雑誌、書籍に掲載された論文を載録しています。
- 2001年12月25日
- 変わりゆくベンチャーファイナンスと日本
次世代経済入門1「変わりゆく資金調達のかたち」掲載 - 2002年2月5日
- 経済再生を強力に推し進める「構造改革税」の導入を
エコノミスト 2002年2月5日号掲載
雑誌、書籍に掲載された論文を載録しています。
インターネットマガジンのBusiness Improvisationのコーナーに、6回にわたって、コーポレートファイナンスの基礎を連載していたものです。
1984年: | 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業 |
同年: | 株式会社長銀経営研究所(後、長銀総合研究所および長銀総研コンサルティング)入社。経営コンサルタントとして、都市開発、建設業、不動産業、レジャー産業、金融業、小売業、美術館等の業種を担当。経営戦略・経営計画策定、新規事業開発、フィージビリティスタディ、M&A、システム戦略コンサルティング等のコンサルティングに従事。アナリスト/エコノミストとして、電子決裁、暗号化、米国の電子証券取引、オンラインブローカー等の調査、警察庁のセキュリティ・コンサルティング等、インターネットサービス関連の調査、コンサルティングに携わる。 |
1992年: | 公認会計士第3次試験合格 |
1998年: | 現カブドットコム証券設立時に、事業計画の策定、ファンドレイジングを担当。 |
1999年: | ネットイヤーグループ株式会社設立に参画。同社にて、CFO、シニアバイスプレジデント経営企画室長を勤める。 |
2001年: | 磯崎哲也事務所開業。 以降、カブドットコム証券株式会社 社外取締役、株式会社ミクシィ 社外監査役、中央大学法科大学院 兼任講師等を歴任。 現在:フェムトパートナーズ株式会社 ゼネラルパートナー、磯崎哲也事務所 代表。 |
事務所名
磯崎哲也事務所 (Tetsuya Isozaki & Associates)
代表:磯崎哲也
連絡先
フェムトパートナーズ株式会社内となります。
メール
(投資に関するお問い合わせは、フェムトパートナーズの連絡先までお願いいたします。)
業務内容
現在、フェムトグロースキャピタル、フェムト・スタートアップでの投資、ハンズオン、及びベンチャー関係の講演や執筆業務にほぼ専念しており、新規のコンサルティングはお受けできない状況です。
■人間の心の中で増殖する「マインド・ウイルス」
現代は情報化社会である。次々に、性能のいいパソコンやインターネット製品が安く発売されていくのを見ると、情報処理や通信のコストパフォーマンスが飛躍的に良くなっていくことが実感できる。この調子で、情報伝達コストがどんどん小さくなっていくと、しまいには、経済学の教科書の始めに出てくる「完全競争」的な、情報が世界の隅々まで完全に行き渡る社会が到来するようにも思える。
しかしながら、その予想は、情報通信技術の発達で、巷に流れる情報量も急増するという点を見落としている。つまり、情報を受け取る人間の能力は限られるのに、情報の複雑性は飛躍的に増すため、きちんとした意思決定を行うのは、非常に大変なことになるのだ。すなわち、情報化社会とは、機械から機械には情報が伝わりやすくなるが、人から人へは、かえって情報が伝わりにくくなる社会だ、という言い方もできよう。
では、そうした世界で成功するための秘訣は何か。その一つが、「情報をうまく伝えること」であるのは明らかである。情報というのは、うまい伝え方をすると、人から人へ、増殖しながら勝手に伝わっていく。だから、ツボを突いた伝え方をすれば、非常に効率よく情報を伝達することができるはずである。
こうした、うまい情報伝達を理解するための一つの有力なモデルが、この本のタイトルでもある「ミーム」だ。
●「心のウイルス」からの視点
著者のリチャード・ブロディは、世界最大のソフトウエア会社であるマイクロソフト社で、同社のワープロソフト「ワード」の開発を最初に行った経歴を持つ人物である。
