徹底討論 株式持ち合い解消の理論と実務

■「構造改革」を考えるための株式持合いの理論とディスカッションの書

小泉内閣に変わって、政治主導での構造改革が唱えられはじめている。メスを入れるべき「構造」として最も重要なものの一つは、一四〇〇兆円にも及ぶ個人金融資産の六割もが郵貯や銀行など、元本保証確定金利の間接金融に流れ込んでいるという、日本の特殊な資金の流れ方であろう。このように銀行や郵貯に資金とリスクの分配機能が過度に負わされる構造では、今、大きな問題となっている、財政投融資の不効率性や、不良債権の問題が出るのは必至であったといえる。さらに、この副次的結果として、銀行や事業会社同士の「株式持ち合い」が、日本の経済構造上の大きな特色となってきた。株式持ち合いは、かつては従業員中心の日本型雇用のシステムを支える立役者として賞賛されたこともあったが、最近では欧米流の株主中心のコーポレート・ガバナンスを阻害する要因として、すっかり、「悪者」の立場に転落してしまった。さらに、不良債権問題や、最近の時価会計導入等の要因とあいまって、バブル崩壊以降の十年間、持ち合い解消により、大量の株式がダラダラと売られ続けてきたことも、悪者イメージに拍車をかけている。元利保証の「ぬるま湯」から出て、より株式市場中心の社会にならなければいけないにも関わらず、そこから抜け出ようとすると、逆に株価が下がって、抜け出る気力が失せる、という悪循環に陥ってきたのだ。
この春には、政府・与党の緊急経済対策として、銀行の株式保有を制限し公的資金を使った株の買い上げ機構を設立する案も浮上した。持ち合いは他人事と思っている人も、自分の払った血税を大量に使うとなると関心も高まってこよう。税金を大量に使ってまで、株式の買い上げをやる効果は本当にあるのか?株式持ち合いというのは、何がどの程度「悪」なのか?本当に、これからの時代のコーポレートガバナンスの障害になるのか?


●多彩な観点からの持ち合い論

今週ご紹介する本書は、財団法人資本市場研究会の「株式持ち合いの解消等に関する研究」の委員会の検討の模様を、一冊の本にまとめたものである。
 タイトルは「徹底討論 株式持ち合い解消の理論と実務」となっているが、むしろ、株式持ち合いを、法学、経済学、歴史などの観点から検討した、「理論」の本と思って読んでいただいたほうがよろしいかと思う。逆に「取引先との関係は壊したくないが、株式は売却したい。先方にはどう切り出したものか・・。」と悩む事業会社の財務担当者の方などの「実務」的ニーズには、直接には役に立ちそうに無いので、悪しからず。
本書は、平成一二年四月から一二月まで行われた委員会の、各委員の発表と委員の方々のディスカッションを会話調の文章にしたスタイルをとっており、とっつきとしては非常に読みやすくなっている。ただし、法学、経済学、証券、銀行、生保等の第一線の方々の生の会話なので、専門用語も平気で説明無しに飛び出し、本気で読もうとすると、それなりのベースや準備が必要だろう。
放出される持ち合い解消売りに対して人工的な「受け皿」を用意するのか、それとも市場に任せるのか。税制的なインセンティブをつけるのがいいのか、どうか。本書では委員会のコンセンサスとしての「正解」「提言」は提示されていない。私見では、淵田委員の「持ち合いという行為そのものよりも、日本のマネーフロー構造の改革につながる施策をすることが、結果的に、持ち合い解消の促進につながるかもしれない。」というのが、正解のように感じられる。株式持ち合いは、いろいろな構造によって引き起こされた「結果」であって、それ自体をどうこうしようといじくるよりも、より大きな日本の「絵」を書いて、それに向かうための工夫をする必要がある、と感じた。


■この本の目次

第1章 株式持ち合いについて
第2章 株式持ち合いの歴史的形成要因と今後における問題点
第3章 わが国株主構造と将来展望
第4章 株式持ち合いの変化
第5章 株式持ち合いの問題点
第6章 持ち合い株式の市場売却が株式市場の与える影響
第7章 株式持合い解消が日本の企業経営に与える影響
第8章 投資家の観点から見た株式保有:リスク・リターンの観点から
第9章 会計的に見た株式持合いの影響と解消方法
第10章 株式の相互保有と会社法
第11章 株式の保有の関わる法の規制−独占禁止法を中心に
第12章 ドイツにおける株式相互保有の法規制と実態
第13章 株式持ち合いとその解消:まとめ
付論 いわゆる「金庫株」の解禁と会社法


■執筆者一覧

神田秀樹 東京大学法学部教授
淵田康之 野村総合研究所資本市場研究部長
三宅一弘 みずほ証券エクイティ調査部チーフストラテジスト
高森正雄 東京証券取引所調査部長
中野充弘 大和総研投資調査部長
米澤康弘 横浜国立大学経営学部教授
丸淳子 武蔵大学経済学部教授
竹下智 野村證券IB企画室課長代理
川北英隆 日本生命保険資金証券部長
秋葉賢一 朝日監査法人社員公認会計士
藤田友敬 東京大学法学部助教授
小塚荘一郎 上智大学法学部助教授
神作裕之 学習院大学法学部教授


神田秀樹 東京大学法学部教授
東京大学法学部卒業 (商法、金融法、証券法専攻)、学習院大学法学部助教授、東京大学助教授、を経て現職。シカゴ大学ロースクール客員教授、ハーバード大学ロースクール客員教授、政府関係の審議会委員を数多く務め、商法改正などの議論に関わる。
著作に「コンパラティブ・コーポレート・ガバナンス」(オックスフォード・ユニバーシティ・プレス、98年、英文・共編著)、「会社法の経済学」(東京大学出版会、98年、共編著)、「商法2—会社(第3版)」(有斐閣、99年、共著)など。

