旬刊商事法務最新号(9/15号)に、先日ご紹介した田中 亘 成蹊大学准教授による「ブルドックソース事件の法的検討」の「下」の巻とともに、巻頭に、大杉謙一中央大学教授の「ライブドア事件判決の検討(上)」が載ってます。(ちなみに、たいしたご協力もしてないにも関わらず、「付記」で私の名前も載せていただいてます。ありがとうございます。<(_ _)>)
大杉教授の「上」は、まだ事実と判旨の要約が続いているだけなので、「下」のクライマックスを”乞うご期待”です。田中准教授の論文の方も、「下」に至ってさらに鋭さを増して、いろんな事を「スパーン!」と小気味よく切ってらっしゃいます。
「匿名の法解釈」
さて、こうした学者の方々による優れた論文は頭を整理するのには非常にありがたいのですが、一方で、最近気になっているのが、「それなりの媒体」に載っている「匿名の」コラムによる法解釈(的なもの)。
例えば、
村上ファンドのインサイダー取引事件判決
(「硬水」氏、商事法務No.1808「スクランブル」欄)
ブルドックソース事件最高裁決定の射程
(「幾度経冬春」氏、商事法務No.1809「スクランブル」欄)
司法判断の業界的受け止め方
(「盤側」氏、9/5日本経済新聞朝刊「大機小機」欄)
などですが。
同じ匿名でも、「2ちゃんねる」に書かれているなら全く気にしなければいい話ですし、私のようなもんが何か書いていても、素性も明らかにさせていただいているので、「法律専門家でもないヤツが、なんか書いてるな」と思っていただければいいわけです。
これに対して、「日経」とか「商事法務」とかいった、「それなりの媒体」に匿名で書かれると、「それなりに法律に見識のある方の見解」という外見を有してしまうので、どこまで真剣に解釈していいものやらシモジモは戸惑うのであります。
例えば、上記の9月5日付日経 大機小機欄の「司法判断の業界的受け止め方」は、ブルドック事件や村上ファンド事件の判決に対する批判に対して、
こうした司法判断の際には、影響を小さくしたい業界的な感想が流布されるので、気を付けた方がよい。
と結論付けてらっしゃいまして、
村上ファンドについても、インサイダー取引にいう重要情報に実現可能性を必要とするかが論点とされたようだが、インサイダー取引の法律論でこんな要件論は聞いたことがない。
と断言されておられるので、書かれている方は「業界」に属さない「法律専門家」の方なのかなあと一瞬思うわけです。
しかし、
風説の流布はインサイダー取引以上の厳罰が科せられる犯罪だが、もとより風説に実現可能性は不要だ。要は、株価感応情報であるかが本質である。風説でもそれが流布(公表)されない段階で個別に聞き、取引すればそれは立派なインサイダー取引である。
てな、大変乱暴なことを書かれているところを見ると、どうも学者とか弁護士などの専門家の方ではないんでしょうね。「公表されてない風説を聞いて取引したらインサイダー取引になる」といった要件論こそ、聞いたことが無いです。「気を付けた方がよい。」というのは、「業界の感想」ではなく、こうした、「一見、法律専門家の外観を有する匿名の言論」の方じゃないでしょうか。
(「業界の意見」と違って、何を意図して書かれているのかもわからないので、大変、不気味であります。)
「業界」が意見を持っているのかどうかの方が心配
また、そもそも「盤側」氏のおっしゃる「業界」というのが何を指しているのかもよくわかりません。
これが「証券業界」や証券業務に関わる専門家のことを指しているのだとすると、私の個人的感想としては、現在の状況は、(同じ匿名ではありますが)、商事法務最新号(No.1810)のスクランブル「金融商品取引法の施行への対応」にある「電極」氏の下記のご認識の方が近いのではないかと考える次第です。
さらに注目すべきは、従来、普通に行われてきたビジネスを事実上、見合わせざるを得ないような事態にも、実務は比較的淡々と対応していることである。実務界としても、パブリック・コメント等の段階では所要の要請への対応に万全を期している。その一因としては、金商法対応は多岐にわたり、個別問題に固執する余裕がないこともあろう。同時に、法令が存在する限りこれを無条件に尊重し、違反は行為の実質や具体的影響を問わずに無条件に悪とする価値観が浸透してきたことも影響しているかと思われる。経済界、法曹界とも、概して若手ほどこの傾向が強いようである。
これに対して、違法の相対性等、戦後の法学界を支配した価値相対主義的な考え方の中で育った比較的年配の法律家の間では、反発もみられるようである。(中略)
反面、この(磯崎注:遵法至上主義的な)価値観は、時として既存の規制に対する悪しき順応性を生じさせ、明らかに不合理な規制も温存するとの副作用も秘めている。
(下線部、筆者)
平たく言うと、「現場」(特に証券業界など)の大勢は、相当程度、「尻子玉を抜かれちゃって」おり、立法・行政・司法に関わらず「お上」が決めることに対して、カウンターとなる論説を展開する気力をすでに失っているという危機意識の方が重要かと思います。