ミームという概念は、ベストセラーになった「利己的な遺伝子」の中で、生物学者リチャード・ドーキンスが最初に提唱したものである。生物の遺伝子が複製され増殖するように、ミームは心の中で複製され、人と人の間で伝達され増殖していくものである。このミームという概念自体が、非常に伝染力の高い考え方となって、今では、心理学、認知科学、社会学など、さまざまな観点から、ミームに関する研究が行われている。
著者のリチャード・ブロディ自身は、ミームを研究する学者というわけではない。この本は、ミームについて一般向けにわかりやすく書かれているが、それゆえ、学術的にきちっとした整理を求める人には、ちょっと物足りなさが残るかもしれない。まあそれは、作者が、この本自体にミームを盛り込むことを意識しているがゆえに、かしこまった表現より、読んだ人の印象に残り他の人に伝えたくなる表現を重視したためではないかとも思われる。
「利己的な遺伝子」という考え方は、生物が子孫を増やすために遺伝子を使うのではなく、遺伝子が自分の複製を増やすために、生物の体というものを使っているのだ、という逆転の発想であった。同様に、この本は、まず、人間の体や企業、国家などが情報を利用しているというよりも、ミームが自分を複製するために、それらの組織を形作っているのだ、という発想の転換を読者に迫る。ついで、そうした考え方をベースに、政治、ジャーナリズム、宗教、ビジネスなどを題材にして、ミームの性質やその挙動が、検討されてゆく。
今までの世界、特に日本では、物理的な実体こそが重要であり、その実体が「どう伝えられるか」は、それに付属する(取るに足らない)ものとして扱われてきたのではなかろうか。これに対して、情報化が進み、金融ビッグバンを始めとする強烈な競争社会が始まると、好むと好まざるとに関わらず、情報の伝え方・伝わり方は、それ自体が「実体」として、社会に強く作用するようになる。
この本は、こうした来たる社会を、ミームの視点からちょっと考えてみるのにいいかも知れない。
■この本の目次
序章 心の危機
第1章 ミームとは何か
第2章 心とふるまい
第3章 ウイルスが棲む三つの世界
第4章 進化の本質
第5章 ミームの進化
第6章 性−進化の根元
第7章 生き残りと恐怖
第8章 私たちはいかにプログラミングされている
第9章 文化ウイルス
第10章 宗教のミーム学
第11章 設計ウイルス(カルトのはじめ方)
第12章 治療−ミームの選択
■すでにサイバー化した金融に求められるシステム的な発想
金融業は、今さら言うまでもなく、情報通信技術の革新が真っ先に取り入れられる産業の一つである。実際、この数十年、金融はその技術革新によって大きな変化をとげており、今では銀行間の決済や株式・外為・デリバティブなどの取引量は、GNPの何十倍のオーダーに膨れ上がっている。つまり、金融の世界では、「情報化」や実体から乖離した「サイバー化」といった現象は、既に相当進んでおり、今後の情報化社会において予想される特質が、かなり先行して現れているのではないかと考えられる。
実際、話題の電子商取引でも、米国においてすら「モノ」を扱うビジネスでは、まだ採算がとれないものがほとんどであるのに対し、電子証券取引のサービスでは、すでに十億円単位の利益をあげているところもある。考えてみると当然であるが、本やTシャツといった「モノ」よりも、抽象的な「価値」の方が、ネットワークでははるかに取引しやすいのである。
金融というと、今までは金融界の外部の人にも内部の人にも、特別な産業という目で見られてきた感がある。しかし、これからの社会を考える上で、「価値」や「信用」を扱う金融のたどってきた道と、その今後のロードマップを見ておくのは、金融以外の産業に携わる人にも大いに参考になるのではないかと考えられる。
●「競争促進」へのシフト
本書は、長年、金融産業に提言を行ってきたライタン氏らが議会向けのレポートとして書いているだけあって、二○世紀の金融の回顧と、二一世紀への指針という広範な内容が、コンパクトに、かつ、わかりやすく書かれている。