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暗号解読−ロゼッタストーンから量子暗号まで

■インターネット時代に必須の「暗号」の五千年の歴史と理論

「エシュロン」と呼ばれる監視ネットワークが、軍事のみならず、民間の無線やインターネットにおける通信を国際的に傍受している、らしい。
インターネットのメールを使うとき意識している人は少ないと思うが、平文の(暗号化しない)メールは「はがき」のようなもので、実は通信経路の途中にいる人には中身が丸見えなのである。仮に通信する経路のどこかに「スニッファー」と呼ばれる傍受ソフトが設置されていると、個人や企業が利用しているメールやウエブの膨大なやりとりがすべて蓄積され、何かの際に利用されないとも限らないのだ。
インターネットが発達して膨大な量の情報のやりとりがあると、それを解析する諜報機関も大変だろうという気がしてしまうが、真実は逆である。電子的に処理された情報が増えることによって、逆に、システマチックに情報を集め解析することはたやすくなる。「今そこにある危機」という映画の冒頭で、飛び交う携帯電話の電波の中からコンピュータが麻薬王の声紋を自動的に割り出し位置を探し当てる、というシーンがあるが、そうしたことも現実に行われているようだ。真相は一般人には不明だが、日本赤軍の重信房子の逮捕や北朝鮮の金正男氏の入国の発覚も、エシュロンで捕捉された情報に基づく、という説もある。
最近5年間は、コンピューターや携帯電話が大衆化しインターネットが急速に発達した。九十年代後半以降は、軍事だけではなく、企業の産業スパイ対策や個人のプライバシー保護にも暗号が必要な時代に突入したといえよう。


●暗号を取り巻くサスペンス

こうした「陰謀論的な話」が現実に行われているのかどうかについては半信半疑の方も多いだろう。しかし、本書を読むと、諜報活動の歴史というのは、本質的に「どこまで技術的に可能かを秘密にする」歴史であることがよく理解できる。第二次大戦中に英国軍はドイツ軍のエニグマ暗号が解読できていたが、味方を見殺しにしてまでそのことを秘密にした話は有名である。さらに、同じ英国の諜報組織が、RSA社の創設者たちが発明したとされている公開鍵暗号を、より早く開発していた、というエピソードも関係者への取材を行って紹介されており、諜報のために必要な革新的技術は、発明されても、決してすぐには一般人の前には姿を現さない、ということが納得できる。
本書は、一五八六年に、スコットランド女王メアリーが法廷に引き出されるシーンからスタートする。この法廷の審判の鍵は「暗号」である。暗号が解読されずにメアリーは処刑を免れるのか、それとも解読されて処刑されてしまうのか。読む者をぐっと引き込んでおいて、著者は技術的な説明に入っていく。暗号の一般書というのは、古代からの暗号の歴史を説明してきて、近代・現代の暗号の解説するという構成をとるのが通例であり、本書も同様である。本書の特徴は、このパターンを踏襲しながらも、類書を寄せ付けないおもしろさの読み物に仕上がっているところにある。暗号の技術は、勉強してみると非常におもしろいので、書き手としては、技術自体を一所懸命説明しようとしてしまうきらいがある。しかし、著者のサイモン・シンは、前著である「フェルマーの最終定理」と同じく、高度に数学的な技術に深い理解をもちつつもそれに溺れることなく、読者を知的なエンターテイメントに引きずり込むことに徹している。また、著者は、技術そのものの解説もきちっと行いながらも、その技術の陥りやすい罠、技術を使う人間がどういう挙動を取るか、などのドラマに視線を注いでいる。
前述の通り、歴史上、今ほど暗号に対する正しい理解と使用が求められている時代はないといえよう。この暗号の正しい理解のために、最適な一冊と言える。


■この本の目次

はじめに
第1章.スコットランド女王メアリーの暗号
第2章.解読不能の暗号
第3章.暗号機の誕生
第4章.エニグマの解読
第5章.言葉の壁
第6章.アリスとボブは鍵を公開する
第7章.プリティー・グッド・プライバシー
第8章.未来への量子ジャンプ
付録 暗号に挑戦−一万ポンドへの十段階


■著者

Simon Singh
ケンブリッジ大学Ph.D 元BBCプロデューサー。著書に「フェルマーの最終定理」(新潮社)。


■訳者

あおき・かおる
1956年生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院終了。理学博士。翻訳家。訳書に、「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」「フェルマーの最終定理」などがある。

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構造改革とはなにか 新篇日本国の研究

■特殊法人改革に必要な、「ディテール」を学ぶ本

小泉内閣で、特殊法人改革の検討が進められている。特殊法人というのが、効率が悪く税金を食い、多額の借金を作り、官僚の天下り先となっている、というのは国民の共通認識になっており、特殊法人の民営化や廃止は、あたりまえで疑問の余地がないことだと考えられている。これは、小泉内閣の支持率の高さにも裏付けられているだろう。しかし、実際、行革のプロセスを進めてみると、予想通り、反対勢力の抵抗は極めて強い。

実は、経済学的にきちんと考えてみると、国営企業を民営化しなければならない根拠や基準というのは必ずしも明確ではない。(柳川範之著「契約と組織の経済学」第8章など)。仮に、国営企業の方が民間企業より劣っている部分があれば、その民間企業の組織や契約をそっくりそのまま採用すれば、理論的には国営企業は民間企業と全く同じパフォーマンスを実現できるはずだからだ。「ここが悪いから民営化しろ」というと「では、そこを直しますので民営化しません」ということになる。実際、どの特殊法人・国営事業も、まさにその戦略を取っており、勤務先を「わが社」、顧客を「お客様」と呼び、民間の企業がやっている方式やサービスを取り入れて、国営のままでも効率は悪くないということを示そうとしている。
すなわち、直感的には特殊法人を民営化・廃止しなくてはいけないのは「あたりまえ」としか思えないにも関わらず、民営化の必要性を一刀両断に説明してくれる理屈は存在していないのである。このため、行革の作業は、断固たるリーダーシップを必要とするとともに、その勝負の鍵を握るのは「ディテール」なのだ。


●詳細に描かれた行革の全体像

この本は、猪瀬直樹著作集の第一巻として、「日本国の研究」(九六年初出)に、新たに書きおろされた「公益法人の研究」などを加えた構成になっている。

著者は、現在、行革断行評議会の委員として石原大臣や小泉首相をサポートする立場にあるが、本書の日本国の研究の部分には、著者がジャーナリストとして当時の小泉代議士に会い、財政投融資や特殊法人問題について話し合った際のエピソードが紹介されている。その際の著者の小泉氏に対する感想は、「(言っていることは)基本的に正しいのである。ただし、戦術がない。」というものだ。