前にも書きましたが、マスコミの方に聞くと、「証券業界の人にヒアリングすると、『どんな判決が出ても、われわれはそれに合わせるだけで、商売に影響は無い』といった反応しか返ってこないんですよ」という話をよく聞きます。(よく考えると、これほど恐ろしいこともない・・・。)
市場経済というのは、間接金融中心の経済と異なり、(良くも悪くも)「全体がうまくいくかどうかを個々のプレーヤーが考える必要が無い」という枠組みですので、個々のプレーヤーが「ルールなんて、決めてくれればそれに従いますから」という度合いは強くなるわけです。つまり、ルールがどうあるべきか、ということについては、ほとんどの人が無関心に陥ってしまう。
そういう意味では、「気力」で済むお話ではなくて、上述のスクランブル「金融商品取引法の施行への対応」にもあるとおり、法律や社会の変化の度合いや複雑さがあまりに大きすぎて、全体を考えたり、個別のことに反論する(経済的)合理性が無くなってきているのであります。
経済的合理性のないことをするのは市場経済的ではないわけでして、これは市場経済の行き着く当然の姿でもあります。
行政と司法と実務界
先日ご招待いただいた日経さんの「活力ある法化社会へ」も、非常に刺激的なシンポジウムだったんですが、(個人的には、特に、「法化社会」一般に話が拡散せずに、「金融市場」にフォーカスしたところがよかったと思います。「法化社会」とは、まさに「市場メカニズム」をうまく機能させるためのもののはずなので。)
その中で、長島・大野・常松法律事務所の藤縄憲一弁護士が、村上ファンドの判決における、
「実現可能性がまったくない場合には除かれるが、あれば足り、その高低は問題とならない」
といった部分について、
「刑事事件の裁判官は、どうしても結論が先にあり、それを補強するためにいろんなことを言う。その部分も、『しゃべりすぎ』ではないかと思う。」
「日本は、こうした経済関係の刑事事件の数が少ないのが問題で、実務としては、そうした数少ない判例を元に、コンサバ目に判断をせざるを得ない。」
といった趣旨のことを述べられてました。
上記、商事法務No.1808のスクランブル「村上ファンドのインサイダー取引事件判決」は、
「判決は常識的に読めばよい」
と楽観的なことを書かれてますが、いくら匿名のコラムが「気にすんな」と言っても、日経ビジネス弁護士ランキングM&A部門2位の方が「コンサバ目に判断せざるを得ない」なら、クライアントの企業は気にせざるを得ないわけです。
ブルドックの代理人であった岩倉弁護士も、「学者としては別の考え方もあったが、司法の判断を考えると、弁護士としてはああいう防衛策にせざるを得なかった」と各所でおっしゃってますが、それもごもっともであります。
上述のシンポジウムで、藤縄弁護士は、
「村上ファンド事件のような『しゃべりすぎ』の判決が出た場合に、行政のほうから、それをフォローするコメントを出していただくことが必要ではないか。」
という趣旨のことを、パネリストである証券取引等監視委員会 総務課長(ライブドア事件のときの特別調査課長)佐々木清隆氏に対して述べられたのですが、
(これも当然というか)、
「進行中の裁判でもあり、私がコメントする立場にない。」
的なお答えしか帰ってきませんでした。
(ちなみに、「活力ある法化社会へ」の議事録は、(確か)10月2日の日経新聞に載るそうです。)
学者の意見は、ますます重要になるはず
大杉教授は、以前のエントリにいただいたコメントで、
他方で、現場の実務家にとっては政策論は無意味で、法的確実性がすべてだといわれてしまうと(商事法務最新号のスクランブル*)、学者を辞めたくなります・・
(*注:「ブルドックソース事件最高裁決定の射程」商事法務No.1809)
とおっしゃってました。
(ジョークにマジレスするのもなんですが、”辞めたくならないでくださーい。”)
田中准教授は、今回号の論文の最後に、以下のようにおっしゃってます。
敵対的買収をめぐる法律論には、政策論議が欠かせない。裁判所が間違った政策論を語るのはもちろん困るが、さりとてそうした政策論を抜きにして、裁判所が淡々と「法解釈」を語り、法律家はその「射程」を検討するといった営みだけで、よりよい世の中が実現することも考えにくい。本稿は、裁判所が明示しない(認識しているかどうかも明らかでない)理論(たとえば、公開買付けの強圧性)を蕩々と語り、裁判所が認定しない(あるいは認定し得ない)事情(たとえば、X[注:スティール]関係者の過去の投資実績に関する実績研究や、本決定後のY[注:ブルドック]の株価など)をも用いて本件の評価を試みた。これは、判例評釈のセオリーには反するのであろうが、筆者としては、政策論議を抜きにしては一事件の評価も満足にできないと考えた結果である。(下線部筆者。)
おっしゃるとおり!
