■未知の領域にチャレンジする数学者たちの人生にスポットをあてた苦悩と出会いのドラマ
今年は日本人がノーベル物理学賞とノーベル化学賞をダブル受賞することになった。日本人のダブル受賞は史上初で、しかも化学賞は3年連続の受賞である。また、物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が「日本人が毎年ノーベル賞をとってもおかしくない」というように、氏の後継者でニュートリノに質量があるという大発見をした戸塚洋二氏など、今後の受賞が期待できる人材もまだまだいるようだ。ここ十年間、日本は縮小均衡ムード一色であるが、そんなムードを吹き飛ばすような快挙である。地に足をつけて着実に生きていくということももちろん大切であるが、新しいものにチャレンジすることをやめてしまったら、社会の進歩は無い。
こうした未知の領域に挑む人々は、一体、どのような人たちで、何故それに取り組もうと思ったのか。また、どんなドラマを経て輝かしい業績を手に入れ、どんな人生の結末を迎えたのだろうか。今回は、科学の中でも最も抽象度の高い数学の領域に注目して、困難な問題にチャレンジした人の人生を垣間見ることのできる本を取り上げることとしたい。
本書は、NHK教育テレビで平成13年から放送された「人間講座」のテキストを大幅に書き替えたものである。著者の藤原正彦氏は、著書「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど、その文章力では定評があり、数学者の人生を描くには最も適任の一人である。
子供のころエジソンや野口英世の本を読んで感銘を受けた人は多いだろう。それによって科学者を目指した人も多いと思うが、それは彼らの発明や発見に心動かされたというよりも、未知の領域にチャレンジする彼らの人生に感激したからではないだろうか。数学者の業績を解説している本は多いが、その人生を描いた良書は少ない。本書を開くと、氏の洗練された文章によって、名前しか知らなかった数学者達の人生が、われわれの目の前に、彩り豊かに展開されていくことになる。
●挑戦者たちの数奇な人生
ただし、天才数学者は、しばしば、常識からはずれた行動や、精神の病に苦しむ人生を送ることが多い。映画化も行われた「ビューティフル・マインド」では、ノーベル経済学賞受賞の数学者ナッシュが、精神病で苦しみ復活する姿が有名になった。本書に登場する数学者でも、決闘で敗れて死んだガロアや、ドイツ軍のエニグマ暗号解読に成功し、世界最初のコンピュータを作ったイギリスのチューリングの人生も目を覆うものがある。数学者の人生というのは、エジソンや野口英世のように「子供に読ませたい」性質のものではないのかも知れない。しかし、本書に書かれているのは、未知の知的領域に挑む人々が苦悩したリアルな人生なのである。
真に革新的なものほど、最初は社会から相手にされない。藤原氏も「数学を読むのは、数学者にとってもエネルギーを要する」ため、「数学ファンから送られた手紙は読むが、その数学部分は一瞥するだけ」だそうだ。「大数学者ガウスでさえ、ノルウェーの弱冠二十二歳の青年アーベルから送られた『五次方程式が解の公式をもたない』という最重要論文を無視した」のである。
こうした、数学者が自分の理論を認めてもらおうとする姿は、ベンチャービジネスが資金調達に苦労している姿に非常によく似ている、と感じた。今までにない斬新さがベンチャービジネスの価値なのだが、斬新であればあるほど、逆に投資家に理解してもらうことが困難になる。
本書を読むと、若き数学者が認められる過程で、その才能を認めてくれる人との偶然の「出会い」が非常に重要な役割を果たしていることがわかる。経営者が画期的ビジネスを認めてくれる投資家と出会うのも、「出会い」が非常に大きく作用する。自分を信じて、あきらめずにぶつかっていく人に、この本をお勧めしたい。
■この本の目次
神の声を求めた人 − アイザック・ニュートン
主君のため、己のため − 関 孝和
パリの混沌に燃ゆ − エヴァリスト・ガロア
アイルランドの情熱 − ウィリアム・ハミルトン
永遠の真理、一瞬の人生 − ソーニャ・コワレフスカヤ
南インドの”魔術師” − シュリニヴァーサ・ラマヌジャン
国家を救った数学者 − アラン・チューリング
真善美に肉薄した異才 − ヘルマン・ワイル
超難問、三世紀半の激闘 − アンドリュー・ワイルズ
あとがき
■著者
藤原正彦
1943年、旧満州新京生まれ。数学者、エッセイスト。現お茶の水女子大学理学部教授。著書に「若き数学者のアメリカ」、「遥かなるケンブリッジ」、「父の威厳 数学者の意地」等。