実は、これと同じ感想は、現在行革を行っているスタッフ周辺からも聞こえてくる。すなわち「小泉さんに、もう少し細かい部分にも興味を持ってもらいたい」というものだ。ただ、リーダーというのはそれでいいのだとも言える。リーダーの最も大切な役割は、現状の改良や改善では到達できない目標を、明確かつ断固として指し示すことだからだ。小泉氏は、先述のエピソードでも、明治維新などを例に挙げて、「民営化は一気にやるしかない。段階論はだめだ。」と、民営化を一気に「あたりまえ」にしてしまうしかないことを述べている。
ただし、スタッフはそれでは困る。「これこれの理由で民営化しなくていい」「廃止はできない」という特殊法人側の意見に対して、個別に反論し、具体的なプロセスに落としていかないといけない。特殊法人の詳細な内容については、特殊法人側の方が情報を持っているに決まっているから、全体戦略を持ちつつ、よほど詳細を理解した人でないとこうした議論に立ち向かっていくことはできない。
その点、本書での著者の論旨は極めて明快かつ具体的だ。行革の現場でも、特殊法人側が「これは先例がありません」などと肩透かしを食らわせるのに対し、著者が「いつ、誰それによって、こういう事例がある。」などと、現場も知らないような反証を掲げて応戦し、特殊法人側にも「彼はとてつもなく勉強をしている」と舌を巻かせている、とも聞く。

行革という戦場に散る火花と、「戦術」を体感できる一冊。


■この本の目次

日本国の研究
第一部 記号の帝国

第二部 闇の帝国

第三部 寄生の帝国
増補 公益法人の研究
プロローグ
第一章 特殊法人の下請けとして生き延びる
第二章 規制産業として独自ビジネスを展開
第三章 税逃れの実態と法的な欠陥
第四章 特殊法人等の廃止・分割民営化と同時に改革を
あとがき
<付録>日本道路公団分割民営化案

解題


■著者

1946年長野県生まれ。「ミカドの肖像」で87年第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。「日本国の研究」で96年度文芸春秋読者賞受賞。著書に「ペルソナ三島由紀夫伝」「マガジン青春譜川端康成と大宅壮一」等。行革断行評議会委員として、特殊法人等の民営化に取り組む。政府税調委員、日本ペンクラブ言論表現委員長、慶応大学メディアコム研究所行使、国際日本文化センター客員教授、東京大学大学院客員教授。



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バタフライ・エコノミクス−複雑系で読み解く社会と経済の動き

■カオス的な経済における予測不能性と、それに対応するための戦略を考える本

二〇〇二年の現在の社会を形作った近年の最も大きな要因は何かと言われれば、その一つとしてソ連の崩壊をあげることができるだろう。実は、社会主義経済というものがうまく機能しない可能性については、一九二〇年代からミーゼスやハイエクなどの経済学者に指摘されていた。彼らの主張は、社会主義経済において、政府が集権的に商品の価格や数量を決定しようとしても、そのために考えなければならないことが複雑になりすぎ、その計算が破綻するだろうということであったが、実際にその経済が行き詰って崩壊にまで至ったという事態は、学者だけでなく世界中の一般の人々にも、こうした中央集権的な計画経済がうまくいかないことを強く印象付ける結果となった。インターネットの普及もあって、全体を誰かがコントロールするのではなく、各自が自由に行動して全体が機能するしくみをつくるという考え方はますます定着し、良くも悪くも、世界中が市場経済化への模索を強いられる図式になりつつある。
こうした、ある人のとる行動が他の誰かと相互に影響を与え合う社会では、一人一人の行動のパターン自体は単純でも、それらの行動の集積である経済全体の動きは、非常に複雑になる。このため、社会はますます予測不可能なものになりつつあるように見える。


●制御より制度が大切

本書は、こうした「カオス」的な観点から経済についての考察を行っている本である。タイトルは「バタフライ」であるが、本書では、アリの集団が仲間同士で情報交換しながらエサを探すモデルを基本として、経済のカオス的な面を解説している。

本書で著者が導き出している結論は、経済は短期の予測ができないことはないが、長期になればなるほど予測は困難になるため、政策の微調整によって制御できる性質のものではないということである。つまり、景気や経済指標について一喜一憂するのでなく、経済がいい方向に向かうための「制度」や「構造」を作り出すことに力を入れるべきである、という立場をとっている。
このため著者は、前著「経済学は死んだ」と同様、本書でも、伝統的経済学に対する批判を行い、経済を「機械」として考え、それを思いのままに操作可能であると考える見方に反対の立場を示している。

著者は、英エコノミスト誌やヘンリー予測センターなどで、長年経済予測に携わってきた人物である。理論的な研究者の立場から書かれた複雑系の本ではなく、経済の予測に実際に長年携わってきた著者が、経済の予測不能性やコントロール不能性について述べている、というところが価値があるのではないだろうか。

本書は、非常に深遠なテーマを扱っているが、数式を使わず、グラフやわかりやすい例えを用いて説明が行われているので、一般の読者もさほど苦痛なく読めるはずである。ただし、著者は、かなりユーモアのある方のようで、まじめに読み進んでいると、途中しばしば、文章に散りばめられたイギリス風?ジョークに苦笑いすることになるが。

今、日本においてもまさに、「構造」の改革が唱えられている。日本も、特殊法人のボリュームが大きく間接金融の比率が非常に高いため市場メカニズムを生かしにくい構造になっているという点で、相当、旧ソ連と似た状況になっているように感じられる。
また、会社を経営する場合でも、政府が政策を決定する上でも、どのような「世界観」を持つかということは非常に重要だ。特に、市場や経済というものについて、予測やコントロールがどこまで可能かは、発生するリスクの程度を考え、それにあわせてどういった体制や構造を選択するかという点に大きく関連する。本書は、そうした経済の構造を変える必要性とそれに向けての戦略を考えるのに適した一冊ではないかと考える。