本書では、例えば「過去十五年間において、国際通貨基金(IMF)に所属する一八一カ国のうち、一三三カ国において、相当レベルの銀行問題が発生し、そのうち三六カ国では金融危機の状態になっている」というような驚くような事実が紹介されている。
もちろん、それらは先進国から発展途上国までを含んでおり、その問題を、ひとくくりに論じるのは難しいだろう。しかし、あえて言えば、金融危機は一部の国でたまたま起こったのではなく、最近の社会の急激な変化により、信用や価値を保つことが、世界中で急速に難しくなっているための問題だと考えることもできる。「価値」というサイバーな存在は、すでに人間の手には負えない怪物に成長しつつあるかも知れないのである。
こうした状況に対して、著者らが取る基本的スタンスは、「競争制限的な規制を廃止し、競争を促進せよ」ということである。
ただし、彼らは決して単純な競争礼賛論者ではない。例えば、第五章で弱者保護について考えられているほか、第四章では、単純に競争に任せておくと発生しかねない「システミック・リスク」を抑え込むことの重要性を説いている。資金決済や証券など、日本の金融システムを見回すと、このシステミック・リスクを考慮してない部分が、他の先進国に比べてはるかに多い。日本では、何事も個別の事象への対応に終始し、全体を「システム」としてどうデザインするかというアプローチが欠如しがちだ。しかし特に、金融は額がデカいだけに「力づく」で押さえつけるのはもう明らかに無理なのである。つまり、「システム的な発想」が必要なのだ。
今後、日本の金融界に新しい個別の情報通信技術が取り入れられていくべきなのは言うまでもない。しかし、それ以上に重要なのが、情報通信産業やその規制の「ノリ」を金融の世界に取り入れることなのだ。本書では、そうした点も十分に研究され、金融システムの検討に生かされている。
お勧めできる一冊である。
■この本の目次
序章ならびに要約
第1章 今日の金融サービス産業
金融サービス業とは何か/今日の金融サービス業の概観/政策の焦点/十九世紀の様相/二○世紀の体制/新しい金融の世界と二○世紀モデル/責任の再認識/貯蓄貸付組合の厄災/時代の終焉/補論1 米国の金融規制システムの概要
第2章 変化の潮流
金融のデジタル化/金融は国境を越える/金融の革新/デリバティブの簡易ガイド/高まる競争/変化が示唆するもの/変貌途上にある金融サービス業/統合による生存/政策の意味するところ/フレームワークの指針
第3章 競争の活性化
競争阻害要因の排除/納税者の保護/電子マネーに対する規制/競争の維持/競争は危険なものか?
第4章 リスクの封じ込め
システミック・リスクの源泉/静観は許されるか?/リスクの封じ込め/早期隔離/早期発見/市場によるショック緩衝機能/決済の迅速化/国際的協調/政策の調和をめざして/補論2 支払・決済システム
第5章 金融の機会と金融業の拡大のために
信用の民主化/アクセスにおける政府の役割/既存の方策/信用へのアクセスの拡大−今後の挑戦/預金口座を持たない人たち−政策の新領域/本流にのせるには?/本当の財産とは?
編著者のプロフィール
Robert E. Litan
ブルッキングス研究所の経済研究プログラム理事。大統領経済諮問委員会スタッフ、司法省連邦検事局次長補などを歴任。行政・金融に関する弁護士でもある。主な著書にWhat Should Banks Do? (Brookings Institution, 1987)などがある。
Jonathan Rauch
ナショナル・ジャーナル編集委員。各種新聞で経済政策から動物保護まで幅広い記事を発表している
■規制緩和後の日本への示唆となる「ひとり勝ち現象」の分析
先週末日本でも公開された米国版「ゴジラ」のキャッチコピーは「SIZE DOES MATTER(大きさがモノをいう)」である。こういう元気のいいコピーが出てくるのは、一つには、現在の米国の好景気が背景にあろうが、もう一つ、米国のビジネスが、どれも「SIZE DOES MATTER」的になってきているからだ、と言ったら考え過ぎだろうか?
