、一人一人の行動のパターン自体は単純でも、それらの行動の集積である経済全体の動きは、非常に複雑になる。このため、社会はますます予測不可能なものになりつつあるように見える。
●制御より制度が大切
本書は、こうした「カオス」的な観点から経済についての考察を行っている本である。タイトルは「バタフライ」であるが、本書では、アリの集団が仲間同士で情報交換しながらエサを探すモデルを基本として、経済のカオス的な面を解説している。
本書で著者が導き出している結論は、経済は短期の予測ができないことはないが、長期になればなるほど予測は困難になるため、政策の微調整によって制御できる性質のものではないということである。つまり、景気や経済指標について一喜一憂するのでなく、経済がいい方向に向かうための「制度」や「構造」を作り出すことに力を入れるべきである、という立場をとっている。
このため著者は、前著「経済学は死んだ」と同様、本書でも、伝統的経済学に対する批判を行い、経済を「機械」として考え、それを思いのままに操作可能であると考える見方に反対の立場を示している。
著者は、英エコノミスト誌やヘンリー予測センターなどで、長年経済予測に携わってきた人物である。理論的な研究者の立場から書かれた複雑系の本ではなく、経済の予測に実際に長年携わってきた著者が、経済の予測不能性やコントロール不能性について述べている、というところが価値があるのではないだろうか。
本書は、非常に深遠なテーマを扱っているが、数式を使わず、グラフやわかりやすい例えを用いて説明が行われているので、一般の読者もさほど苦痛なく読めるはずである。ただし、著者は、かなりユーモアのある方のようで、まじめに読み進んでいると、途中しばしば、文章に散りばめられたイギリス風?ジョークに苦笑いすることになるが。
今、日本においてもまさに、「構造」の改革が唱えられている。日本も、特殊法人のボリュームが大きく間接金融の比率が非常に高いため市場メカニズムを生かしにくい構造になっているという点で、相当、旧ソ連と似た状況になっているように感じられる。
また、会社を経営する場合でも、政府が政策を決定する上でも、どのような「世界観」を持つかということは非常に重要だ。特に、市場や経済というものについて、予測やコントロールがどこまで可能かは、発生するリスクの程度を考え、それにあわせてどういった体制や構造を選択するかという点に大きく関連する。本書は、そうした経済の構造を変える必要性とそれに向けての戦略を考えるのに適した一冊ではないかと考える。
■この本の目次
まえがき
序章
第1章. カオスの縁に生きて
第4章. 家族の価値観
第3章. 泥棒を捕まえるために
第5章. 「数学を使い、その後で焼き捨てよ」
第6章. コントロールの幻想
第7章. 定量化の泥沼
第8章. 上昇と下降
第9章. 暗い鏡を通して
第10章. 諸国民の富
第11章. 持つと持たぬと
第12章. 樫の大樹も小さなドングリから
終章.控えめな行動が、大きな実りをもたらす
付録1〜3
参考文献
解説
■著者
Paul Ormerod
イギリスのエコノミスト。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で経済学を修めた後、エコノミスト誌で経済予測に携わる。1982年から1992年までヘンリー予測センター所長。ロンドン大学、マンチェスター大学客員教授。著書に「経済学は死んだ」など。
<監修者>
塩沢由典
1943年生まれ。大阪市立大学経済学研究科教授。
京都大学理学部修士課程終了。進化経済学会副会長、関西ベンチャー学会会長。著書に「市場の秩序学」(サントリー学芸賞受賞)、「複雑さの帰結」「複雑系経済学入門」など。
■訳者
北沢格
1960年生まれ。中央大学助教授。東京大学大学院人文科学研究科終了。
訳書に「記憶を書きかえる」「また逢うために」など。