■この本の目次

まえがき
序章

第1章. カオスの縁に生きて

第4章. 家族の価値観
第3章. 泥棒を捕まえるために
第5章. 「数学を使い、その後で焼き捨てよ」
第6章. コントロールの幻想
第7章. 定量化の泥沼
第8章. 上昇と下降
第9章. 暗い鏡を通して
第10章. 諸国民の富
第11章. 持つと持たぬと
第12章. 樫の大樹も小さなドングリから
終章.控えめな行動が、大きな実りをもたらす
付録1〜3
参考文献
解説


■著者

Paul Ormerod
イギリスのエコノミスト。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で経済学を修めた後、エコノミスト誌で経済予測に携わる。1982年から1992年までヘンリー予測センター所長。ロンドン大学、マンチェスター大学客員教授。著書に「経済学は死んだ」など。

<監修者>
塩沢由典
1943年生まれ。大阪市立大学経済学研究科教授。
京都大学理学部修士課程終了。進化経済学会副会長、関西ベンチャー学会会長。著書に「市場の秩序学」(サントリー学芸賞受賞)、「複雑さの帰結」「複雑系経済学入門」など。


■訳者

北沢格
1960年生まれ。中央大学助教授。東京大学大学院人文科学研究科終了。
訳書に「記憶を書きかえる」「また逢うために」など。

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16歳のセアラが挑んだ世界最強の暗号

■子供の個性を伸ばす教育について考えさせられる、数学好きな少女の成長記

のっけから恐縮だが、親バカな話を一つ。昨年、うちの息子(当時五歳)に、マイクロソフト社のエンカルタというDVD-ROMの百科事典を与えてみた。漢字がだめなので文章部分には興味を示さないが、普通の百科辞典と違ってビデオやアニメーションに音声の解説がついているので、それらを目を輝かせながら見ている。もちろん中身なんか理解しちゃいないだろうと思って、ある日、その中から一つを選び、「DNAを構成する四つの塩基の名前は?」と冗談で聞いてみたら、「アデニン、グアニン、シトシン、チミン。簡単すぎるよ。」と即答されて面食らった。親としては「うちの子は天才だ!」と思いたいところだが、冷静に考えてみれば、同年代で百以上の「ポケモン」の名前を言える子供はザラだから、四つしかない塩基の名前が覚えられても全く不思議はない。
子供の可能性は無限大だ。問題は対象に興味を持てるかどうか、である。子供はむら気だが、インタラクティブに反応が返ってくるものには興味を示すので、好きな時に好きなことを勉強できるDVD-ROMやeラーニングなどは子供の教育に革命を起こすかも知れない。だが、もちろん理想的なのは、子供が質問してきた時に、親がいつも適切な答えを返してやることであろう。加えて、親が科学者だったりすると、言うことなしである。


●世界に飛び出した16歳

今回ご紹介する本は、アイルランドに住むセアラという少女が、数学の「整数論」を駆使して、世界最強の可能性がある暗号を構築してしまう体験を綴ったものである。
父親は数学者、母親は微生物学者であり、科学好きになるには理想的な環境である。ただ、両親は丸暗記や詰め込みで数学の英才教育をしたのではないようだ。セアラは子供のころから農場に住んで家畜や自然に接し、乗馬をはじめとするスポーツが大好きな子供に育った。父親は、無理強いこそしなかったが、子供からせがまれると、本書にも掲載されている様々なパズルを出し、子供は、遊びながら数学的な考え方や自分で興味を持って考える習慣を身につけていったようである。
彼女は、興味を持った暗号の研究の発表でアイルランドの青年科学者コンテストで受賞したのを皮切りに、インテル社の優秀賞も受賞し、アメリカで開かれるインテル国際科学技術フェアにも参加することになる。その時期は、ちょうどITブームがはじまりかけた時期でもあり、彼女も、マスコミの取材攻勢を受けて「16歳の少女が億万長者になる可能性」が報道され、プライベートジェットで乗りつけたアメリカ人実業家に「共同で暗号会社を設立しましょう」と持ちかけられる。こうしたバブルの波に襲われても、彼女は自分を見失うことなく冷静な対応をしていて、すがすがしい。
今年から日本でも「ゆとり教育」が導入されることになった。これは、能力別クラスを容認するなど、名前とは対照的に、教育に市場メカニズムを持ち込むものとされている。それが成功するかどうかはともかく、今後の社会では、詰め込み型の横並び的人材の価値が下がるのは間違いないし、教育においても、その子の能力をいかに引き出してあげられるかが、ますます重要になっていくだろう。

本書は、サイモン・シン著の「フェルマーの最終定理」や「暗号解読」のような、学術や技術の最先端を考える本というよりも、子供の教育の話として読んだほうが面白く読めるように思う。整数論や暗号論よりも、どうすればセアラのような子供が育つのかという方が、不思議でもあり、大いに興味が湧くところではないだろうか。本書は、今後の社会の中で伸びやかに羽ばたいていける個性豊かな子供を育てるために、大いに参考になる本ではないかと考える。


■この本の目次

まえがき
はじめに

「この本を読むには数学の知識が必要なの?」

1. 子ども時代
2. 数学の旅
3. 大事なのは残りもの
4. 「法」の計算
5. 一方通行
6. コンテスト
7. 数学のあと、コンテストの余波


■著者

Sarah Flannery
1982年生まれ。アイルランドのコーク県ブラーニーで、数学者の父、微生物学者の母、4人の弟とともに成長する。1999年度アイルランド青年科学者賞、同年ヨーロッパ連合青年科学者大賞受賞。現在、ケンブリッジ大学の1年生。
David Flannery
1952年生まれ。セアラの父であり、コーク工科大学で数学を教えている。


■訳者

亀井よし子
翻訳家。富山大学英文化卒業。主な訳書に、「ブリジッド・ジョーンズの日記」「人類、月に立つ」等。

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フリーエージェント社会の到来—「雇われない生き方」は何を変えるか