今回取り上げる「ウイナー・テイク・オール」という本は、「ビッグなやつのひとり勝ち」現象について書かれた本である。視点を変えれば、「マーケットにすべてを任せることで、われわれの社会には恩恵がもたらされるのだろうか?」という疑問への一つの解答を示している本であるともいえる。
日本では長い間、多くの領域で規制が続けられてきた。このため「諸悪の根元は規制」であり「規制さえ緩和すれば、あとは市場がよりよい方向に導いてくれる」という議論が多いように思える。ところが、現実の事例を見回してみると、競争を導入したその後にこそ、本当に悩ましい問題が潜んでいることがわかる。つまり、活発に競争が行われているかなりの市場で、ちょっとした条件の差で所得の格差が広がり、「ひとり勝ち」の度合いが進行しているたくさんの例にぶつかるのだ。
●社会をゆがめる「ひとり勝ち」
「ひとり勝ち」とは、筆者らによれば正確には「トップに近いものが不釣り合いに大きな分け前を得る」ことである。「ひとり勝ち」の最も顕著な例としてまず読者の方の頭に浮かぶのは、株式の時価総額(つまり「マーケットの評価」)が世界最高水準にある、マイクロソフト社やインテル社などかも知れない。しかし本書では、こうした情報通信系の企業について触れているページはさほど多くない。確かに、マイクロソフト社やその「競争」との関係について話し始めたら、それだけで本が一冊書けてしまうし、一般の読者には技術的すぎてわかりにくいものになるだろうから、取り上げないのは賢明かもしれない。代わりに、この本では、医者、弁護士、映画スター、ファッションモデル、バスケットボールやアメフトの選手など、一般の読者に、よりなじみ深い職業を多く取り上げ、年収金額の推移などの具体例が豊富に示されている。
また、著者らはゲーム理論などを使って「一人勝ち」社会がなぜ発生するかのメカニズムについて説明している。しかし、これも難しい数式などは一切出て来ず、一般の読者にも非常にわかりやすい。
さらに「大学教授の九四パーセントは、平均的な同僚よりもすぐれた仕事をしていると思っている」というような「自信過剰」や、「情報の不足」などにより、市場は多すぎる競争者を引きつけ、社会の適正な資源配分をゆがめているというような「ひとり勝ち」によって生ずる問題を指摘している。
こうした問題の是正に向けて本書ではいくつかの提言が行われている。例えば「累進的な消費税の導入」がそうだ。消費税といっても、買い物をするたびに取られるタイプのものではなく、確定申告の際に、消費総額を所得と貯蓄の差として計算し、その金額に累進的に課税する方法を提案している。著者らは、こうした「平等化を促進する政策の多くが同時に経済成長をも促進する」と結論付けている。
今後日本でも、規制緩和の影響を受け、あちこちの市場で「ひとり勝ちのゴジラ」が巨大化し、暴れまわると予想される。日本は何かにつけ、問題が出てきてから対策を考える「泥縄」なところがあるが、その「ひとり勝ちゴジラ対策」は、今から真剣に考えておく必要があるのではないだろうか。
■この本の目次
第1章 「ひとり勝ち」市場
第2章 「ひとり勝ち」市場の発生
第3章 「ひとり勝ち」市場の成長
第4章 急騰するトップの所得
第5章 マイナーリーグのスーパースターたち
第6章 競争者が多すぎる?
第7章 浪費的な投資の問題
第8章 教育的名声をめぐる戦い
第9章 浪費的競争の抑制
第10章 「ひとり勝ち」社会におけるメディアと文化
第11章 古いワインを新しいボトルに
■著者のプロフィール
ロバート・H・フランク
コーネル大学経済学・倫理学・公共政策教授
フィリップ・J・クック
デューク大学公共政策教授
■
現在、日本が抱えている諸問題は、すなわち今までの日本社会がとってきた「リスク」についての考え方や、社会全体でのリスクの分担のしかたについての問題と言えるのではないだろうか。例えば終身雇用的な雇用制度や公共事業によって、職を失うリスクは小さく抑えられて来たし、個人資産においても、不動産価格はバブルまではずっと右上がり、金融資産は現在でもその六割もが「預貯金」という全くリスクのない形で保有されている。
