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現在、日本が抱えている諸問題は、すなわち今までの日本社会がとってきた「リスク」についての考え方や、社会全体でのリスクの分担のしかたについての問題と言えるのではないだろうか。例えば終身雇用的な雇用制度や公共事業によって、職を失うリスクは小さく抑えられて来たし、個人資産においても、不動産価格はバブルまではずっと右上がり、金融資産は現在でもその六割もが「預貯金」という全くリスクのない形で保有されている。
ところが、そうした雇用や資産が活用される先の事業というのは、百パーセント確実ということはありえないから、社会全体として見れば、巨大なリスクは厳然として存在する。にもかからわず、国民一人一人がリスクをあまり感じずに生活してこれたということは、裏返せば、その社会全体のリスクが、国や銀行、大企業といった少数の主体に過度に集中してしまっていた状態だった考えることができよう。つまり「少数のかごに卵を山盛りにした状態」である。国の進む方向が明確で一方向に向いているときにはそれでよくても、社会が多様化・複雑化してくると、なにかの拍子に方向が大きく変わると、かごごとどさっと卵が割れてしまう危険性は極めて高かったと言える。
そう考えると、中長期的に日本を変えていくためには、このリスクの構造にメスを入れ、リスクををたくさんに小分けして、普通の人の身近にリスクがやってくる社会、すなわち自己責任型の社会にしていく必要がある。本書は、そうした「リスク」を考える場合のヒントをいろいろ提供してくれる本である。
●「リスク」の歴史絵巻
この本は、ギリシャ・ローマの昔から現代まで、人々がどのように「リスク」をとらえ、コントロールしようとしてきたかの歴史について語られた本である。換言すれば、リスクと統計学の発展とその金融への応用の歴史なのだが、そう表現するよりはよほどおもしろい大河ドラマ的な本に仕上がっている。
まず、登場人物がゴージャスだ。リスクという切り口から歴史を見直してやることによって、「リスク」と特に関係があるとも思えない有名人が、「こんな業績もあったのか」というような関わりでつながってくるのがおもしろい。
例えば、ハレー彗星で有名なイギリスの天文学者ハレー。彼が、平均余命の統計にも興味を持ち、それを整備した業績があったというのはおもしろい。こうした基礎研究は、進化論のダーウィンのいとこであるゴールトンの統計などと合わせて、イギリスの保険産業が発展する基礎となっていったに違いない。このほかにも、ガリレオ、パスカル、ニュートン、ケインズ、アロー、フォン・ノイマンなどのリスクについての研究が続々と登場する。
中盤からは、数学的な統計処理の基礎が形成されていくさまに加え、それを金融に応用したポートフォリオ理論やオプション理論が形成されていく様子や、それを使う側の人間心理の研究がつづられていく。
本書では、リスク管理の本質を「ある程度結果を制御できる領域を最大化する一方で、結果に対して全く制御が及ばず、結果と原因の関係が定かでない領域を最小化すること」であると述べている。つまり、なんとかわかるところについては、きちっと定式化していくわけだが、
最終章に「人類は神の手によって社会を支配したのではない。偶然の法則に委ねただけである」という統計学者モーリス・ケンドールの言葉を引いて、リスクとは結局そういう部分が残るものなのだ、としている見方も興味深い。
金融や統計についてかじりかけて途中で根気が続かなくなった方にもお勧めかもしれない。
■この本の目次
一二○○年以前 始まり
一二○○年以前 始まり
第1章 ギリシャの風とさいころの役割
第2章 1、2、3と同じくらい簡単
一二○○〜一七○○年 数々の注目すべき事実
第3章 ルネッサンスの賭博師
第4章 フレンチ・コネクション
第5章 驚くべき人物の驚くべき考え
一七○○〜一九○○年 限りなき計測
第6章 人間の本質についての考察
第7章 事実上の確実性を求めて
第8章 非合理の超法則
第9章 壊れた脳を持つ男
第10章 サヤエンドウと危険
第11章 至福の構造
一九○○〜一九六○年 曖昧性の塊りと正確性の追求
第12章 無知についての尺度
第13章 根本的に異なる概念
第14章 カロリー以外はすべて計測した男
第15章 とある株式仲介人の不思議なケース
未来へ 不確実性の追求
第16章 不変性の失敗
第17章 理論自警団
第18章 別の賭けの素晴らしい仕組み
第19章 野性の待ち伏せ
編著者のプロフィール
ピーター・バーンスタイン
1940年ハーバード大学卒業。ニューヨーク連銀、戦略サービス局(OSS)、投資顧問会社バーンスタイン・マコーレー代表、ジャーナル・オブ・ポートフォリオ・マネジメント誌初代編集長
著書に邦題「証券投資の思想革命」等