■「会社に縛られない生き方」が生み出す新しい社会

日本でも、仕事に対する意識が急速に変わりつつある。従来の日本では、親方日の丸意識が強く、役所や大企業に勤めることが「いい就職」とされてきた。しかし、長引く不況、吹き荒れるリストラの嵐などから、そうした大企業の社内の雰囲気も最近では沈滞していることが多い。やりたいことを提案しても「時期を考えろ」などと言われて新しいことはやらせてもらえない。会社が絶対つぶれないなら我慢のしどころかも知れないが、最近は「絶対」などというものにはトンとお目にかかれない。考えてみると、サラリーマンというのは、顧客が一社しかいない個人事業と同じである。今まで、最も安全だと思っていた仕事が、いつの間にか最もリスキーな仕事に変貌していて愕然とする人は、徐々に増えてきている。
一方、独立して自分でビジネスをする環境は、ここ数年で飛躍的に良くなった。ADSLや光ファイバー、無線LANなどの急速な発達により、今では個人事業者はヘタな大企業よりいい通信インフラを使える。電子メールやグループウエアなどの発達で、今までなら秘書の一人もいないと頭がこんがらがっていた調整も一人で十分。離れてできる仕事が多ければ、集まって仕事をするためのオフィススペースも不要。スターバックスなどのおしゃれな打ち合わせ場所や、キンコーズ、アスクルなどの事務系サービスも発達して、企業で部下にいやな顔をされながらお茶やコピーを頼むより、はるかに快適かつ安価に仕事ができる。開業のための障壁は、確実に小さくなっているのだ。


●在宅勤務で終身刑?

本書は、クリントン政権でゴア副大統領の主席スピーチライターを務めたダニエル・ピンク氏が、「フリーエージェント」の実態を調査したレポートである。著者は、ホワイトハウスの激務でダウンしたことをきっかけに、大組織で働く生き方に疑問を感じ、自らフリーエージェントとなり、全米を行脚して、この本をまとめ上げた。
本書の「フリーエージェント」とは、日本でいう「フリーター」から、高度な専門性を持ったプロフェッショナル、ミニ企業家まで、独立して働く様々な人々を指す。評者は、シリコンバレーのベンチャー企業が、外部CFO、マーケティングのアウトソーサーなどのフリーエージェントを利用しているのを見聞きして、こうした人々の実態については、米国ではすでに十分認知されているものとばかり思っていた。しかし、本書によると、米国でも、フリーエージェントに関する認知度やイメージは低く、正式な調査や統計はほとんど無いとのこと。本書によると、フリーエージェントの人口は全米労働者の四人に一人、三千万人にも膨らんでおり、さらに「アメリカの未来を先取りする州であるカリフォルニア州」では、すでに労働者の三分の二は、独立契約者やパートタイムなど、非従来型の労働形態で占められている。

著者は、こうしたフリーエージェントの増加に対して、政府は法整備を急ぐべきだと提唱する。実際、米国では会社を辞めてしばらくすると医療保険がなくなるなど、日本のほうが制度上フリーエージェントに有利なことも多い。また、米国では、自宅をオフィスにすることが違法という地域も多く、特にカリフォルニア州には「三振即アウト法」があるため、自宅で仕事をしているところを三回警察に踏み込まれたら、理論上は、それだけで終身刑になる可能性があるそうだ。

元ゴア副大統領の主席スピーチライターだけあって、文章には説得力があり、展開も飽きさせない。日本では「金持ち父さん貧乏父さん」をはじめとして、気楽で儲かる生き方を勧める本が売れているが、本書は、より社会的な観点からそうした生き方を眺め、未来に向けた提言を行う、「フリーエージェント国家の独立宣言」である。


■この本の目次

プロローグ
第1部 フリーエージェント時代の幕開け

第1章 組織人間の時代の終わり

第2章 三三〇〇万人のフリーエージェントたち
第3章 デジタルマルクス主義の登場

第2部 働き方の新たな常識

第4章 新しい労働倫理

第5章 仕事のポートフォリオと分散投資

第6章 仕事と時間の曖昧な関係

第3部 組織に縛られない生き方
第7章 人と人の新しい結びつき
第8章 互恵的な利他主義
第9章 オフィスに代わる「第三の場所」
第10章 仲介業者、エージェント、コーチ
第11章 自分サイズのライフスタイル
第4部 フリーエージェントを妨げるもの
第12章 古い制度と現実のギャップ
第13章 万年臨時社員と新しい労働運動
第5部 未来の社会はこう変わる
第14章 リタイヤからeリタイアへ
第15章 テイラーメード主義の教育
第16章 生活空間と仕事場の緩やかな融合
第17章 個人が株式を発行する
第18章 ジャストインタイム政治
第19章 ビジネス、キャリア、コミュニティーの未来像
エピローグ


■著者

Daniel H.Pink
1964年生まれ。ノースウェスタン大学卒業、エール大学ロースクールで法学博士号取得。クリントン政権下で、ゴア副大統領の主席スピーチライターを務める。フリーエージェント宣言後、ニューヨークタイムス紙、ワシントンポスト紙をはじめとするさまざまなメディアに、ビジネス、経済等の記事や論文を執筆。


■解説

玄田 有史
1964年生まれ。東京大学経済学部卒業。学習院大学専任講師、助教授、教授を歴任。その間、ハーバード大学、オックスフォード大学などで客員研究員を務める。2002年4月より東京大学社会科学研究所助教授。専門は労働経済学。著書に「仕事の中の曖昧な不安」(中央公論新社)


■訳者

Daniel H.Pink
東京都生まれ。上智大学法学部卒業。訳書に「神々の予言」「ビジネス版 悪魔の法則」、共訳書に「オズワルド」(以上、TBSブリタニカ)

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格付けはなぜ下がるのか?—大倒産時代の信用リスク入門

■格付けを題材に日本企業の財務戦略の転換を促す書

雪印をはじめとする食品会社の不正表示や、エンロンの不正会計疑惑など、最近、世間を騒がせている事件には、一つの共通点がある。それは、これらが「思考の分業」に係わる問題である、という点だ。
現代社会は、複雑な分業のネットワークとして発達してきた。分業の範囲は、今やアダム・スミスのイメージしたような「モノづくり」だけには限られない。現代社会は極めて複雑なので、「考えること」についてもかなりの部分を分業せざるを得ないのである。注意する必要があるのは、思考代行の専業者は寡占や独占になることが多いことと、その利用は「思考停止」と表裏一体であること、である。「国が関係してるから」「あの高級ブランドだから」「あの監査法人が監査しているから」「あのアナリストが推奨しているから」というような判断は、根拠を考えて使わないと非常に危うい。