(前号の「射程」のコラムを読んで、わざわざ結論に手を入れられた・・・と読むと、感動もひとしおですが)、商事法務を読んで目頭が熱くなったのは初めてであります。
私、かねがね、法律専門家の方の話を第三者的に聞いていて、「それは解釈論じゃなくて立法論ですよね?」といった議論が展開されるのを非常に奇異に感じていたんです。
それで、「よい世の中が実現する」わけがない。
上述のとおり、今は市場経済を推進すべきフェーズですが、それだからこそまさに、市場メカニズムに巻き込まれず、立法・行政・司法といった三すくみの渦の中にも入っておらず、しかも匿名でもない、「学者の方のしっかりした意見」が非常に重要になるのだと思います。
(ではまた。)
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磯崎様
シンポジウム。ご参加、賜り誠にありがとうございました。
匿名コラムは一流雑誌・新聞が依頼するのですから、まあそれなりの方なわけで、それなりの方が普段は言いにくいことを言う場だったりするのだそうです。ペンネームがいつも同じだったりすると、内容や言い回しから大体推測できるので、分かった時は少々嬉しかったりします。気になるペンネーム氏のコラムを集めて、ぢーっと眺めていると・・・ほら、分かった!ちなみにその方は・・・(自粛)。
三宅様
司会、ご苦労様でした。
世のパネルディスカッションは、話が発散してあまり得るものがないことが9割以上という気がしていましたが、さすが、あれだけ「濃い」メンバーの方々だと、一言一言、非常に参考になりました。
通りすがり様
(う。。)もしかして、私、地雷を踏みました?(汗)
(ではまた。)
>気になるペンネーム氏のコラムを集めて、ぢーっと眺めていると・・・ほら、分かった!ちなみにその方は・・・(自粛)。
経済学系でも、この匿名コラム問題、昔から本人探しマニアが。いましたいました。西早稲田の*号館の中庭のベンチで延々とこれを語るそういう人の話は面白かったですね。私ゃ黙って聞いて面白がっていた方の人種ですが。
欧米では匿名での論評の自由は表現の自由の中で重要な位置を占めるものであると言われるのだそうですね。日本人とは、その辺、ちょっと生活感覚が違うのかも知れません。
いえいえ、わたしゃ「表現の自由を制限しよう」なんて気は毛頭ございませんので、念のため。
ただ、きちんと論拠を示して書かれている論文に対して、どういうバックグラウンドの方かわからない匿名で、根拠も示せない狭いコラム欄で法解釈を提示していただいても、読んだ人も、その意見をどの程度まじめに受け止めないといけないのか判断しようがないのではないか、ということです。
>念のため。
はい、もちろんもちろんそんなおつもりではないことは重々承知しておりますので念のため(show)。
商事法務とか、金融法務事情とか、特殊な人(我々?)だけしか読んでいないようなものは、まあ我々のようなやつらが読んで、匿名で書かれてもねえ..くらいで終わる(!?)ので、それはそれでも良いかもしれませんが、素人さんも読むようなものは世論を誘導(誤導?)しかねないので良くない、という議論は、ありうるところです(昔経済学系では良く議論になってました。今は昔?)。
むかし法解釈論の方法論のところで、利益衡量論と言うのが登場して、盛んに議論されたことがありました。政策論を解釈論に持ち込むべきではないと言う保守的な考え方対、解釈論にも一定の範囲で政策論が考慮に入れてきているのが実情なので、それでいいではないかと言う主張の対立であったと言うことも、できると思います。解釈論と言うとどうしても法律論の静的な部分を大切にしているかのような外観をとりたくなるものですが、その背景には動的な政策論が垣間見えたりするものです。最近の商法学者の多くは利益衡量論であると言っても良いと思います。
いわば静的安定性と動的な政策論の折衷ですな。学者さんたちよりも、最高裁がもう少し保守的であるのはそれはそれで悪いことではないのかも知れません。商法や証券取引法の解釈をやっているわけで、だとすれば、最高の判断が政策論として良くないのであれば改正してもらえばいいからです。失礼、金融商品取引法でした。ちょっとごちゃごちゃして分かりづらくなったかも知れません、御赦し下さい。
はじめまして。大杉先生のブログから飛んできました。素人の総務サラリーマン(匿名)です。
「それなりの媒体」と言っても、媒体そのものは、ほとんどが(法律にも経済にも)素人の集まりではないでしょうか。まして、匿名で書かれているものは、所詮2chと大差ないと思います。それより、「尻子玉を抜かれちゃって」とされていますが、「経済的合理性のないことをするのは市場経済的ではない」がほとんど全てだと思います。中には、行政と結託したり手心を求めることが多い業界もありますが、証券取引の世界では、実務家はそんな不確かで悠長なことをやっている暇はない、ので・・
盤側氏のいう「業界」とは「経済界」のことでしょう。
引用されている氏の見解の第1段落は、「うまいこというなあ」と思いますが、第2、第3段落は、間違っています。
盤側氏が誰かは、氏の属する業界では周知の事実です。引用中にある言い回しからも分かります。
村上ファンド事件 地裁判決
もう既に時代遅れになってしまっているかもしれませんが、少し前に巷で議論されていた村上ファンド事件の判決における表現とその背景について、備忘録的に少し見てお…