ところが、そうした雇用や資産が活用される先の事業というのは、百パーセント確実ということはありえないから、社会全体として見れば、巨大なリスクは厳然として存在する。にもかからわず、国民一人一人がリスクをあまり感じずに生活してこれたということは、裏返せば、その社会全体のリスクが、国や銀行、大企業といった少数の主体に過度に集中してしまっていた状態だった考えることができよう。つまり「少数のかごに卵を山盛りにした状態」である。国の進む方向が明確で一方向に向いているときにはそれでよくても、社会が多様化・複雑化してくると、なにかの拍子に方向が大きく変わると、かごごとどさっと卵が割れてしまう危険性は極めて高かったと言える。
そう考えると、中長期的に日本を変えていくためには、このリスクの構造にメスを入れ、リスクををたくさんに小分けして、普通の人の身近にリスクがやってくる社会、すなわち自己責任型の社会にしていく必要がある。本書は、そうした「リスク」を考える場合のヒントをいろいろ提供してくれる本である。
●「リスク」の歴史絵巻
この本は、ギリシャ・ローマの昔から現代まで、人々がどのように「リスク」をとらえ、コントロールしようとしてきたかの歴史について語られた本である。換言すれば、リスクと統計学の発展とその金融への応用の歴史なのだが、そう表現するよりはよほどおもしろい大河ドラマ的な本に仕上がっている。
まず、登場人物がゴージャスだ。リスクという切り口から歴史を見直してやることによって、「リスク」と特に関係があるとも思えない有名人が、「こんな業績もあったのか」というような関わりでつながってくるのがおもしろい。
例えば、ハレー彗星で有名なイギリスの天文学者ハレー。彼が、平均余命の統計にも興味を持ち、それを整備した業績があったというのはおもしろい。こうした基礎研究は、進化論のダーウィンのいとこであるゴールトンの統計などと合わせて、イギリスの保険産業が発展する基礎となっていったに違いない。このほかにも、ガリレオ、パスカル、ニュートン、ケインズ、アロー、フォン・ノイマンなどのリスクについての研究が続々と登場する。
中盤からは、数学的な統計処理の基礎が形成されていくさまに加え、それを金融に応用したポートフォリオ理論やオプション理論が形成されていく様子や、それを使う側の人間心理の研究がつづられていく。
本書では、リスク管理の本質を「ある程度結果を制御できる領域を最大化する一方で、結果に対して全く制御が及ばず、結果と原因の関係が定かでない領域を最小化すること」であると述べている。つまり、なんとかわかるところについては、きちっと定式化していくわけだが、
最終章に「人類は神の手によって社会を支配したのではない。偶然の法則に委ねただけである」という統計学者モーリス・ケンドールの言葉を引いて、リスクとは結局そういう部分が残るものなのだ、としている見方も興味深い。
金融や統計についてかじりかけて途中で根気が続かなくなった方にもお勧めかもしれない。
■この本の目次
一二○○年以前 始まり
一二○○年以前 始まり
第1章 ギリシャの風とさいころの役割
第2章 1、2、3と同じくらい簡単
一二○○〜一七○○年 数々の注目すべき事実
第3章 ルネッサンスの賭博師
第4章 フレンチ・コネクション
第5章 驚くべき人物の驚くべき考え
一七○○〜一九○○年 限りなき計測
第6章 人間の本質についての考察
第7章 事実上の確実性を求めて
第8章 非合理の超法則
第9章 壊れた脳を持つ男
第10章 サヤエンドウと危険
第11章 至福の構造
一九○○〜一九六○年 曖昧性の塊りと正確性の追求
第12章 無知についての尺度
第13章 根本的に異なる概念
第14章 カロリー以外はすべて計測した男
第15章 とある株式仲介人の不思議なケース
未来へ 不確実性の追求
第16章 不変性の失敗
第17章 理論自警団
第18章 別の賭けの素晴らしい仕組み
第19章 野性の待ち伏せ
編著者のプロフィール
ピーター・バーンスタイン
1940年ハーバード大学卒業。ニューヨーク連銀、戦略サービス局(OSS)、投資顧問会社バーンスタイン・マコーレー代表、ジャーナル・オブ・ポートフォリオ・マネジメント誌初代編集長
著書に邦題「証券投資の思想革命」等
■今の日本に求められる「ディスクロージャー」についてコンパクトにまとめた入門書
日本は今、情報開示ブームである。しかし、情報開示について世間で行われている議論のほとんどは「経営の中身を隠さず見せろ」というような、極めてレベルが低い話でしかない。