格付け会社も、企業や債券の信用リスクについて、思考の分業を受け持つ存在である。忙しい投資家は自分ですべての企業の返済能力を査定することは難しい。複雑で多岐にわたる企業の活動を、単純な記号に集約することで、チェックのコストは大いに低減する。問題は、思考停止の度合いが高まると、記号が一人歩きする点であろう。財務大臣から一般企業まで「格付け会社、けしからん!」とお怒りの向きも多いが、怒ってもしょうがない。本業の領域で「うちはいい製品を作っているのに、お客が理解してくれない!」と怒る経営者はいない。マーケティングやブランディングを通じて顧客に価値を認めてもらってはじめてビジネスだということは十分理解されているのだ。同様に、財務面においても、お客である投資家(及びその分業先である格付け機関やアナリスト)に自社の価値やリスクを理解してもらえて始めて、経営と言えるはずである。


●デットIRに目をむけよ

本書は、格付け会社ムーディーズで第一線のアナリストとして活躍した著者が、信用リスクと格付けについてわかりやすく解説した本である。
著者は、日本は市場メカニズムを支えるインフラ自体がまだ非常に未成熟であり、現在が一種の過渡期である点を指摘する。従来存在した適債基準が撤廃され、社債が自由なリスク・リターンの時代に突入したのは、なんと一九九六年になってからであり、信用リスクについて考え始めた歴史が日本ではまだ決定的に短いのである。企業がデット(Debt=負債)で資金調達するのは、銀行からの借り入れがほとんどであり、日本のデットの市場は、株式市場に比べても、はるかに市場規模が小さい。信用リスク判定のノウハウも銀行以外にはほとんど存在しなかったし、市場のエージェントであるべき格付けのアナリストも、まだ玉石混交であると指摘する。

こうした歴史と現状を踏まえたうえで、著者は、「市場」に対応する方法を就職の面接に例えてわかりやすく解説している。つまり、いくら実態がいい企業であったとしても、トップが企業戦略についてあまり考えたことが無かったり、考えていてもそれをうまく「面接官」に伝えられないのでは意味が無いということである。

このため、著者は企業が「デットIR」について、もっと目を向けるべきだと提唱する。本書では、債券の投資家は「夢」よりも元本の返済可能性に重きを置くなど、株式の投資家向けIRとの違いを明確にし、デット利用のための戦略とIRを行う際の要点を解説している。
日本は従来、財務は銀行任せで、一般企業では資金やリスクについては「思考停止」していた。著者は、単に格付けの解説に止まらずに、こうした現在の過渡期の日本経済の本質を見据え、経営トップ自らがIRの最高責任者として、企業財務と市場との関係を改善することを提唱している。


■この本の目次

まえがき
第1章 信用リスクとは何か
企業の立場から見る信用リスク/激変する環境と信用リスク

第2章 誰が企業の信用リスクを決めるか

銀行/社債市場/格付け会社

第3章 格付け会社は企業の何を見ているか

信用リスクを分析する/ケーススタディ/格付け作業の流れ

第4章 負債と資本のバランスが重要な理由

信用リスクに対処する/信用リスクと調達コスト/戦略構築と情報伝達

第5章 IRの巧拙が命運を分ける
Debt IRとは何か/Debt IR活動の意義/負債調達の特徴
第6章 これからの経営者に必要なもの
環境の変化に対応する/企業価値向上への考え方/財務へ注目する


■著者

松田千恵子
東京外国語大学卒業。仏国立ポンゼ・ショセ国際経営大学院経営学修士(MBA)。株式会社日本長期信用銀行にて国際審査、不動産債権処理、海外営業などを担当後、ムーディーズジャパン株式会社事業会社格付けアナリストとして東京、ニューヨークで活動。2001年より株式会社コーポレートディレクションに参加、マネージングコンサルタントとして企業の経営・財務戦略、IR等を多く手がける。社団法人日本アナリスト協会検定会員。

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天才の栄光と挫折—数学者列伝

■未知の領域にチャレンジする数学者たちの人生にスポットをあてた苦悩と出会いのドラマ

今年は日本人がノーベル物理学賞とノーベル化学賞をダブル受賞することになった。日本人のダブル受賞は史上初で、しかも化学賞は3年連続の受賞である。また、物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が「日本人が毎年ノーベル賞をとってもおかしくない」というように、氏の後継者でニュートリノに質量があるという大発見をした戸塚洋二氏など、今後の受賞が期待できる人材もまだまだいるようだ。ここ十年間、日本は縮小均衡ムード一色であるが、そんなムードを吹き飛ばすような快挙である。地に足をつけて着実に生きていくということももちろん大切であるが、新しいものにチャレンジすることをやめてしまったら、社会の進歩は無い。
こうした未知の領域に挑む人々は、一体、どのような人たちで、何故それに取り組もうと思ったのか。また、どんなドラマを経て輝かしい業績を手に入れ、どんな人生の結末を迎えたのだろうか。今回は、科学の中でも最も抽象度の高い数学の領域に注目して、困難な問題にチャレンジした人の人生を垣間見ることのできる本を取り上げることとしたい。
本書は、NHK教育テレビで平成13年から放送された「人間講座」のテキストを大幅に書き替えたものである。著者の藤原正彦氏は、著書「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど、その文章力では定評があり、数学者の人生を描くには最も適任の一人である。
子供のころエジソンや野口英世の本を読んで感銘を受けた人は多いだろう。それによって科学者を目指した人も多いと思うが、それは彼らの発明や発見に心動かされたというよりも、未知の領域にチャレンジする彼らの人生に感激したからではないだろうか。数学者の業績を解説している本は多いが、その人生を描いた良書は少ない。本書を開くと、氏の洗練された文章によって、名前しか知らなかった数学者達の人生が、われわれの目の前に、彩り豊かに展開されていくことになる。


●挑戦者たちの数奇な人生

ただし、天才数学者は、しばしば、常識からはずれた行動や、精神の病に苦しむ人生を送ることが多い。映画化も行われた「ビューティフル・マインド」では、ノーベル経済学賞受賞の数学者ナッシュが、精神病で苦しみ復活する姿が有名になった。本書に登場する数学者でも、決闘で敗れて死んだガロアや、ドイツ軍のエニグマ暗号解読に成功し、世界最初のコンピュータを作ったイギリスのチューリングの人生も目を覆うものがある。数学者の人生というのは、エジソンや野口英世のように「子供に読ませたい」性質のものではないのかも知れない。しかし、本書に書かれているのは、未知の知的領域に挑む人々が苦悩したリアルな人生なのである。

真に革新的なものほど、最初は社会から相手にされない。藤原氏も「数学を読むのは、数学者にとってもエネルギーを要する」ため、「数学ファンから送られた手紙は読むが、その数学部分は一瞥するだけ」だそうだ。「大数学者ガウスでさえ、ノルウェーの弱冠二十二歳の青年アーベルから送られた『五次方程式が解の公式をもたない』という最重要論文を無視した」のである。
こうした、数学者が自分の理論を認めてもらおうとする姿は、ベンチャービジネスが資金調達に苦労している姿に非常によく似ている、と感じた。今までにない斬新さがベンチャービジネスの価値なのだが、斬新であればあるほど、逆に投資家に理解してもらうことが困難になる。
本書を読むと、若き数学者が認められる過程で、その才能を認めてくれる人との偶然の「出会い」が非常に重要な役割を果たしていることがわかる。経営者が画期的ビジネスを認めてくれる投資家と出会うのも、「出会い」が非常に大きく作用する。自分を信じて、あきらめずにぶつかっていく人に、この本をお勧めしたい。


■この本の目次

神の声を求めた人 − アイザック・ニュートン
主君のため、己のため − 関 孝和
パリの混沌に燃ゆ − エヴァリスト・ガロア
アイルランドの情熱 − ウィリアム・ハミルトン
永遠の真理、一瞬の人生 − ソーニャ・コワレフスカヤ
南インドの”魔術師” − シュリニヴァーサ・ラマヌジャン
国家を救った数学者 − アラン・チューリング
真善美に肉薄した異才 − ヘルマン・ワイル
超難問、三世紀半の激闘 − アンドリュー・ワイルズ
あとがき


■著者

藤原正彦
1943年、旧満州新京生まれ。数学者、エッセイスト。現お茶の水女子大学理学部教授。著書に「若き数学者のアメリカ」、「遥かなるケンブリッジ」、「父の威厳 数学者の意地」等。

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エンロン崩壊の真実

■スターウォーズ世代が作り上げたエンロン社内の「バブルの匂い」を伝える書

ソ連の崩壊によって、社会主義というしくみに説得力が無くなってから、我々は好むと好まざるとに係わらず市場経済というしくみを選択せざるを得なくなっている。米国を中心に、しだいに、市場こそが新しい世界の理想のインフラであるかのように語られるようになってきた。
に、経済学を学んだ人間は市場を信奉していることが多い。破綻した米国のエンロン社の会長兼CEOであったケネス・レイも、大学の学部、修士課程とも経済学を学び、最終的に経済学の博士号を取得した人間だった。エンロンはもともと地味な地方の天然ガス事業会社であったが、彼は「自由な市場」を旗印に、エネルギーや通信の帯域から排ガスの排出権までをオンラインで取引する市場を創設し、エンロンをそうした市場を運営する世界的な会社にまで急拡大させた。また同時に、エンロンは自らがその市場の大口の取引者となっていったのである。
現実の市場は、理想的な経済学の市場とは異なり、取引量(流動性)を供給しないと成立しないし、市場は運営者であるエンロン自身の信用力にも大きく依存する。エンロン破綻の本質は、こうした現実と、高邁な経済学的理想の乖離が生み出す「歪み」が蓄積して引き起こされたものだ、と言えそうだ。


●「バブル」の見分け方

市場経済の最大の欠点の一つは「バブル」が発生してしまうことだろう。バブルが「いかにも怪しい」ものから発生するのならわかりやすいのだが、実際のバブルは、むしろ、知的水準の高い人までもが「これは画期的ですばらしい!」と思うようなものから生まれることが多い。
本書にもあるとおり、エンロンに先立って1998年に破綻したLTCMも、ロバート・マートンと、マイロン・ショールズという二人のノーベル経済学賞受賞者が理論的中核となっていた。同様に、エンロンも、世界的に有名な経済学者であるポール・クルーグマンをはじめとするアドバイザーがついていたし、ハーバードビジネススクールを出てマッキンゼーに勤める一流コンサルタントや、優秀な弁護士、大手監査法人アーサー・アンダーセンの優秀な会計士などが、数百人単位でエンロンに転職し、「自由な市場」というレイ会長のビジョンの下で会社を運営していたのである。「優秀な人がたくさん集まりつつあること」は、信用の証というよりは、バブルのサインと考えられるかも知れない。
日本でもエンロン関係の本が何冊も出版されているが、類書は日本の研究者がエンロン破綻を調査して、主としてその技術的問題点を伝えているものが多い。エンロンのしくみは極めて複雑であり、多数のSPE(特別目的事業体)の会計処理や、政治家への献金、監査法人や証券会社のアナリストの中立性の欠如等、様々な問題点が指摘され、実際に米国議会等での追及も進んでいる。もちろんそれらも重要なのではあるが、多くの人にとっては技術的すぎて興味のわかないものかも知れない。

これに対して本書は、破綻前からエンロンとかかわってきた米国エネルギー産業のコンサルタントが、破綻に至る社内の雰囲気を伝えながら平易に記述しているところが特色である。
バブルの中にいると、人はそれをバブルとは気づかないものだ。エンロンの破綻から一般の人が学ぶべき最も重要なことの一つは、次にこうした「バブリーな」事象に遭遇したときに、その「バブルの匂い」をかぎ分けられるかどうかだろう。

本書に記述された、レイ会長に嫌われると会社に居づらくなる社内の雰囲気や、SPEに「ジェダイ」や「チューイ(チューバッカ)」といったスターウォーズから取った名前を付けていたゲーム感覚の若手達などの数々のエピソードは、徐々にバブル化していったエンロン社内の「空気の匂い」を伝えることに成功しているのではないだろうか。