アメリカでは、一九二九年の大恐慌の際に、多くの企業の財務内容が粉飾されていたことがクラッシュの度合いをより深刻なものにすることになった。業績が悪化してきた企業は、決算をよく見せようとするに決まっているわけで、その企業に「情報をちゃんと開示しろ」と言ってもそれだけでは全く意味がない。
その反省から、その後、公認会計士という開示情報の「見張り役」の重要性が認識され、また、企業の財務状況や業績が正しく表示されるような会計制度が検討・導入されてきたのである。こうしたチェック機能や基準という要素を欠いた情報開示の議論は、アメリカでいえば七○年以上前のレベルの話だということになる。
また、こうした「透明性」に重点が置かれると、公開される情報は細かければ細かいほどいいということになりがちである。しかし、こと財務情報に関してはそうとは言えない。たとえば、アメリカでは企業グループ全体の連結財務諸表だけが公開され、個別企業の財務諸表は公開されない。細かいほどいいのであれば、個別企業の財務諸表も公開される日本のディスクロージャーの方が優れていることにもなろうが、もちろんそうではない。重要なのは「明細」よりも「結論」の数字なのだ。特に「債務超過かどうか」は、財務情報開示の最も重要な結論の一つである。今の日本では財務諸表上債務超過でない公開企業が、実際には債務超過ではないか?などということが世間で公然と議論されている。これは、表面上はそうした個々の企業への信頼が損なわれただけのことに見えるし、それなら問題もまだ小さい。しかし、今まで述べてきたとおり、実はそれは、一国の会計慣行と監査制度への期待が全く存在しないという非常に深刻な事態であり、アメリカの一九二九年以前の状態に等しいとも言える状況なのである。
●国際会計基準の俯瞰図を提供
今回取り上げさせていただく「国際会計基準」という本は、長年国際的な会計制度に関わってこられた白鳥氏の遺稿である。
タイトルを見ると、一般のビジネスマンには手を出しにくい本のように見えるかも知れない。しかし、この本には、前述のような日本のディスクロージャーの問題点、今後の変革への課題などが、わかりやすく、コンパクトに書かれている。
内容であるが、まず、序章において、国際会計基準の概要、沿革などが示されている。特に、日本の会計基準と国際会計基準の考え方の違いについては、「債権者保護か投資家保護か」「法形式重視か経済実質重視か」「原価会計か時価会計か」の3つに集約し、コンパクトに説明されている。
続く第1章では、日本の会計制度の問題点が示されている。商法・証取法・法人税法の三つどもえの構造が、日本において独特の会計制度を形作ってきたとし、そうした考え方が国際会計基準とどのように異なるかがわかりやすく説明されている。特に、今まで日本は主として銀行を経由した企業への資金供給が行われていたため、日本の会計原則には、債権者保護の考え方が強く反映されていた点が指摘されている。さらに、第2章では、株主中心の国際会計基準的視点から考えた、日本の従来の会計制度の問題点を取り上げている。
後半の第3章以降は、上述のような総論を受けた個別の会計処理の話になる。このため、会計知識や実務経験が全く無いと、読むのに少し苦労するかも知れない。しかし、少なくとも前半の第2章までは、日本のディスクロージャー問題の本質を考える上で、この問題に興味のある人すべてに読んでいただきたい内容であると言える。
■この本の目次
序章 国際会計基準とは
(1) 国際会計基準委員会
(2) 日本の会計基準と国際会計基準の基本的な違い
第1章 日本の会計制度のゆがみ
(1) 法制度の欠陥
(2) 商法と証券取引法で異なる会計
(3) 企業会計と法人税法で異なる会計
第2章 ROEを重視した会計
(1) 日本企業の弱点
(2) 株主資本
(3) 経常利益
(4) 収益の認識基準
(5) 特別損益
第3章 時価会計志向
第4章 税効果会計
第5章 連結経営
編著者のプロフィール
白鳥栄一(しらとり・えいいち)
1935年生まれ、1958年中央大学商学部卒業、1960年アーサーアンダーセンアンドカンパニー入社、英和監査法人会長、95年国際会計基準委員会評議委員会委員、98年死去。
主な著書に、「実践連結財務諸表」(第一法規、共著)「連結決算書の読み方」(日本経済新聞社)等。