■この本の目次

第1章 ケネス・レイ会長がジャンク・ボンドで資金調達
第2章 部分的な開示
第3章 スキリングの”ケーススタディー”
第4章 “ランク・アンド・ヤンク”
第5章 マーケット創設を事業化すれば好業績

第6章 エンロン、オンライン事業に乗り出す
第7章 高い代償のブロードバンド
第8章 エンロン、水道事業に参入する
第9章 傲慢から倒産へ
第10章 トップは「買い」を勧め、裏で売る
第11章 エンロンの物語の終焉


■著者

PETER C.FUSARO
カーネギーメロン大卒、タフツ大学国際関係論修士。エネルギー会社向けコンサルティング会社社長を務めるほか、米国エネルギー省アドバイザー、国際エネルギー経済協会ニューヨーク支部会長。著書に「エネルギー・デリバティブの世界」(東洋経済新報社)など。

ROSS M.MILLER
カリフォルニア工科大学卒、ハーバード大学経済学博士。ヒューストン大学、カリフォルニア工科大学、ボストン大学等でファイナンスや経済学を教えた後、GE、投資銀行等でファイナンス関連業務に携わる。


■訳者

橋本 碩也
1947年、三重県生まれ。日本リーダーズダイジェスト社、証券系経済研究所、大手新聞社英字新聞部門等を経て、現在PR会社に勤務。著書、共著に「半導体産業の先を読む」「外国銘柄250社」、翻訳書(監修サポート)に「影響力の代理人」他。

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こんな株式市場に誰がした

■日本の株式市場の「病状」と、その改革の必要性を説く書

小泉政権の政策の基本コンセプトは、政府に頼らない自立的な経済を作ることだったはずだ。政府に頼らないということは「市場」の力をうまく利用することであるから、最も大きな市場の一つである資本市場を改革し、銀行の間接金融から市場を経由する直接金融へのシフトを促すことは政策の柱のはずだった。しかし、特殊法人の民営化などはともかく、同政権が資本市場の改革に力を入れているようには見えない。実際に取られてきた政策も、株式市場が好きになるどころか、逆に目を背けたくなるものばかりである。
資本主義の要が「市場」であることは誰もが認めるところであろう。しかし、「市場」とは何か、どうすれば「いい市場」になるのか、ということになると、政治や経済の専門家でもよく理解していないことが多いし、体系的に研究している人もわずかだ。「市場アレルギー」がある人はともかく、市場の必要性を認めている人の中にも、「市場とは自由放任のこと」で、規制緩和すればすべてが解決すると信じている人が多い。
しかし、問題はそう単純ではない。実際の資本市場は、経済学の教科書に載っている需要・供給曲線が二本引いてあるだけの単純なものではなく、膨大な企業情報を適正に開示させ、その情報を公正に流通させる必要がある複雑なシステムなのである。この複雑さを参加者に意識させないよう、表面的にはシンプルな見かけを作りつつ、背後では、しっかりと公正性や透明性を保つという、一見矛盾したことを行う必要がある。市場の育成は子育てに似ており、親が口出しをせず子供を自由に遊ばせていても、目を離さず「大きな愛」で見守っているのと同様、政策的には大きな度量と見識が必要になる大変難しいことなのである。


●株式市場への政策と病状

本書は、日本経済新聞社の証券部編集委員である筆者が、日本の株式市場の「病状」をレポートした書である。
二つ目に、こうした価値などの説明や投資家との交渉を行う際に、やや技術的な計算を伴う、ということがある。「やや」とはどのくらいかというと「EXCELで四則演算と階乗の計算ができるくらい」だ。笑わないでいただきたい。つまり、その程度の「技術」を食わず嫌いの(特に「文系」の)人というのが多い、ということだ。同様に「ファイナンス」というだけで食わず嫌いになっている技術系の人も多いのである。
本書には、最近の事例を中心として、金融ビッグバン以降の政策や市場の状況が綴られている。本書を読み進めてみると、この五年間の証券市場の変化を振り返ることができる。金融行政は大蔵省から金融庁に移り、数年前では考えられなかった銀行での株式窓販すらすでに解禁されている。証券会社の免許制は撤廃され、オンライン証券会社や銀行系証券会社等の新規参入で、証券業の産業構造は一変した。
タイトルが示すとおり、本書には、改革の成果がなかなか現れないことに対する筆者のもどかしさが貫かれている。変化の渦中にいる筆者としては、的外れな政策や改革のスピードの遅さが苛立たしくてしかたがないのだろう。しかし、一般の読者には、本書を読んでこの五年間の変化の大きさを改めて認識する人も多いのではないだろうか。
米国は、一九七五年以降三〇年近くをかけて、成熟した資本市場を作り上げてきたわけだが、それでも、エンロンに代表される企業会計の不正や、アナリストの中立性が阻害される問題などが山積しており、完全な市場からはほど遠い。日本は、経済環境が最悪の中、自由化と同時に、インターネットの発達によるインパクトまで受けながら、五年間で曲がりなりにもここまで来た。評者も資本市場に対する個別の政策には大いに不満があるが、証券市場は、客観的に見て非常に難しい激動の時代にあることは間違いない。
本書は、今年二月の発行だが、今年に入ってからの事例まで盛り込まれており、速報性も高い。「病状」を訴える本であって、「処方箋」を前面に出した本ではなので、「ではどうすればいいのか」という解答が明確に見えてこないところが、ややすっきりしない読後感となっているが、現在の日本の株式市場の重要な課題を理解し、改革を継続していくことの重要性を認識するのに適した本であろう。


■この本の目次

まえがき
序章 何を間違えたのか
第1章 「株価は、どうにでもなる」
第2章 幻だった金融ビッグバン
第3章 証券税制改革の誤算
第4章誰のための企業会計か
第5章空売り規制の虚実
第6章 アナリストが壊す市場
第7章 株式市場の役割を見直す
第8章 希望の光はどこに


■著者

前田昌孝(まえだ・まさたか)
1957年生まれ・79年東京大学教養学部卒業。日本経済新聞社入社。産業部、神戸支社、証券部、ワシントン支局を経て97年から証券部編集委員。金融・資本市場担当として日経金融新聞に定期コラムを持つほか、日経本紙で随時、解説記事を執筆。著書に「複合デフレ脱却」「投信新時代」(ともに共著)など。

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